小林賢太の古木の本を出したい 第三回「囚われず、そして囚われず」

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小林賢太の古木の本を出したい 第三回「囚われず、そして囚われず」

この連載は古木な会社で働く小林が、古木の気持ち、を求めてつらつらと考えを記します。思いつきで記していきますのでどんな内容を書くのかは書き始めるまでわかりません。最終的には古木の本を出せたらいいなー、なんて考えています。そんな三回目の連載は「囚われず、そし囚われず」です。

古木を見ていると、その佇まいに感動する時がある。
身一つでその場に佇むその姿は、
何の執着もなく自分をさらけ出しているようである。
僕はその姿がカッコ良いと思う。

人、物、景色、全ての物は移ろいゆき、
永遠に同じような状態であり続けることができない。

人は周りの状況により常に変わり続ける生き物。
周りに良い姿を見せようと、良い洋服を買い、良い化粧をし、
良い生活を試み、良い食事をし、良いデザインを欲し、
良い報酬を求め、良い気分になる。
良いものを持っている自分に酔い、自慢したがる。
そして姿を変える。

木も周りの状況によって常に変わり続ける。
天候、こだわり、設置場所、使用用途など、
様々な原因により姿は移ろいゆく。

そんな中でも、古木にはブレない芯を感じる。
自信があり、でも優しく、だからこそ強く。
どんな姿になっても素晴らしいものは素晴らしい。

人が生きていく上で、自分に良い状況なんてほとんどない。
ほとんどが自分にとって苦しい状況ばかり。
もしかしたら、木も人も変わらないのかもしれない。

木も人も同じ。
どちらもこの世に生まれてしまったからには常に苦しい。
自分で選択しているようで実は選択していない。
周りに影響され、それを正しいと思い込み、それにより良くも悪くもなる。

そんな中でも古木が醸し出す存在感は僕たちに教えてくれる。
身一つ、自分の事は自分で決める。
本物はどんな状況でもブレることはない。
そんな覚悟が苦しい状況でも自分を輝かせ、
そして全ての執着から自分自身を解き放ちブレない生き方をできると。

古木の気持ちを知りたい。
古木はなぜこんなにカッコ良いのか。
真理を突く存在感があり、本物を感じさせるのか。
自分もそうなりたい。本物でありたい。
だから古木に学ぶ。古木の気持ちを知りたい。
木たちの気持ちを知りたい。

何にも囚われず、そして囚われず。
自分は自分でどんな事にもブレない。
執着を捨て去ったその境地には
そんな素晴らしく人を感動させる世界があるはずだ。
僕は古木を通じてそんな事を学ぶ。

何にも左右されず、生きていく苦しみを楽しみ、
その先の世界を見てみたい。
まだまだ旅は始まったばかり。
古木たちと世界に羽ばたき、
永遠に続くその先の世界を見てみたい。

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