小林古径邸を生かした上越市の芸術文化拠点の創生(後編)【小林古径記念美術館増改築事業】

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「小林古径記念美術館」の誕生

上越市立総合博物館(現上越市立歴史博物館)に併設されていた「小林古径記念美術館」が、古径邸に隣接するかたちで新築開館したのが2020年10月。この事業に再び携わったのが、「宮本忠長建築設計事務所」の設計士・松橋寿明さんと、入社数年の新人・本荘奎菜さんでした。後半はそんなおふたりと「小林古径記念美術館」宮崎俊英館長のお話を交えてお届けします。

多面的な連続性と縁でつながったプロジェクト

今回、新たに「小林古径記念美術館」が建設されるにあたり、再び設計を担当することになった「宮本忠長建築設計事務所」。随意契約での受注は上越市からの大きな信頼によるものでした。

「建物の一体感を考えると、古径邸やこれまでの経緯を知っている人でなければできないと思いました。建設業界の随意契約はよほどの理由がないと認められませんが、かつて古径邸を移築復原したこと、管理棟も設計もしていたことから、宮本忠長建築設計事務所以外にはないと考えたのです」(宮崎館長)

一方で、松橋さんもこの一連の事業に連続性を感じていました。

「小林古径邸には学生時代から携わり、復原の依頼が宮本忠長建築設計事務所にあったことから、20代の駆け出しで担当することになりました。上司とタッグを組み、苦労を苦労とも思わず無我夢中で、与えられたチャンスにどう応えらえるか必死でした。それから20年が経ち、新たに『小林古径記念美術館』が作られるようになって、今度は私が上司として若手の本荘さんと組んで再び関わるようになりました。不思議な縁を感じます」(松橋さん)

そして、宮本忠長建築設計事務所が修景事業を手がけた小布施町出身の本荘さんもまた、違った視点からプロジェクトとの縁を実感していたといいます。

「宮本忠長建築設計事務所は、小布施町の町並みの修景だけでなく、町内の小・中学校の校舎も設計していました。小さな頃からそうした場所で育ってきたことが、私が宮本忠長建築設計事務所に入社するきっかけとなりました。その私の初仕事が今回のプロジェクトで、つながりを感じます」(本荘さん)

さらに、小布施町を視察した際、宮崎館長は「小林古径記念美術館」新設事業の成功を確信したといいます。

「松橋さんが2015年に増築を手がけた小布施町の美術館『北斎館』を見学し、町全体を見回した瞬間、この町並みをつくった宮本忠長建築設計事務所なら、今回の事業はうまくいく。このイメージなら、上越市でも美術館単体ではなく街なかもあわせてひとつの景色がつくれると思いました。加えて、古径邸や管理棟のこともよく知っている宮本忠長建築設計事務所なら、これは大丈夫だと感じました」(宮崎館長)

高田城址公園全体を見据えてのあるべき姿

こうして2016年から新設計画が進められた「小林古径記念美術館」。宮崎館長から松橋さんに伝えられた最初の言葉が「吉田五十八が設計した建物に調和し、ほかには負けないものをつくりたい」ということでした。また、視覚的な存在価値として、建物全体がきちんと周囲の借景となるようにつくらなければならないということ。そのバランスと相乗効果のなかで視覚的関係性をどう生かすか。美術館単体の整備ではなく、環境全体としてどう計画をつくっていくかが求められたのです。

「建物全体や、さらに高田城址公園全体を見据えて、この場所に本来あるべきものの姿や何がふさわしいのかを頭の中にしっかりと構想しておかないといけないと実感しました」(松橋さん)

こうして、管理棟に増築するかたちで、展示室・エントランス・ギャラリー・二ノ丸ホール(多目的室)が作られ、当初管理棟のアプローチだった長廊(雁木)も延伸されました。

「宮本は『長廊』というコンセプトのもとで管理棟を設計し、その延長線上に美術館や展示施設などができたらいいという構想をもっていました。それが次第に発展し、20年後に実際に美術館がつくられることになろうとは思ってもいませんでしたが、宮本の夢が叶ったプロジェクトになりました。宮本が亡くなって5年が経ちますが、もしまだ現役で頑張っていたら、同じようなことを考えてつくっていたかを思いながら設計を進めました」(松橋さん)

こうしてつくられた長廊は外堀の西堀橋からの連続性をもたせていますが、回遊性もあり、「すごくよくできている」と宮崎館長は太鼓判を押します。

展示空間の創意工夫

美術館の建物自体は、古径邸の切妻屋根の四寸勾配と揃え、高さを古径邸より低くすることで、主役である古径邸を引き立て、調和ももたせています。この勾配は雪国には不向きなことから、古径邸の屋根瓦の下には融雪ヒーターが入っていますが、美術館の屋根には雪止めを多数設けることで積雪にも耐えられる仕様にしています。

展示室の内部は小林古径の作品を常設展示している「古径記念室」と、地元ゆかりの美術作品をはじめ、多彩な展覧会を行う「企画展示室」に分かれ、「古径記念室」は清澄な色彩の古径作品を引き立てる濃紺色の壁面、「企画展示室」は日本画から現代アートまでさまざまな作品に対応できるよう、淡いグレー色の壁からなる空間です。

ここから多目的室である「二ノ丸ホール」へと向かう廊下はギャラリーになっていて、ガラスを隔てた庭園との一体感もあります。

「この廊下のギャラリーは既存の古径邸との位置関係を確保するため、空間的な制限があったことから、苦肉の策でなんとか広がりを出すために構造柱を2本に分割して細くし、庭園との一体感を出すことにより、広く見せるための工夫をしています」(松橋さん)

なお、開館直後の10~11月にかけては美術館と庭園をライトアップし、市内飲食店が古径邸で料理を提供する企画にも協力。それにより、この廊下のギャラリーの夜間の美しさや、美術館のエントランスから眺める古径邸の背面の魅力を知ったと宮崎館長は話します。

「夜は昼間と見え方が違い、陰影がついて、古径邸の裏側が実は美しかったとわかりました。この廊下をギャラリーにしてよかった。垣根のさりげない見せ方やほどよい距離感など、古径邸の建物とどう向き合うかは、この美術館においてとても重要な設計のポイントでした」(宮崎館長)

多彩な機能を持ち合わせた「二ノ丸ホール」

子どものワークショップや講演会などができ、休憩スペースにもなっている多目的ホール「二ノ丸ホール」もまた、館長の思い入れが深い空間です。

「古径邸は公園内に看板がありますが、『小林古径邸』という文字を見ても垣根があるせいで建物自体が見えず、素晴らしさが伝わりづらいものがありました。そこで古径邸をもっと開かれた空間にしたい思いから、松橋さんにお願いしたところ、この『二ノ丸ホール』ができました」(宮崎館長)

その言葉通り、「二ノ丸ホール」からは古径邸がよく見え、さらに東側の出窓からは高田城の三重櫓を眺めることができます。

「多目的ホールには美術館の取り組みを外部に見せる効果も求めていたので、ガラス張りのいい空間になりました」(宮崎館長)

この「二ノ丸ホール」を寄棟造にしたのは、西堀橋から連続性をもたせた長廊の延長線上、突き当たりに位置するため、コーナーとしての表情を見せ、ジャンクションの意味をもたせる意図だったと松橋さん。実際、長廊は日常的に多くの市民が散歩などで通過していますが、この「二ノ丸ホール」が高田城址公園中心部へと続く交差点のようなポイントになっています。

「『二ノ丸ホール』は美術館のなかの離れや公園全体の東屋のような空間にしようと考えたことも寄棟造につながっています。こうしたイメージは、館長と話すなかで自然と決まっていきました。美術館側にブレない統一された軸があったので、このかたちが必然でした」(松橋さん)

一方で、多目的スペースという性質上、周囲に必要性を訴えるのは大変だったといいます。それに一役買ったのが、本荘さんが作った模型でした。

「全体のボリューム感を確認するためのリアルな模型を見て、これはうまくいくなと思いました」(宮崎館長)

実際、模型というビジュアルを見せることで、最終的に「二ノ丸ホール」の建設も理解が得られ、上越市の村山秀幸現市長からは「よいものを作ってほしい」との言葉もかけられました。

「本当に望ましいかたちで小林古径邸が復原できたのは、当時の上越市長の功績であり、事業に対する市の理解がなければ今の美術館もありません。現村山市長に至るまでの歴代の市長が、市における文化の重要性に理解があったことは大きかったと思います」(松橋さん)

こうして関係者全員が同じ方向性や価値観を共有して目標に向かい、よいチームワークのもと、よい仕事ができたと松橋さんは振り返ります。

「この場所の素材がよいものやよい人を呼び集めてできた素晴らしい仕事でした。また、将来を担う若い世代に経験を受け継いでいく意味でも、本荘さんに担当してもらってよかったと思っています。こうした連携により、今後、さらなる美術館のあり方が見てくるのかな」(松橋さん)

すべてを物語る屋上からの借景

最後に、宮崎館長のお気に入りの場所に連れていっていただきました。隣接する上越市立歴史博物館の屋上です。ここから公園全体を眺めることができます。風景をより楽しむために、建物のリニューアルに伴って屋上の床を60cm上げ、山々を借景とした眺望が一層美しく映えます。

「この屋上から見た上越市の山々の借景は館長が最初に気づいていました。この風景を眺めたとき、古径邸を中心とした美術館のあるべき姿が一目瞭然でした。借景を含めてすべてがこのひとつの景色になっています。この環境を生かすためのイメージが設計者として非常に構想しやすかったぶん、その思いにきちんと応えられる提案や建物ができたかなと感じています」(松橋さん)

この屋上の風景に、関わったすべての人の思いが詰まっています。

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