シネマ・デ・アエルとは何か? 江戸時代の酒蔵をリユース。プロジェクトの真意に迫る。
シネマ・デ・アエルとは何か? 江戸時代の酒蔵をリユース。プロジェクトの真意に迫る。
岩手県宮古市で今、江戸時代の蔵を舞台にあるプロジェクトが進んでいます。その名はシネマ デ アエル。古木な酒蔵空間を震災後のまちづくり拠点にしようと、様々な人たちが動いています。とにかくこのプロジェクト、個性が強くユニーク。シネマ デ アエルはこの現代に何を見ようとしているのか? その一端をルポしてみたいと思います。
目次
シネマ・デ・アエルの舞台。宮古市にある江戸時代の商家東屋さん。
シネマ・デ・アエルとは?
シネマ・デ・アエル。
ほとんどの人は初めて聞く名前だと思います。
今回、僕はシネマ・デ・アエルの拠点となっている岩手県宮古市まで訪ね、この一風変わったプロジェクトの全容を尋ねてきました。
その前に、シネマ・デ・アエルとは何なのか?
簡単に紹介しますと、
古くから、主に海路を通じて交通の結節点となった岩手県宮古市。それはまた、文化の結節点であることも意味してきました。東日本大震災で古い街並みの多くは失われ、町はダメージを受けました。それでも、歴史と文化の匂いは宮古のDNAとして生き続けています。(中略)宮古をもう一度、文化の結節点として盛り上げよう。こうして私たちは2016年9月、東屋さんの蔵を舞台に、映画上映を軸とした複合文化拠点「シネマ・デ・アエル」の活動をはじめました。
出典: https://cinemadeaeru.wixsite.com
質の高い上映プログラムと、日本で唯一の市民出資の映画館として、全国的にも知られた「みやこシネマリーン」が、2016年9月に閉館しました。シネマ・デ・アエルは、同館が映画上映を通して育んできた文化を引き継ぎ、それをさらに拡大することを目指しています。
出典: https://cinemadeaeru.wixsite.com
まとめると、
シネマ・デ・アエルは、岩手県宮古市に残る江戸時代の商家「東屋さん」の蔵を舞台にしたプロジェクトだということ。
そして、東日本大震災で大きなダメージを受けた宮古市のまちづくり復興という背景をもったプロジェクトだということ。
そしてもう一つ、「みやこシネマリーン」という映画館の存在がこのプロジェクトに大きな意味を与えている、ということです。
この3点が、シネマ・デ・アエルを一種独特な個性をもったプロジェクトにしているのですが、そこに触れる前に、
まずは、その東屋さんの蔵を見てみたいと思います。
蔵の入り口、観音開きの土蔵の門です。
蔵の中。豪壮な梁が幾本も天井を貫いています。
そして映画館として機能するよう、スクリーンが設置されています。
尾根を支える梁には、とりわけ太い木が使われています。
2階部分があります。
酒蔵として機能していたころは、この2階部分はもう一方の端まで貫くかたちであったそうです。
反対側の壁には、かつてここに2階部分があったことを語る、梁の外された痕跡が見えます。
1階部分に酒を仕込む樽があり、杜氏さんをはじめとする酒造りに携わる人たちが、この2階部分から仕込んだもろみを櫂でかき回すなどの作業をしていたと思われます。
それにしても、梁が太いです。
宮古市のある三陸沿岸部は、緯度に対して雪は比較的少なく、決して豪雪地帯ではないのですが、梁はまるで雪の重みに耐えるかのように太い。
これは酒蔵空間が広く抜けた造りになっているため、梁に使用する木は長さが必要となり、必然、長さのある木は太さもある、ということだそうです。
外から見るとこんな感じ。江戸時代と現代のハイブリッドで、屋根にはソーラーパネルがついています。
この酒蔵、詳しい資料はないのですが1830年ごろの建築だと推定されています。
宮古市本町の通りにある東屋さん、表通りから見える格子戸や蔵の姿は地元の人たちにはお馴染みです。現当主菊池長一郎さんは10代目で、もともとは同じ岩手県は岩泉出身の商家。4代目のおりに宮古に移り、文政7年(1824)には造り酒屋を創業しています。酒蔵はそのころに建てられた蔵ではないかとみられます。
出典: https://cinemadeaeru.wixsite.com
こうした古民家・古建築といったものが、生活スタイルの変化や維持費などの問題で今、急速に失われていっています。これは単に建築がなくなるということだけでなく、その建物と一緒に存在している、かつての日本人の暮らしざまや技術のあり方、そうした文化一式が失われていっているということです。
そして、人口減少へ向かう現代社会における建築需要の問題があります。
新しく建ててこれ以上建物を増やすということは、今のような人口減少社会ではゴーストタウン化が起きることになります。すでにある建物の価値をいかに再発見し、未来の視点に落とし込んでいくかということが、建築の問題を大きく飛び越え、社会的な課題として存在しています。
そうした意味において、シネマ・デ・アエルは、震災復興や映画文化の再興だけでなく、東屋さんという建築空間を、現代から未来への文化拠点として再創造していくプロジェクトでもあり、こうした複眼的な展開が、「一種独特な個性をもったプロジェクトにしている」ところだったりします。
次はもう一つの重要なポイント「みやこシネマリーン」という映画館の存在について見てみたいと思います。
映画館「みやこシネマリーン」とは?
その前に、シネマ・デ・アエルがこれまでに手がけてきたプログラムの一例を並べてみると
・映画「煙突と映画館」上映
・映画「ASAHIZA 人間は、どこへ行く」上映
・トークイベント「震災の体験を未来へわたすために」
・小池アミイゴさん作品展「東日本」「絵本『とうだい』原画展」
・津軽石盛合家の秘蔵映像上映
・プロジェクションマッピングのワークショップ
・映画「みんなのアムステルダム国立美術館へ」上映
・ドキュメンタリー映画「森聞き」上映&ゲストトーク
こんな具合で、圧倒的に多いのが映画上映プログラムです。
しかも、かなりマニアック…
それにしても、なぜプログラムの主軸に掲げるのが、映画なのか?
ここに、「みやこシネマリーン」という、かつて宮古市にあった映画館の存在が関係しています。
この「みやこシネマリーン」という映画館、実は日本で唯一の、生活協同組合が運営している映画館でした。
つまり市民や映画ファンたちがお金を出し合って運営していた映画館で、その上映プログラムの組み方も独特。
「祝の島」や「ニッポンの嘘 報道写真家・福島菊次郎 90歳」といった、社会上の波紋を呼ぶような、骨太なドキュメンタリー映画の上映もたびたびしていました。
今の時代、映画館の経営が成り立つには、人口30万人規模の商圏が必要と言われています。
それに対し、宮古市の人口は約5万5,000人です。
映画を興行として成立させるには、圧倒的に足りないわけです。
すでに三陸沿岸部では、映画館は「みやこシネマリーン」をのぞいて一つもない。そんな逆風のなか、それでも上映作品は、東京のような大都市でないとなかなかお目にかかれないような、エッジの効いた作品をかけたりする。
映画館の時代はすでに終わろうとしている。
話題作でないと人はなかなか集まらない、しかも人口30万人以上の都市でないと厳しい…
そんな状況のなか、2016年9月まで、奇跡のように存在していた映画館でした。
この「みやこシネマリーン」の残した「映画を通した街の文化」を引き継ぐ意図で、まさにシネマリーンが閉館となった2016年9月に、シネマ・デ・アエルは立ち上げられました。
・日本の古い建築文化。
・映画館で映画を観るという文化。
・宮古市のような中央から遠く離れた地方の街の文化。
いずれも、ある意味、危機に立たされている世界ばかりを主題にしているように見えます。
これはいったいどういうことか…?
シネマ・デ・アエルは、過去を見ているのか?
それとも、そこに未来を見ているのか?
次回、そのあたりに迫ってみたいと思います。