「養蜂で里山を再生する」豊増洋右さんインタビュー その1

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「養蜂で里山を再生する」豊増洋右さんインタビュー その1

木更津でオーガニックファームを作り上げ、今、市原で212ヘクタールの休耕地を養蜂という切り口で再生させようとしている日本リノ・アグリの豊増さん。農業を現代の仕事として成立させるためにずっと活動を続けてきました。インタビュー第1回は、里山が荒れることの意味、そして農業=産業として飯を食う、その現実についてのお話です。

豊増洋右さんインタビュー その1

豊増 洋右(とよます ようすけ)1976年、佐賀県鳥栖市生まれ。
東京大学文学部卒業後、経営コンサル会社「日本LCA」入社。農業分野のコンサルタントなどを経験する。2008年、一般社団法人「ap bank」に入社。オーガニックファーム「耕す 木更津農場」を作り上げる。17年、日本リノ・アグリ株式会社の経営企画室長に。持続可能な循環型農業の創出をしている。

里山が荒れる。それってどういう意味?


豊増 洋右(以下、豊増)
僕らはもともと農地再生をしようということでこの活動を始めてるんですね。
見ての通り、杉林と竹林だらけで。
昔はたぶんきれいな里山だったと思うんですけど。
このままいくとただ荒れていくだけなんです。

岩田 和憲(以下、岩田)
その「荒れる」っていうのはどういうことなんです?
そもそも自然じゃないですか。
それを「荒れる」って言うのは、人間が「荒れる」って言ってるだけで、

豊増
鋭いですね。

岩田
いや、僕が知らないだけなんですよ。
理由がありますよね? 管理する理由が。

豊増
つまり、「最初から人間がまったく触ってない自然」は荒れないんですよ。
でも、一度人間が触ってしまったものはバランスを保ちながら使っていかないと荒れるんですよね。
農地とかこういう里山も、僕らの何世代も前の人たちが何らかの事情、何らかの人間の都合で一回、自然から借りて使わせてもらったわけじゃないですか。

岩田
はい。

豊増
何でもそうなんですけど、借りたものはいつでも使えるように返しましょう、っていうことです。
このあたりは戦後に杉檜をいっぱい植えたんでしょうね。
でも手放しちゃうと、結局、森が真っ暗になってしまって、

岩田
真っ暗になる?

豊増
針葉樹って一年中葉っぱが茂ってるから、杉林って真っ暗になっちゃうんですね。
真っ暗になっちゃうとほかの動植物が育たない。そうなると生物の多様性が単調になってしまって。
中にどんぐりとか食べられるものもできないので、イノシシが里に下りてきて…みたいな。

岩田
なるほど。

豊増
確かに人間の目線から見た「荒れる」っていうのと、地球の時間から見た「荒れる」っていうのとでは微妙に違うんです。
ただこういう房総台地、洪積台地は地盤が安定してるから3,000年も前から人がここで暮らしてるんですよね。
一度人が触ってしまったからにはメンテを続けないと、っていう意味合いでの「荒れる」ですね。

養蜂というソリューション


岩田
にしても、それをまた人の手で維持するのは大変ですよね。

豊増
そうなんです。大変で。しかもここは特にひどくて。
なんだかんだで都心に近いじゃないですか。

岩田
はい。

豊増
バブルの前後ぐらいにこういうところの土地を買い漁ってベッドタウンにしようという動きがありました。虫食い状に買われちゃったんです。でも結局、宅地にならずそのまま時間が止まっちゃって。
それが今回、縁あって大企業さんから敷地を全部譲り受けたんです。で、「なんとかお互いに責任を果たしましょう」っていうことで、今、里山、農地の再生をやろうとしてるんです。
狭い畑を一枚づつやる農業では食べていけない時代になってしまったけど、こういう農地がまた使える時代がくるかもしれない。「そのときまで何とか現状維持する方法は?」っていうので、悩んで、悩んで、結果、出てきたソリューションが養蜂だったんですよ。

岩田
ああ、なるほど。

豊増
お花畑にして、なるべくいろんな種類の樹を植えて。
ただ樹を植えてるだけじゃボランティアで終わっちゃうので、ミツバチに蜂蜜を集めてもらってそれをお金に変えて何とか生きていこうっていう。
苦肉の策中の苦肉の策なんですけど。
でもそれをやることで里山に耐性が生まれていく。
当然広葉樹も植えるから、どんぐりも落ちてイノシシもそれを食べ、里には降りてこなくなる。
そこを何かひとつ始めてみようっていう。

産業として飯を食う、ということ。


豊増
趣味の養蜂の人って最近けっこう増えてきてるんですけど、循環型社会っていうときに、経済の循環ってやっぱり大事ですから。

岩田
はい。

豊増
どういうふうに経済循環を実現するかってなると、趣味じゃなくて、ちゃんと飯が食える養蜂。なおかつ、この地域のためになるやり方っていうのを目標としてて。
木更津で農場やってる時(*)もそうだったんですけど、「地域おこしをしたい」みたいな動機の子だと、難しいんですよね。やっぱり勝っていかなきゃいけない商売なんで。
どっちかというと「ただがっつり稼ぎたい」っていう子の方が伸びるんですよ。

*木更津で農場やってる時 … 千葉県木更津市にあるオーガニックファーム「耕す 木更津農場」の場長をしていた時のこと。同農場は2010年、一般社団法人ap bankの出資で設立された。持続可能な循環型有機農業を展開し、同市がオーガニックなまちづくり宣言をする動因となるなど、ムーブメントを生み出した。

岩田
地域おこしで「いい人」をやってたらあかん、ってことですよね。
「いいことやってる」じゃなくて、実際的な効力ですよね。

豊増
そうなんですよ。
「大自然の中で仕事がしたい」みたいな子も来ますけど、なかなか難しいですね。

岩田
しかし、結構、応募がくるんですね。

豊増
いやあ、思いのほか応募はたくさんありましたね。
オーガニックファームで都心のレストランとか、有名な高級食料品店とか自然食品店などで扱っていただけるものを作ってたから、そういうのに憧れてる方は多いんだと思います。
でも「食生活とかほとんどオーガニックです」みたいな子がね、農場での仕事が案外続かなかったりするんです。
やっぱり農場っていっても、場所が自然界にあるだけであって、産業であって、工場ですから。

岩田
なるほど。

豊増
朝から晩まで分刻みなんですよね。7時に来て7時3分でこれやって7時5分にこれやって。あの子がやると3分かかるのが、あのパートのおばさんがやると2分で終わるから、みたいな。
そんな世界でやってるじゃないですか。
それでやってぎりぎり、やっと黒字が出るっていう世界ですからね。

「耕す 木更津農場」の立ち上げ


岩田
もともとは経営コンサルをやられてたんですよね?

豊増
そう。経営コンサルをやってて。

岩田
農業のコンサルを?

豊増
農業専門のコンサルタントと、あと、自動車業界の仕事をやりながら。
そのときに小林武史さん(*)と知り合ってap bankに入ったんですよ。

*小林武史さん … 「ap bank」の代表理事で、音楽プロデューサー。元Mr.Childrenのプロデューサー。

岩田
招かれたんですか?

豊増
招かれた、ということなんだと思います。突然、エージェントを名乗る人から電話かかってきて。「会ってみませんか?」みたいな。
それで半年ぐらいかけて転職して。
小林さんと「農業で本質的なことやりたいね」ってことで、「じゃあもう東京から行けるところにオーガニックファームを作りましょう」っていう話になって。
たまたま木更津でそういう農場に出会ったんですね。

岩田
耕す(*)ですよね。

*耕す … 「耕す 木更津農場」のこと。

豊増
耕す、です。
そこで農場の設立から8年。それはいろいろ失敗もしたけど価値のある、いい経験で。
その農場を立ち上げるときにお世話になったのが中村社長(*)だったんですよ。地元の地権者の人たちと仲良くしたりとか、農場の造成みたいな工事まわりとか。

*中村社長 … 千葉県袖ヶ浦市の造園会社「生光園」の社長で、日本リノ・アグリの代表取締役、中村伸雄さん。

まあ、最初は5年ぐらい赤字が続いたんですけど、そのあと2期連続で黒字になって採算化して。もう後輩に任せて大丈夫ってなったときに、中村社長が「市原のほうを手伝って欲しい」って仰ってくれたから、「じゃあ今度はこっちを頑張ります」っていうことで、今に至るんです。

次回に続きます。

この記事のライター WRITER

岩田和憲

グラフィックデザイナー。言葉と写真もデザインも同じものとして扱っています。元新聞記者。元カメラマン。岐阜県出身。 https://www.iwata-design.com/