「古木でつくる新しい経済」山翠舎 山上浩明さんに聞く その1
「古木でつくる新しい経済」山翠舎 山上浩明さんに聞く その1
「人や社会にとっていいこと」も持続可能じゃなければ、そんなに「いいこと」を生み出せずに終わってしまう。「いいこと」をやるからには「利益」の両立が必須なはず。山上さんはそう言います。棄てられゆく古木を再活用することで環境負荷低減と、歴史の知財を残すという「いいこと」。この「いいこと」のためには、古木から利益が生まれるビジネスモデルを作らなくてはいけない。さらに古木をフックに人の繋がりをつくることで、そこに経済圏を生み、一つの世界観、あるいは価値観を投げかける。そんな新しい挑戦をつづける山上さんのインタビューです。
目次
Profile
山上 浩明(やまかみ ひろあき)株式会社山翠舎代表取締役。 1977年、長野市生まれ。父は同社会長の山上建夫。2000年、東京理科大学理工学部卒業後、ソフトバンクに入社。ネットワーク機器の営業を担当し、社長賞を受賞する。04年、家業である施工会社の山翠舎に入社。下請けから脱するべく、古木を活用した店舗施工のジャンルを切り開く。12年、同社代表取締役に就任。古木をフックに、空間づくりから人の繋がりを生む仕組みづくりへと事業を展開している。 |
古木の事業を始める
岩田
もともとなんで古木に着目し始めたんですか?
山上
面白いと思ったからなんです。
2006年、かな。
山翠舎の新規事業としてやろうっていう話になったんですよ。
これには2つの背景があって、一つは当時、建設業界が不況だったんです。
山翠舎って、それまでは下請け。なんとなく受注が来てたっていう会社で。
そこに建設業界の不況があり、仕事が減っていた。
なので「新規事業をやらないと」っていう、時代の気風みたいなものが業界全体にあったんですよ。
それを考えていったなかで、2006年の正月の1月2日だったんですけど、14時ぐらい、変な時間帯なんですけど、
岩田
そんなことまで憶えてるんですか。
山上
父親と話し合ったんです。
岩田
会長さんと。
山上
「今年はこうなる、新しい時代に向かって抱負を語る」みたいな、そういう空気がお正月にはあるじゃないですか。
それで、ディスカッションがあったんです。
そこで「古材が面白いんじゃない」っていう話になって。
そのアイデアを言ったのは父で。
私はそれにビビッときて、「面白い。やろう」ってなったんです。
なんで面白いと思ったのか、その背景を言うとバブルの1990年ごろに、小林さん(*内装デザイナーの小林敬介さん)たちと一緒に山翠舎が何をしてたかというと、アメリカから輸入してきた古材のバーンウッドを使ってジーンズショップの内装*をやってたんです。
*ジーンズショップの内装 … 1985年より、山翠舎はアパレルショップ「オクトパスアーミー」の全国展開において内装施工に携わっていた。 |
山上
その当時小林さんはグッズっていう会社にいたんですけど、そのグッズさんがデザインして、山翠舎が施工をして。
だからそのころから古材を海外から輸入して施工してたんです。
岩田
ええ。
山上
それで、なんで2006年に古材の話でビビッとなったかというと、施工をずっとしているなかで、「古材は高い」ということと、「実は古材は長野にたくさんある」っていうことに気づいた。
灯台下暗しですよ。地元の長野にある。しかも使い道もなく捨てられてる。
なのに海外からわざわざ高い古材を買って使ってたわけです。
バカバカしいよね、もったいないね、みたいな。
岩田
うん。
山上
ジーンズショップで古材を使っていた90年のころって、世の中、特にアパレルでは大理石とかピカピカな内装が好まれてたんです。
でもグッズの小林さんは、「そんなのつまらないよね」って。むしろユーズド感で勝負しようっていうのを打ち出したんです。
それがまた斬新で世の中に受けたんですよ。
その施工を山翠舎が全国で50店舗ぐらいやっていて、当時私は中学生で、「へえ、そうなんだ」って思ってたんです。
それで2006年にまた古材の話が出てきた。それでビビッときたっていう流れです。
今となってはいい決断をしましたね。
狭い範囲で一番にならなきゃダメなんだ
岩田
山上さん、古材に付加価値というか、ストーリーみたいなのを見つけていくじゃないですか。
それは、もっと後のことなんですか?
山上
ずっと後ですよ。
10年くらい前に、スターバックスさんがローカルレレバント(地域と関係づける)戦略のお店づくりを始めたんですけど、そのときにヒントを得たんです。
それ以来ストーリーっていう考えはなんとなく頭にあったんです。
でもストーリーっていう表現を会社案内に入れたのって、ようやく2015年。
そのあいだ、私の中では悶々としてましたよ。
マーケティングの本とか読みながら、どうやってキャッシュフローをよくするか、どうやったら月々払ってもらえるサブスクリプションのような仕組みが作れるか、どうやってファンをつくるかとか。
そういうのをすべて絡めて考えながら、悶々としてたんです。
で、もう一方にビジネスの基本として、「三方良し」っていう考え方があるじゃないですか。
岩田
はい。
山上
みんなが良い。お客様も、自分たちも、事業者さんも、三方にとって良いビジネスモデルをつくらなきゃいけない。
そういうことを考えて悶々としているなか、ある会社の社長さんが、「狭い範囲で一番にならなきゃダメなんだ」って、熱烈に語ってくれたんです。
狭い分野のナンバーワン。
「ああ、そうかあ」と。
これって、ランチェスターの法則*なんですね。
*ランチェスターの法則 … フレデリック・ランチェスターが第一次大戦から導き出した戦争理論。弱者が強者に立ち向かうための戦略手法として、大企業に対する中小企業の競争戦略にも応用される。中小企業はそのまま大手企業の事例を真似るのではなく、企業規模に応じて戦い方を変える必要があるというもの。 |
山上
例を言うと、足痩せ専門エステのお店を全国で30店舗、山翠舎で作らせてもらったんですけど、そこは足痩せという狭い分野でナンバーワンなんです。
狭い分野で絶対にナンバーワンをとらなきゃダメだって思って、「だったらうちは何で一番を取れる?」って言ったときに、古木しかないと。
当時は古材の事業も後発ですから、一番じゃない。
でもどうせいくんだったら古材でナンバーワンにならなきゃいけないって思ったわけですよ。
それで少しずつ古木の在庫を蓄えていって、今、3,500本くらいになったわけです。
岩田
はい。
山上
古木在庫数ナンバーワン。
これはまあ自称なので、今も本当かどうかわかりません。
でも、「古木を使った施工店舗数」っていう、よくわからないキーワードでいったら確かにナンバーワンになるな、って気づいたわけですよ。
そこからなんですよ。
だから、古木のストーリーとかエコシステム*っていうことを言い始めたのは比較的最近なんです。
*エコシステム … 山翠舎が掲げるkobokuエコシステムのこと。古民家の所有者から古木の利用者、事業者、エンドユーザーまで、古木にかかわる人を包み支えることで関係者がみんな笑顔になる、そんな経済と人の繋がりを生むシステムを意味している。 |
山翠舎が古木で内外装を手がけた漬物店「坂井善三商店」
いいことを言うのは簡単
山上
しかしまあ、エコシステムとか言ってますけど大したことじゃないと正直に思ってるんです。
古民家があって、壊されていくわけです。活用される場、機会がないわけです。
じゃあ山翠舎で買い取りましょう、買い取ることで古民家の持ち主さんにも喜ばれる。
それでお店の内装をして、事業者さんから感謝される。
そうやって回る仕組みができてるなっていうことですけど、正直、これは大したことないと思ってます。
それより私が自信を持ってるのは、こういう社会にとっていいとされること、当たり前のことっていうのは、それを言うのは簡単だけど、「じゃあ、やってみなよ」ってことなんです。つまり、いいことを思いついたとしても事業化にならなかったりするのが世の常で。
岩田
ええ。
山上
そのへんを粛々とやってった結果、今日の実績を蓄えたなっていう。そこは自信があります。
でも、2006年からこのあたりの話をしていくと、実際は生きていくのに必死すぎて、もうあんまり憶えてないんですよ。
岩田
危機だったんですか?
山上
広尾に東京支社をつくって、人を長野から2人異動して、それが10人ぐらいになって、7人ぐらいになって。一進一退を繰り返してやっていて。
営業は私しかいませんでしたから、ぜんぶ一人で営業して、契約もして、外部のデザイナーも使って。
朝の掃除も一人でやってましたから。
お客様と会話しながらパソコンで請求書を作る、みたいな。
岩田
へえ。
山上
システムができてないから、レッドオーシャンでしたよ。
そのなかから少しずつ、例えば「エントリーシートを作りましょうよ」って言うじゃないですか。
でも、最初は反発があるわけです。無視、ですよ。
「なんで書かなきゃいけないんですか?」みたいな。
岩田
それは大変だ。
山上
そういう状況ですよ。
それでもエントリーシートを書くようになりました。
次は「設計の申込書を作ろうよ」と。
そうやって、2015年になってようやくですよ、ストーリー性を大切にしていこうっていう考えで会社案内を作れるようになったのは。
会社案内を作るのに一年かかりましたから。
簡単に言うと、ようやく新卒の社員を採れるところまできて、多少、新卒に任せることで自分の時間をつくれるようになってきたわけですよ。
岩田
新卒を取り始めたのはいつですか?
山上
7年前かな。
それでもコンスタントに新卒採用ができていたわけじゃなく。
ある年は中国人を採用してみたり。
「もう、ずっといたいんです、日本に」と。「親族もぜんぶ日本に来させるんです」と。
そう言って、半年後に帰国しましたからね(笑)
岩田
(笑)
山上
いろいろありましたね。