シネマ・デ・アエルとは何か? 有坂民夫さんインタビュー 後篇「文化、大事だよね」

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シネマ・デ・アエルとは何か? 有坂民夫さんインタビュー 後篇「文化、大事だよね」

古木な酒蔵空間を震災後のまちづくり拠点にする「シネマ デ アエル プロジェクト」。プロジェクトの仕掛け人、有坂民夫さんのインタビュー後篇は、「人の営みや地域の独自性から生まれるものの魅力=文化」についてのお話です。

後篇「文化、大事だよね」

有坂 民夫(ありさか たみお)シネマ・デ・アエルの仕掛け人(自称・裏方役)。
1972年生まれ、東京都出身。
編集企画会社、映像制作会社、ゲームソフト会社、出版社、インターネット事業会社、コンサルティング会社などを経て、30代前半で企画、プロデュース会社コンテンツ計画を立ち上げる。各地の地域づくり事業などに携わる中、2016年9月には、岩手県宮古市にある江戸時代の蔵にて、震災後の文化創造拠点づくりとしてのシネマ・デ・アエル プロジェクトをスタートさせる。

文化なしごと創造事業


岩田
世の中に残すべきものを残す、そういうこと云々以前に楽しいことをやりたいと、そんなようなこと仰ってましたよね、前ね。

有坂
そうですね。けっこう、難しいことにチャレンジしては痛い目にもあったりしてるんですけど。
そういう点で言うと、そもそも直接的に「シネマリーン応援プロジェクト」とか、そういうことをやったわけじゃないんですよ。
こういう地域が面白い魅力ある場所としてあるには、基本的には「文化、大事だよね」っていう基本スタンスがあって。それには念仏を唱えてるだけじゃダメで、具体的に動くためには「人がいなきゃダメだろう」って思って。
ていうことで、こういう場所でもそういうことを生業にする人たちを育てていこうぜ、っていうプロジェクトをするわけです。それが「文化なしごと創造事業」(※)っていうかたちとなって現れるんですけど、そこから始まるんです。

※文化なしごと創造事業 … 地域づくりにつながる文化的な仕事を創造しようと、起業支援や研修プログラムなどの事業を展開。有坂さんの会社をはじめ、主に東北を拠点にした社会企業やNPO法人など4団体が主催してきた。

有坂
そのことも普通からすると無理筋というか、そんな人口5万人のところでそんなことやって人が食ってけるわけないじゃん、みたいな。
なんか、そういうことにまたチャレンジしてるんですよね。

路地裏志向


岩田
うまくいくとすごく面白いし、未来のモデルケースになりますよね。

有坂
そうですね。
僕みたいな人が最初から結果がわかってるようなところに行ってもしょうがないというか、それはまあ、やる人がいるんでしょうしね。
例えば「ホタテが基幹産業だから、ホタテで6次産業化しよう」とかっていうのは、できる人がいるし、そういう人がやったほうがいいだろうし。
まあ、そういうこと言うと、ひねくれてるんでしょうね(笑)
目の付け所がマイナーというか、路地裏志向なんです、基本的に。

岩田
幼少期からそうなんですか?

有坂
幼少期から場末志向ですね。…でも、場末志向って言ったら相手に悪いですね(笑)

岩田
いやいや(笑)
場末は豊かですからね。

有坂
横丁志向でね。
小学生くらいから思い出横丁(※)とか行って定食を食ってたからね。

※思い出横丁 … 新宿駅西口にある飲み屋街。戦後の闇市をルーツとし、やきとり屋やもつ焼き屋など昭和ライクな小規模店舗が所狭しと並んでいる。

岩田
生粋の江戸っ子ですか?

有坂
多摩っ子ですね。多摩のほうなんで、ニュータウンなんで、

岩田
ああ。

有坂
だからそういう人の営みや街の歴史に対する憧憬があるのかもしれないですね。
深遠なるものというか、僕には持ってないものがあるんじゃないかとか。

岩田
地域の祭りがないところに育ったということですか?

有坂
まあ、あるんですよ。歴史と伝統に欠けるだけで。
大人たちはたぶん頑張ったんだと思うんですよ、団地の祭りを作るとかね。それもちゃんと神輿をこしらえて。そういう文化に触れさせようと子ども神輿もやってたし、それはそれですごく楽しかったんですよ。
しかしながらそこに住んだことのない人たちは見てもいないのに「いやあ、あんなところには文化はない」とか言うわけですよね。「あんな人工的に作って」とか。
でも「江戸だって人工だし、人工じゃない街なんてねえだろ!」とかって子ども心にちょっと納得いかないまま、「じゃあ、おまえらの街に何があるんだ、教えてみろよ?」みたいな。
あるいはまた「じゃあ、知りたいな」っていうのはありましたね。

岩田
思い出横丁は子どもだけで行ってたんですか?

有坂
僕だけですね。
それこそ散歩マニアみたいなところがあるんで。

岩田
へえ。もうそのころから始まってたんですね。

有坂
ずっとなんの目的もなくただただ散歩をするみたいなところがあって。
この街には何がある、どんな人がいて、とか。
人の営みみたいなものには興味があったんですね。

消えゆくものへの興味


岩田
古民家とか古建築への興味っていうのは?

有坂
ああ、そうでしたね。そっちの取材でしたね。

岩田
そうなんですね、そっちの取材をしておかないといけないので(笑)

有坂
あのー、寺社仏閣が好きっていうのは入り口としてあったかもしれないですけど。
わりといろんなところを見て回ったりとか。建築的な知識はちゃんとしたものはないので、評価とはかわかんないですけど。
やっぱり、非常に手がかかってるんですよね。現代に換算すると途方もない労力になってる。
これは古い新しいというだけの話じゃなくて、そこに人の営みの集合体、集合知みたいなものがあるわけで、やっぱりもっと大切にされていいものなんじゃないかなっていうのは思っていますね。

岩田
そうですね。

有坂
壊すのは簡単だけど、作るのは、もう作れないんじゃないかと思って。
それが目の前でなくなっていく。5年、10年先を考えると、もしかしたらなくなってしまう。
今、体力や能力のある世代の人たちがやるべきことの一つなんじゃないかなっていうのはすごくあって。
さっき言われたように、僕が好きなものは、消えゆくんですよ。

岩田
はい。

有坂
大好きな定食屋は、だいたい僕が好きになったら消えるんですよ。

岩田
ああ、僕も近いものがある…。

有坂
死臭を嗅ぎ取るじゃないですけど(笑)、でも、そういうものって、ぎりぎり残ってるんですよね。残っているバランスみたいなものがあって。
でも、それがなぜ愛おしいかというと、もう無くなることが運命付けられているところがあるからで…

岩田
ちょっと新撰組が入ってるんですよね。銃で戦えばいいのに刀で。あと、ジェロニモとか。

有坂
ラストサムライですね。

岩田
ラストサムライ入ってますね。
だから白人が銃を持ってやってきても、銃を持ったら自然との力のバランスを崩しちゃうから、ちゃんと弓矢でやるぞ、みたいな。ああいう考えはすごい大切で。
それでも最後、死ぬ前は銃を持たざるを得ないんですけど。

有坂
そうですね。
僕が好きになるものって、そういう宿命にあるものの最後の輝きというか。そこを僕は見てるのかなとか思ったりすると、ちょっと自分の中で迷いもあるんですよ。もしかしたら最期を看取る立場になってしまうのかなとか。
そういうの、イヤなんですよ。残ってほしいから関わるんですけど、最期を看取ることになっちゃう恐れもある。
やっぱり世の中の流れですからね、僕みたいな力のない者が止めにいってもなかなか難しいと思うんですけど。
でもやっぱり残せるものはあるし、残った方がいいものがあるわけで、次の時代に繋げることでその恩恵を多くの人が得られる。そういうことに関われたらいいなと思いますね。

岩田
そうですね。

有坂
しかもシネマリーンとか東屋さんていうのは、僕がどうのっていうんじゃなくて、周りの人たち、地域の人たちが残したいって思ってるものだから。
だから僕が1人で出向いて戦うというんじゃなくて、周りの人たちが次に繋げていくための活動のハブに僕がなって、活気を作るとか、持続する仕組みに落とすっていうのが、自分にできることの一つじゃないかなって思ってるんですね。

参加し、生み出す場


岩田
シネマ・デ・アエル プロジェクトは、最終的には映画館だけじゃなくて、カフェ機能、宿泊機能なんかも持った地域文化の拠点にしていきたい、っていうことですよね。

有坂
そうですね。あそこで何かを生み出せるっていうことが大きいと思うんです。消費する場だけではなくて。創ることに参加できる、参加しながら交流できる場。それが理想ですね。
まあ、東屋さんみたいな古民家の蔵、ある程度容積が大きくて天井が高い、そういうところで映画館をやるっていうのはわりと思いつきやすいし、リノベーションとしてもやりやすい方だと思うんですよ。
しかしながら、それを思いつき的にやるんじゃなくて、この場所を映画館とする背景の文脈は太くて、もう20年に近いあいだシネマリーンという市民映画館をやってきた人たちが宮古にはいて、何百、何千という作品が上映されてきた、映像コンテンツをサービスとして提供する商取引きの実態があるわけですよね。そして表現者、著作をもっている方たちとのちゃんとした繋がりが宮古にはあるわけですよ。そこはものすごく大事な無形の資産で、これがあることは非常に、他との差別化になると思います。

2017年7月15、16日にシネマ・デ・アエルで開かれたアイデアソンの様子。

岩田
最終的には民間で回していけるような事業として確立させたい?

有坂
そうですね。
ただ公共との連携は非常に大事だと思っていて。そういう時代だっていうこともあるんですけど。
そういう時代っていうのは、もうちょっとイーブンな関わりで協働し連携するっていう意味合いで。
東屋さんは地域の歴史文化みたいなものを体現してるので、場所としてとしての公共性がある、そういうところをみんなで使うと。みんなで使うからには、公共と連携することがとても大事なことだと思っているんです。
しかしながら「ぜんぶ公共で買い取ってください」とか、「運営するのに年間の経費を出してください」と言っても、ますます難しくなってくるし、仮に「大丈夫ですよ」っていう話になったとしても、年々そういうものは細っていくと思うんです。
それよりは自前で稼げる文化ですね。東屋さんはもともと商家ですからね。健全な持続性を担保するためにみんなが頭を使う、体を使う。自分たちで稼ぐっていうのが片方でしっかりあるので、公共にも連携しましょうって言える。
世の中もそういう流れにあるんじゃないかと思うんです。

宮古市の魅力


岩田
宮古市はどんなところに魅力を感じます?

有坂
飲み屋が多いところですね。

岩田
まあそれは、場っていうことですよね。人が集って、

有坂
そうですね。
宮古、遠いんですよね。東京育ちの僕からするとなかなか行きにくくて。
盛岡まで隣町なのに100kmくらい距離があって、小さい街だけれど経済圏、商圏として他に組み込まれにくい。
岩手県の三陸の街は地理的にそれぞれ陸封されてるというか、地続きなんだけど島みたいなところがあって、極端に言えば山をひとつ越えた隣の湾でも言葉や文化がかなり違うんです。
わりとそういうところに僕は興味があったりするんですけど。そういうところって何があるんだろうなあって思って。
たぶんチェーンストアの物流オペレーション的な効率性が上げられないことが理由のひとつだと思うんですけど、宮古はあれだけたくさんの飲食店があるのに、居酒屋はチェーン店なんてぜんぜんないし、

岩田
飲み屋のチェーン店、つぼ八だけですもんね。

有坂
ちょっと違うんですよね、そこはすごく魅力だなと思ってますね。

岩田
独自の食文化が独自の完成度に達してますよね。

有坂
そうですね。これはほんとになかなか外から目線じゃないと気づかないことだったりするので。
なおかつそういうところに、これは人の力も大きいと思いますけど、映画館もつい去年まであって。そういうことに魅力を感じますね。


これで有坂さんとの話はおしまいです。
お読みいただきありがとうございました。

取材・構成・写真:岩田 和憲

この記事のライター WRITER

岩田和憲

グラフィックデザイナー。言葉と写真もデザインも同じものとして扱っています。元新聞記者。元カメラマン。岐阜県出身。 https://www.iwata-design.com/