「養蜂で里山を再生する」豊増洋右さんインタビュー その2

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「養蜂で里山を再生する」豊増洋右さんインタビュー その2

日本リノ・アグリの豊増さん。農業を現代の仕事として成立させるためにずっと活動を続けてきました。インタビュー第2回は、酪農家に生まれて味わった苦労、そして農業再生のために生きようと人生の舵を切った、そんな若いころのお話などです。

豊増洋右さんインタビュー その2

豊増 洋右(とよます ようすけ)1976年、佐賀県鳥栖市生まれ。
東京大学文学部卒業後、経営コンサル会社「日本LCA」入社。農業分野のコンサルタントなどを経験する。2008年、一般社団法人「ap bank」に入社。オーガニックファーム「耕す 木更津農場」を作り上げる。17年、日本リノ・アグリ株式会社の経営企画室長に。持続可能な循環型農業の創出をしている。

蜂が住めない世界では人間は住めない


岩田 和憲(以下、岩田)
リノ・アグリにはap bankは関わってないんですか?

豊増 洋右(以下、豊増)
関わってないですね。

岩田
同じような精神ですよね?

豊増
もちろん。
僕が来たからにはそういう精神をこっちにも少しづつ根をはっていこうと思っているんです。
事業って、共感してもらえるようなものがないと難しいかなと思ってて。

岩田
そうですね。

みつばちの巣箱を作るスタッフたち。日本リノ・アグリ「おひさま耕房」にて。

豊増
「袖ヶ浦の造園会社と東京の大企業がお金を出し合って植物工場とソーラー発電をやりました」 っていう話だと、たぶん地元の人って共感できないと思うんですね。
だからちゃんとビジネスとして成立しながら、「この人たちが来てくれてよかった」って地域の人たちが思ってもらえるような事業をしなきゃね、って。
それに対して中村社長が出した「養蜂をやる」っていうソリューションは、完璧に理にかなってるんですよ。
地球全体としても蜂がだんだん住めなくなってきてますし。
蜂のことを勉強すればするほど、そもそも蜂が住めない世界では人間が住めるはずがない、っていうことがだんだんわかってきて。

岩田
どういうつながりがあるんですか?

豊増
食べ物が得られないんですよね。受粉が行われないので。
フルーツはまず実がつかないですよね。トマトやナスも実がつかないですよね。僕らが食べてない植物たちも蜂による受粉で子孫を残していてそれで生物多様性が保たれて、いわゆる僕たちの心地よい自然っていうのがあるわけですよ。
蜂がいなくなったら僕らはパンダみたいに竹だけ食って生きていかなきゃいけない、みたいな話なんですよ。

“ONE DROP FARM(ワン・ドロップ・ファーム)”


豊増
この市原市北東部、市東地区でやってる僕らの活動と地元の人たちの活動を総称するようなブランド名を1つ作ろうということで、「ONE DROP FARM(ワン ドロップ ファーム)」っていう名前にしようか」っていう話を今してるんですよ。

岩田
ええ。

休耕地に並んだみつばちの巣箱

豊増
蜂が集めてくる蜜は一滴一滴かもしれないけど、集まると何十リットルっていう蜂蜜になる。
「点滴岩を穿つ」っていう僕の座右の銘からきてるんですけど、ぽたぽた落ちる雨垂れもいつか大きな岩に穴をあけてしまうように、一人一人はたいした才能はなかったりするかもしれないけど、みんなが同じ志で集まれば山も動くよっていう希望。
逆に、一滴の農薬とかね、一本の木を無駄にするとかね、ひとつひとつをおろそかにすると大きな自然でも壊れちゃうよっていう戒めの意味。
そういうダブルミーニングがあって。
あとドロップっていう言葉には「降りる」とか「落とす」っていう意味があるんですけど、「資本主義経済のなかで背負いすぎてしまった荷物を少し降ろそうよ」っていう意味もあって。
「一段低いところに一回降りて、低いところからもう一回景色を見てみようよ」って。
僕らも実際、蜂を飼い始めてから蜂の目で世の中を見るようになったんですよ。

岩田
うんうん。

豊増
だからね、こう歩いていると「ここに山茶花が咲いてるよ」って教えたくなる。
そうすると雑草が雑草に見えなくなってくる。
君たちには君たちなりの理由があってそこにいるんだねっていう。
相手に理解してもらおうと思ったら相手の言葉で話さなければいけないじゃないですか?
その感じを今、蜂に教わってる感じがして。
こんなややこしい話を蜂蜜のラベルとかに表記するわけにはいかないけど、この感じが、蜂蜜を味わってもらう人にまで伝わればいいなあと思ってね。

岩田
そういうことは、少しずつ伝わると思いますよ。

豊増
まあそんな気持ちで、この地域全体の里山をひとつのバーチャルなファームに見立てて、竹藪をどうするか、針葉樹をどうするか、畑をどうするかっていうことをひとつひとつやっていければなあと思って。

鎌足小学校給食プロジェクト


豊増
木更津では廃校になりかけてる小学校があるんですけど、地元の人たちが頑張って、給食の地産地消を始めたんですね。

岩田
鎌足小ですか?

豊増
はい。
今、全校生徒が84人で。今の1年生が6年生になるころには全校生徒数が60数人になるんですね。
実はこのプロジェクトは、地元のお米農家さんの他愛もない一言から始まったんですよね。

岩田
どんな一言だったんですか?

豊増
「俺の夢は、うちの子どもたちが通ってる小学校の給食の食材をぜんぶこの村で集めることだ」と。「なぜならば…」そう言ってダンボール紙に、

岩田
ダンボール紙ですか。

鎌足小学校給食プロジェクトを特集紹介する「広報きさらづ」

豊増
6年後までの生徒数の予想っていうのをペンで書いて。
そのとき、そうやってその農家さんが言ったことで、「わたしも実はそう思ってたの」みたいなインフルエンスが起きたんです。
じゃあなんとかして廃校を食い止めようってことで、「給食が美味しくなったらいいんじゃないか」ってことで、地元の仲間と学校給食プロジェクトを立ち上げて。
そしたら地元の直売所のおじさんが本気になってくれて。
最後は物流がネックだったんですよ。「誰が毎日運ぶんだ?」って話になって。「それならうちの倉庫からバイトが持っていくよ」と。
今ね、鎌足小の給食は50%以上、その村でとれた食材です。

岩田
すごいね。

豊増
さらに給食の残菜はバイオマスタンクでメタンガスにして、消化液を瓶につめて家庭菜園に使ってもらう。
そういうのをやったら環境省のモデル事業にしてくれたり。
今ね、移住して鎌足小学校に入りたいっていう家庭が何組かいるんですよ。

岩田
移住までして入りたいって、給食で、ですよね?

豊増
給食で。
僕らにしてみれば、こんなに嬉しいことはないですよ。

「広報きさらづ」より

酪農家に生まれて


岩田
豊増さんがもともと農業に興味を持ち始めたきっかけって何ですか?

豊増
やっぱり農家に生まれたからだと思いますね。

岩田
佐賀県ですよね。

豊増
佐賀県の酪農家の長男に。
今日(12月26日)がちょうど親父の誕生日なんですよ。僕が小学校あがってすぐ、7歳のときに死んで。当時20頭の乳牛と、莫大な借金と4人の子どもを残して。
まあ、そこで何を血迷ったか、うちの母はさらに借金をして牛を増やす方向へ行ったんですよね。

岩田
ほお。

豊増
当時、牛とか牧場を売っちゃえばひょっとしたら借金はなくなったかもしれないけど、それで自分が細々とパートに出たところで子ども4人を学校へやることはできない、と思ったんでしょうね。
50頭まで増やして、気がついたら鳥栖市の酪農組合の中で一番乳量の多い酪農家になって。

岩田
すごいね。

豊増
うん。家族で朝から晩まで働きましたよ。
子ども4人と母しかいないからね。しかも男は僕しかいないでしょ。

岩田
働きながら勉強してたんだ。

豊増
働きながら勉強してました。
自分も心の底から「農業なんて絶対にやりたくない」と思ったし、親は親で「間違っても農業なんか継ぐなよ」って言いますよね。
僕らの世代の農家ってみんなそうじゃないですか。あるいは漁師さんや林業もそうだと思いますけど、「間違っても親の仕事は継ぐなよ」って言って子どもを学校へ行かせる。
まあ自分もそのつもりで。
たまたま地元に進学校があったので、そこへ行って勉強して。

進学と就職


豊増
でも高校に入ったぐらいのころに、ちょっと違うなと思うようになって。

岩田
受験勉強みたいな世界がですか?

豊増
いや、そのときは僕も受験勉強して。
親戚の人から「頑張って勉強して東大入って官僚になれば、天下りっていう素敵なシステムがあって親戚みんな幸せになれるから」みたいな話を聞かされて。

岩田
確かに素敵なシステムですよね。

豊増
まだ世間知らずだから僕も「ああ、そうなんだ」と思って、中学校ぐらいから本気で目指してたんです。
で、進学校に入って、それが手に届くところにあったんですよね。

岩田
うん。

豊増
なのに、違うなと思うようになって。
やっぱり女手ひとつで牛50頭飼って子ども育てて酪農やるって、無茶じゃないですか。
周りの人がいっぱい助けてくれたんです。
助けてくれた人たちも同じように、あるいはもっとひどい苦労をしているわけですよ。

岩田
うん。

豊増
いちばん助けてくれた人は今でも忘れない、いわゆる被差別部落の人で。そういう人の苦労も間近に見たりしてきたわけで。
自分の親とか家族とか仲間とかがそうやって命がけでやってる仕事を、子どもが継げないのは寂しいなあと思って。

岩田
うん。

豊増
やっぱり、農業を継ぎたいと思えるような仕事にする。そういうふうにできる仕事ってないかなと思って大学へ行って勉強してるうちに、経営というものを勉強しないとダメだなってことがわかって、中小企業専門にコンサルティングをしてる会社に入ったんです。

岩田
そうだったんですね。

豊増
3社あったんですよ、農業専門のチームを持ってるコンサル会社って。
そのなかで、いちばんドサ回りさせてくれるっていうので日本LCAに入って。

岩田
ちゃんと一貫してますね。

豊増
そのとき、そのときは、いちいち苦しむわけなんですけどね。
先のこと、どうしたらいいかなっていう。苦し紛れの中で。これからもそうでしょうけど。
ただ、やって無駄なことはなかったんだなとあとになって思えることがたくさんあった。
そういうことだけだと思うんです。

次回へ続きます。

この記事のライター WRITER

岩田和憲

グラフィックデザイナー。言葉と写真もデザインも同じものとして扱っています。元新聞記者。元カメラマン。岐阜県出身。 https://www.iwata-design.com/