シネマ・デ・アエルとは何か? 有坂民夫さんインタビュー 前篇「次世代への土台づくり」

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シネマ・デ・アエルとは何か? 有坂民夫さんインタビュー 前篇「次世代への土台づくり」

古木な酒蔵空間を震災後のまちづくり拠点にしようと、岩手県宮古市で「シネマ デ アエル」という名のユニークなプロジェクトが動いています。プロジェクトの仕掛け人にして自称裏方役・有坂民夫さんにインタビュー。シネマ デ アエルはこの現代に何を見ようとしているのか? 前篇は、プロジェクト立ち上げまでのお話を中心に。

前篇「次世代への土台づくり」

有坂 民夫(ありさか たみお)シネマ・デ・アエルの仕掛け人(自称・裏方役)。
1972年生まれ、東京都出身。
編集企画会社、映像制作会社、ゲームソフト会社、出版社、インターネット事業会社、コンサルティング会社などを経て、30代前半で企画、プロデュース会社コンテンツ計画を立ち上げる。各地の地域づくり事業などに携わる中、2016年9月には、岩手県宮古市にある江戸時代の蔵にて、震災後の文化創造拠点づくりとしてのシネマ・デ・アエル プロジェクトをスタートさせる。

みやこシネマリーンが終わるころ


岩田
もともとシネマ・デ・アエルをやろうと思ったのは、「シネマリーン(※)がなくなるからどうにかしよう」っていうのがいちばん最初で?

※シネマリーン … 岩手県宮古市にあった映画館「みやこシネマリーン」のこと。日本で唯一、生活協同組合が運営する市民出資の映画館として全国的にも知られていたが、経営難などを理由に2016年9月25日に閉館した。

有坂民夫(以下、有坂)
筋でいうと、そういう筋になりますね。
ただ、シネマリーンが終わることがわかってから準備したんじゃなくて、もうちょっと早いんですよね。

岩田
シネマリーンと関係なく、何かやろうとしてたということですか?

有坂
シネマリーンの経営が厳しいということは、前からみんなが知ってる事実というか。ある種、カウントダウンみたいなところがあって。それでもやっぱりみんなで応援しようっていうことになってたんですけど、やっぱり僕みたいな立場の人は、そのままフィナーレを一緒に見て「良かったね」ってやってるわけにはいかないんで。次の手を打たなければいけないなあと思ってたりしていて、

岩田
それは有坂さんが自分の立場っていうのを自分で規定してるっていうことですよね?

有坂
そうですね。「座して死を待つ」という言い方はあんまりよくないかもしれないですけど、やっぱり次のことは考えなくてはいけない。そこは少し頭の中にあって。
ただ、常設の商業映画館を新たに開設っていうのはなかなか難しいので、

岩田
30万人の商圏規模といわれますよね。

有坂
そうですね。商圏からすると、もっともっといないと難しい。
なのでコミュニティシアターをやるという企画そのものはもう少し前から動いていて、準備はしてたんですね。

岩田
はい。

有坂
それこそ、シネマリーンが2016年の9月下旬に終わるんですけど、終わった時にはもう「次のシアターをどこにするか」っていうので動き出せたんです。「ありがとうシネマリーン」的な最後の上映会をやって、いろんな人が集まったんですけど、僕、その日に実際に東屋さん(※)へ行ってるんです。

※東屋さん … 宮古市本町に今も残る江戸時代からの商家で、東屋さんと通称される。この東屋さんにある江戸時代の酒蔵が、シネマ・デ・アエルの舞台になっている。

岩田
へえ。

有坂
「こうなったらいいなあ」とかじゃなくて。もうやることは計画されていたので、具体的な意志をもって東屋さんへ行けたんですね。

東屋さんを選ぶ


岩田
なんで東屋さんでやろう、そこを舞台にしたいと思ったんですか?

有坂
これはもっと遡って、それこそ5年ぐらい前になるんですけど。宮古で映画祭があるじゃないですか?

岩田
ほっこり映画祭(※)ですよね。

※ほっこり映画祭 … みやこほっこり映画祭のこと。宮古や各地の映画ファンがセレクトした「心があたたまる映画作品」を、市内各所を映画館スペースとして活用して展開する映画祭。2012年に第1回が開かれ、2016年12月の第5回まで開催。以降、シネマ・デ・アエルが活動の一部を継承している。

有坂
これが、単に映画祭じゃなくて、もっと幅広かったんですよ。ほっこりみやこ実行委員会なんですよ、これ。

岩田
はい。

有坂
で、ほっこり映画祭なんですよ。

岩田
ほっこり映画祭は、ほっこりみやこ実行委員会が催すイベントの一企画っていうことですよね。

有坂
そうなんですよ。基本的には「人が少なくなる秋冬に心と体があたたまるようなことを提供する」っていうことで、いくつかキャンペーン的なことがあって。
そのキャンペーンのうちの一つで、残念ながらこれは一回で終わっちゃったんですけど、街歩きマップ作りがあったんですね。「みやこほっこりマップ」なるものがあって。

岩田
ええ。

有坂
宮古市の中心街を歩いたりして、参加者とフィールドワークして地図に落とし込むっていうやつなんですけど。そのころから気になってた建物ではあったんです。

岩田
ああ。

有坂
ただその当時は、東屋さんとの具体的な関わりはまだなかったので、通るたびに「ああ、すごいな」と。「立派な建物だな」と。
で、いよいよそれでシネマリーンが難しいということになってたときに、じゃあ、代わるような場所ってどこだろうっていうふうに考えた時に、まあ、いくつか頭に浮かんだうちの1つに、東屋さんがあったんです。

岩田
ほかにも候補で浮かんでるのがあったんですか?

有坂
ありました。それは、ほっこり映画祭で、街中のいろんな場所で上映してたので。
そういうところは候補かなと思いながら。
ただ、なんていうんでしょうね、やっぱりもうちょっとちゃんとしたものにしないといけないというか。「ちょっとしたイベントスペース」というのでは、弱いと思うんですよね。

岩田
付加価値が出ないということですよね。

有坂
あと核心的なことを言うと、これからも街からはどんどん人が減っていくわけで、同じことをやってもそれは持たないだろうなと思って。
まあそんなことも含めて、より可能性と価値がある場所はどこだろうかと思う中で、東屋さんになったんです。

震災直後のころ


岩田
もともと、有坂さん、こういう社会事業的な動きをし始めたのは、震災以降に加速してるんですか。それとも前々からやられてたんですか?

有坂
頼まれてもいないのにいろんなところへ行くっていうのはわりと前からやってて。

岩田
(笑)

有坂
仕事しないといけないんですけど、興味が先に立って前のめりに行くっていうのは、ほかの地域でやってたこともあります。例えば、瀬戸内海のしまなみ海道の方とか、あとまあ、徳島とか、島根とか。
「そういうのは求めてないよ」っていうところでも、わりとごりごり自分で入っていくというか。
そんなスタンスでやってたっていうのはありますね。

岩田
そういう動き方が、震災以降は変わったところとか、あったりしますか?

有坂
単純に言うと、ボランティアではなく「仕事」として関わるべき状況と場ができてしまったということですね。
そういうことは、普通に仕事を持って暮らしている会社員の方だとなかなかできないじゃないですか、

岩田
難しさはありますね。

有坂
そのころ、「会社辞めて被災地に来た」とか、そういう人もたくさんいましたし、すごいなあと思いますけど、それって誰もができることじゃない。
僕みたいになんだかわからないような企画会社やってるような人は、裁量で動けるところが大きいわけですよね。こんなに自由にできて、誰にも別に文句言われるわけでもない。株式上場してるわけでもなんでもないし(笑)

岩田
株式上場してたら、やっぱりダメですか(笑)

有坂
しばらくはいいんだと思いますよ、最初のころは。「素晴らしい」とか言われて。

岩田
(笑)

有坂
でも「事情はわかるが社会貢献はどうやって収益につながるんだ?」「いつまで続けられるんだ?」っていうことになると、なかなか難しいんだと思います。
長らく続けている素晴らしい企業もたくさん知ってますけど。


岩田
シネマリーンとはもともと何か関係があったんですか?

有坂
なかったですね。
僕、東京で映画のコミュニティの裏方をやってるんですよ。「映画を観て語る会」(※)っていう、けっこうインナーなコミュニティなんですけど、150人ぐらいメンバーの方がいらして。

※映画を観て語る会 … 各界の参加者が映画を通して社会を知ること、日本の映画産業の振興のために活動することで、映画を広く役立てることを理念に定期的に開催している映画コミュニティ。

有坂
「震災の後にいろんな人たちが動いている中で、このコミュニティもなにかできないか」という話があって。事務局的な立場として、「じゃあちょっと、そういう活動をしている人たちを調べてみます」とか言って、調べて。それで、行き当たったのがシネマリーンの櫛桁さんの活動(※)だったんですね。

※櫛桁さんの活動 … みやこシネマリーンの元支配人、櫛桁一則さんによる、三陸沿岸部での巡回上映活動のこと。東日本大震災後、避難所や仮設住宅などを巡り続けている。その活動に対し、2016年には毎日映画コンクールで特別賞が授与された。

みやこシネマリーン元支配人・櫛桁一則さん。シネマ・デ・アエル プロジェクトでも実行委員の1人。

岩田
そのときに初めて知ったんですか?

有坂
そうですね。それはもう震災の1、2ヶ月ぐらいあと、2011年のゴールデンウィーク前くらいですね。ほんとわずかばかりですけど、みんなでカンパして。
僕自身は震災後、仕事がだいぶ暇になっちゃったりしてたので、いろいろと自分の目で見てみようと被災地を津々浦々回ったりもしてたんです。それこそ東京から車で2日3日かけて。
ほかにも知り合いと組んで物資の運搬だとか、そういうことはちょいちょいやったのと、あと落語の出張訪問というのをやっていくんですけど。
そんなような時で、宮古のあたりを見に行くのと同時に、櫛桁さんに挨拶しに行き、初めてシネマリーンにお邪魔したと。

消えゆくものにある次世代への可能性


岩田
なんだろうな、有坂さんは、消えゆこうとする世界に加担したいところがあるんですかね?
古民家もそうでしょうし、映画文化もそうですし、宮古も人が減っていくという意味でそうでしょうし、まあ、時代の流れで衰退したり失われていくものですよね。

有坂
そういうこと言うと死神みたいな感じで、「そういうところに志向がある」とかってなると困っちゃうんですけど(笑)。
センチメンタルとかノスタルジーとかいうのがまったくないかというと、なくはないと思うんですけど、ただ、可能性はあると思うから行くんですよね。

岩田
ええ。わかりますよ。
それをちょっと聞きたいと思って今の質問だったりするんですけど。

有坂
僕、社会に出たのは出版業界からのスタートなんですけど、そのころから「出版なんか終わる」とか言われてましたしね。
世の中どんどん変わっていくわけですけど、紙に印刷するものは終わるかもしれない。まあでも、テキスト文化が終わるわけではない。映画館はなくなるかもしれないけど、人が集まって見るっていうことは映画館でなくても何かあるだろう。きっとそういうことなんだろうと。
一目散に「終わった」といってみんなで逃げちゃうっていうのはちょっと違うなあと思うところがあるんですよね。
全部がぜんぶ残るわけじゃないけれども、残せるものもあるんだと。残るものはたぶん次に繋がるものだろうし、次の世の中に行くときの土台になり、ストーリーを受け継ぐと思うんですけど。
でも後付けですね、これは(笑)

後編に続きます。

この記事のライター WRITER

岩田和憲

グラフィックデザイナー。言葉と写真もデザインも同じものとして扱っています。元新聞記者。元カメラマン。岐阜県出身。 https://www.iwata-design.com/