創る和紙職人、ハタノワタルさんを訪ねて。その2

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創る和紙職人、ハタノワタルさんを訪ねて。その2

京都、800年の歴史を持つ黒谷和紙。苦境にある伝統工芸の世界で、忘れられた手漉き和紙のポテンシャルをハタノさんは空間づくりへと拡げています。第2回は、脇役に徹する和紙の魅力、職人の現実などのお話です。

ハタノワタルさんを訪ねて。その2

ハタノワタル和紙職人、和紙作家。
1971年、兵庫県西淡町(現・南あわじ市)生まれ。本名、畑野渡。
95年、多摩美術大学絵画科を卒業。北海道での農業生活を経て97年に黒谷和紙の世界へ、手漉き和紙の職人となる。表現者として個展など多数開催。和紙の特性を生かし、小物や什器から壁材、床材、果ては空間全体までをプロデュースし、見失われてきた和紙の可能性を「これから」の文脈で繋ぐ活動をしている。

アート=表現活動としての和紙づくり


岩田 和憲(以下、岩田)
ハタノさん、もともと油絵なんですよね?

ハタノワタル(以下、ハタノ)
そうですね。
和紙もそこは同じで、表現しようっていうことでやってるんです。
大学のときに「時代はVになってて、帰る方向に今から進むんだ」みたいなことを本で読んだことあるんだけど、まっすぐ帰るんやなくてV字型で帰る。過去に向かって未来として進んでいくっていうんやけど、「じゃあ僕はどっちに向かって行ったらいいんだろ」っていうふうに考えたんですね。
そんときに、じゃあ最先端のほうに向かっていくのか、それとも昔からある方向に向かうのか、すごく考えてて。それで農業やったりとかしたんだけど。
結局、自分の身の回りで使ってるものでいちばん伝統的なものっていったら和紙だったんで、

岩田
それが何歳のころですか?

ハタノ
24、25ですね。
僕は紙漉き職人としてやってるんだけど、一表現活動もやってるっていう意識がすごいあるんですよ。
紙を漉くこと、そこにどっぷり入ること自体が自分の表現だし、「表現=アート」だと捉えるんであれば、僕のアートとして和紙をやってるっていう部分があるんです。
だからいろんなところで展覧会もするし、いろんなところで発信するし。和紙に関わるっていうことは、僕にはそういうことなんです。
だからVの逆の方向、帰るっていう方向の自分なりの模索の仕方をずっとやってる感じではあるんです。

和紙は空間演出の名脇役


岩田
床にも和紙を使われたりするんですか。

ハタノ
はい。そこの隣の部屋は床に和紙で。玄関も床に和紙です。

岩田
床材としても使用に耐え得るということですね。

ハタノ
そうですね。もう16年経ってるんで。ぜんぜん大丈夫ですね。

山上 浩明(以下、山上)
素材の長所短所をどう見抜いていくかというのは重要だと思うんです。やはり得意のゾーンにその素材をあてこむっていう基本があって、それでもあえて不得手な素材を使うのもありだけど、そのなかでどっちに寄せていくか。
床材に和紙を使うのは新しい世界観ですね。
でも和紙だけだと難しいから、オイルを使ったりと、リカバリーの仕方も追求する、みたいな発想なんですか?

ハタノ
それが僕、美術をやってるじゃないですか。
例えば床材にするなら、木のほうが絶対いいと思うんですよ。
でも、ものを置いたときに床材が何だと綺麗に見えるかっていうと、和紙のほうがいいと思うんですよ。

山上
なるほど。

ハタノ
その差なんですよ。
だからテーブルとか、什器系は売れてますね。
ものを置いたときにそのものが美しく見える。

お茶を飲むときに床が和紙だとその所作が綺麗に見える、とか。
このあいだオブジェ作家さんの展示でギャラリーの床を和紙で貼ったんですけど、「木よりも和紙のほうがいい」っていうのは、そこにいるみんながそう思ったから和紙になったんです。
耐久性となると木のほうが絶対いいけど、何をそこに求めるかっていうのを考えると、和紙っていう選択もあるって思うんですね。

山上
木の場合、目地の部分がたぶん良くないんでしょうね。

ハタノ
あと、木の場合は木目が主張するし、布の場合は布の織目でものがぼやけてしまうし、ガラスだと反射する。そういうことを考えたら和紙ってすごいなって思って。
紙って光もある程度吸うし、ものが綺麗に見えるし、こうやって表情のあるところにものを置いても、置いた瞬間にものに目がバンッていくから、すごい名脇役やと。
「脇役やらしてくれたら和紙、めっちゃいいよ、君を持ち上げます」みたいな。

月収10万円の世界


岩田
職人として何がいちばん大変かっていうことで、「暮らしていけるだけの紙を漉く作業が大変だ」っておっしゃってたと思うんですけど、相当な量を漉かれるんですか?

ハタノ
すごい漉きますよね。
すごい漉くっていっても手仕事なんでそんな量もできないんですけど、結局、価格設定が昔からの設定なんです。
昔から「貧乏で、貧乏で、息子には継がせたくない」って言われてきた仕事だけど、今もそのままの設定にされてるんで、それで普通にやってるとぜんぜん暮らしていけないんですよ。

岩田
その値段でやってると月収でどれぐらいになるんですか?

ハタノ
村の用事があるとき以外は休みなしでやったとして、月10万ぐらいちゃいます。

岩田
それで10万ですか…。

ハタノ
10年前当時、黒谷和紙で僕、いちばん手、早かったんですよ。
当時いちばん納品してて、いって月15、16ですね。

岩田
だから伝統工芸の職人がいなくなってる問題で、マクドナルドでアルバイトした方が儲かるっていう話は本当なんですね。
技術を持ってる職人さんより、特別な技術はなくてもマクドナルドでアルバイトしてる人のほうが、

ハタノ
そうそう。深夜バイトしたら軽く抜かれる。

和紙を直売する


岩田
今のハタノさんはでも、その価格設定じゃないところで、

ハタノ
今はね。
それは流通の流れっていうのがあって、紙を漉いて組合に卸して、組合から問屋に行って、問屋から小売店に行って、お客さんに行くっていうので、中間にけっこういろいろ入ってるわけじゃないですか。それを取っ払って直にお客さんに行ってるから、同じ紙を漉いたんでも利益率は高いんですよ。
それをやんなきゃダメだなっていうので、10年ぐらい前から取り組んできたんですよね。

それをやるきっかけっていうのが、このあたりは農村で、コメ農家さんがたくさんいるんだけど、コメ農家では食えない。けど「コメ農家で食わなきゃ」っていう人がいて。
10年ぐらい前に「まあ僕もこのままやってても紙漉きで生活できません」ってその人に言ったときに、「おまえ、直売しろ」みたいなことを言われて。「中間搾取なんか取られるな。意地でも直売しろ。努力したら自分でお客さん得れるんやから」みたいなこと言われて。
それから努力しだした。

岩田
直売できるようになるために、どういう方法をとったんですか?

ハタノ
最初は手づくり市ですよね。ものを作って、手づくり市でそれを売りに行って。

岩田
どちらのほうですか?

ハタノ
京都の手づくり市に売りに行ってて。
ほんとにこつこつですよね。
1万円売れた。「ガソリン代とか制作費とか計算したらゼロや」みたいな。「帰り、飯食えないな」とか。
なんかそんな感じでやってて、そのうち「クラフトフェアみたいなのがあるよ」って友達から聞いて、そっちのほうがもうちょっと売れるんちゃう、っていうので、クラフトフェアに行きだして。

岩田
そういうことを続けるなかで徐々にファンがついてきたっていうことですね?

ハタノ
そうですね。
僕らのものを好きな人がいるところがどこにあるのか、それまでは知らなかったわけです。
求めてる人通りの多いところへどんどん近づいて行ったっていうのがクラフトフェアで。
で、そのうち展覧会もやりだして、そういうことをどんどんやりだして、

岩田
展覧会は声がかかって?

ハタノ
声がかかって。
そこから設計士さんとも出会うようになって。
僕がほんとにやりたかった内装みたいなところにも近づいてきて、で、お客さんも知ってるし、工務店さんも知ってるし、設計事務所さんとも知り合いになって。
そんなこんなで徐々に増えていったっていう状況なんですよ。
もちろんホームページでもどんどん宣伝したし、ありとあらゆることをやって。
昼は紙を漉いて、夜は制作しつつ宣伝して、っていうことをやって、なんとかここまでこれました、っていう感じですかね。

岩田
うーん。そうなんですね。

ハタノ
でもやっぱり厳しいは厳しいんですね、和紙の世界って。
一回消えかけた素材なんで、それを復活させるにはどうしたらいいのか、っていう厳しさもあるし。
和紙を使ってる人があまりにも少なくなってしまったので、そこからの声があがらないから自分から言っていくしかしょうがない、っていう厳しさもありますね。



次回(最終回)へつづきます。

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