陶芸家清水善行さんに聞く「焼き物とお茶の話」その2

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陶芸家清水善行さんに聞く「焼き物とお茶の話」その2

土地の土でつくる。穴窯でつくる。あえて困難の多い昔ながらの作陶を今も続ける清水さん。第2回は、白磁と須恵器に見出した、反時代的ともいえる焼き物の魅力のお話です。

その2「焼き物のかたち」

清水 善行(しみず よしゆき)陶芸家。1966年、熊本市生まれ。
大学卒業後、京都府立陶工専門校で作陶を学ぶ。91年より佐賀県の黒牟田焼、丸田正美窯にて修行。94年、京都府南山城村の童仙房で開窯し独立。地元の土を使ったり、時代変遷で埋もれた焼き物の魅力を再解釈して作ったりと、焼き物の魅力を独自のルーツ的な感覚で提案している。

焼き物に宿るチャームポイント


岩田 和憲(以下、岩田)
李朝の磁器のテイストを引き継いだものを清水さん、作られてますよね。
それっていうのは、李朝の時代の日用雑器ですか?

清水 善行(以下、清水)
雑器も含めてなんですけど。
朝鮮時代の白磁には官窯っていうものと民窯っていうのがあるんですけど、それは支配階級が使ってたもの、それから民が使ってたものっていうんで、窯が違ってたんですよ。
僕が最初に興味を持ったのは、民窯って呼ばれるほうのもので。
でも、官窯のものにもやっぱりいいものがあって。
自分でも「それのどこがいいのかな」っていうのを探りながら、両方を見てる感じですね。
これがそうですね。
李朝民窯風の雑器ですね。

岩田
清水さんの中に、民衆が生活の中で紡ぎ出してきたものに対するリスペクトとか憧れみたいなものがあったりするんですか?

清水
ありますよ。
僕が焼き物の世界に入ったきっかけが民芸だったので。民芸運動の中で取り上げられているようなもの、すごく好きでね。
ただ民芸は民芸でいいんですけど、その理念みたいなものにちょっと自分の中でジレンマを感じるところもあったので、あんまりその中へどっぷりいきたくないなっていうのもあって。
自分の中での民衆というか、埋もれてしまっているもの、面白いと感じるものを、僕は僕の目線で探ってきたっていうのはありますね。

岩田
例えばどんなところが清水さんの感覚に触れるんですか。

清水
昔の作り手もたんに好きで作ってただけではなくて、オーダーがあったと思うんです。そういう需要と供給の問題もあるなかで焼かれてたと思うんですけど、僕が見るかぎり、昔の焼き物にはチャームポイントがすごく散りばめられているんですよ。
いったいなんでそんなことになってんのかな、と。
素材から始まって、かたちを作って、窯で焼くまでの工程でさまざまな工夫がされてるんです。今となっては拙い、生産性という意味でも歩留まりもあんまりよくなかったのに、その当時はその技術が最先端だったわけですよね。
そのなかで陶工たちが知恵をしぼって創意工夫しながらやっているところに、焼き物に宿るチャームポイントがあったと僕は思ってるんですよ。
そこが僕は焼き物の魅力だと思ってるので。
人が知恵を絞って手を加えることで出てくる可愛らしさ。
そこを自分の中でも表現できればな、と思って作陶はしてますね。

重たい白磁をつくる。


岩田
清水さんの器は、わりと厚みのあるものが多いですよね。

清水
それ、重たいですよね。

岩田
なぜ重ためのものを作られてるんですか?

清水
これも磁器なんですけど、僕が最初に出会ったのがこういう李朝の碗だったんですよ。
それを手に取った時、なんでこんなに重たいのかなと実際思ったんですよ。
「これ、ヘタクソが作ったからこんな重たいわけじゃないよね?」と。
これがありな世の中があったというか。
食文化も違うわけだし、朝鮮半島の人たちって器を持って食べたりしないんですよね。置いたまま食べるんですよ。だから重たくてもいいというか。
でも使った後は洗いますよね。洗うのにイヤな重さの限界というのかな。とんでもなく重かったらもう洗うのもイヤやないですか。
でも、これならぎりぎりありなんかなあ、っていう。
で、「日本にこの重さがあるかな?」と僕思ったんですよ。いわゆる日常使いの雑器としてね。
見渡すと、あんまりないんですよ。
これぐらいのサイズ感のもので重たいっていうところに、僕、ちょっと心打たれたんですよね。
この重たさがどこまで許してもらえるのか。ちょっとそれにチャレンジしてみようと思って。
ところが焼き物を勉強してきたなかでも、磁器っていうものを僕はぜんぜん触ったことがなかったんですよ。
で、いきなり磁器をやろうかなと思って磁器の土を取り寄せたんですけど、ド素人になった感じで。
ぜんぜん触った感覚が違うんですよ、粘土とは。

岩田
そのときは土は何年やられてたときですか?

清水
10年ぐらいはもう。

岩田
10年ぐらいはキャリア積んでたけど、初めて磁器の土を触った時は、

清水
ずぶの素人になってしまったんですよ。
でもまあ薄いの作ろうと思ってなかったのでよかったんですけど(笑)
なので、とんでもなく重たいもんができてましたね、最初につくったそのときは。
それを展覧会とかで置くと、もう、拒絶反応を示されるお客さんと、「この重さいいよね」って言ってくださるお客さんと、ほんと両極端なんですよ。
そこに僕は爽快感を感じながら仕事をしてたんですけど。

岩田
(笑)

清水
そうやって白磁を始めたりいろんなものを吸収しながらやっていって、まあ自分の中では少しは進化はしているかなと思うんですけども。
白磁っていっても、明らかに白くないですよね。

岩田
ねずみ色っぽい。

清水
でも、これを白っていうふうに括っていく。白っていうものの許容範囲というのか、そういうのも考えると面白いですよね。
で、韓国の焼き物の友人に僕がつくった白磁を持ってったとき、「なんでこんな清水さんのは重たいんだ?」って。
「いや、おまえ韓国人だったらわかるやろ、この韓国の重みが」と。
「いや、ダメよ、今の韓国ではダメよ、売れないよ」って言う(笑)

須恵器。焼き物のかたち。


岩田
この重たさにも理由があるだろうっていうところですか?
その理由を知ればそのときの人の生活の感覚もわかるだろうっていう。

清水
なんとなくですけど。想像でしかないですけど。
僕は、重たさがもっているかたちっていうのがあると思うんですよ。
厚みがあるから、中のRと外のRが違うんですよ。この違和感がなんとも僕には心地いい違和感なんですよね。
これ、薄づくりだとほぼほぼ中と外のRが一緒なんですよね。
そういうのって、「そやね」「なるほどね」っていうぐらいのものなんだけど、このカーブとこのカーブが持ってる違い。中と外、両方のRを持ち合わせることって、いったいなんでしょうかね。それがものの魅力というか。
でも、今お話ししてることは僕の感性でしかないわけですよ。
ただ、ひょっとしたら李朝の時代にこれを作り出した人たちがいたわけだから、今の時代でもこんな感覚って誰かに通じるものがあるんじゃないかな。
「わぁ、これ、これ!」とかっていう人、たまにいるんですよ。

岩田
この「重たい」以外に清水さんが見いだした視点でほかに作られているものってありますか?

清水
時代背景の中で、もともと青銅器がかたちづくっていたものを真似てできた焼き物があるんですね。それは青銅器が高いもの、高価なものだったから、なんとか量産できる焼き物で作れないかっていうのがあったはずなんですよ。
それが日本でいうならば、古墳時代ぐらいからはじまる須恵器っていわれる焼き物の流れにあるんですけど。
その須恵器がもってるシャープなフォルムとか、こういう地味な色。

最初僕、須恵器って好きじゃなかったんですよ。
ある日突然、なんていうのかな…
焼き物って、ぱっと見のインパクトが強い焼き物、キャッチーなものほど目を引く。で、展覧会してても、そういうものにみなさん目がいくんですよ。

岩田
はい。

清水
そんな表面的なものばかり追い求めてる自分がそのときいて「これじゃいかんな」と。
そうじゃなくて、焼き物ってかたちあるものだから「もっとフォルムを考えて作らないといけない」と。
そうなったとき、華飾なものをどんどん削ぎ落としていこうとしたんですね。

岩田
そこに、須恵器が出てきたと。

清水
はい。
須恵器って、昆虫でいうとカナブンですね。
カナブンって綺麗な色のカナブンと、爺むさい色のカナブンっているじゃないですか。爺むさい色のカナブンなんですよ。
あの爺むさい色のカナブンがもってる味っていうかな。自分のなかでそれを「んんん…」って唸れる感覚になってきてたんですよね。
そのとき、もうほかのをパタッとやめたんですよ。
展示会もモノトーンな世界になっていって。
来るお客さんが「あれ、清水さんの個展やと思ってきたけど…」っていう人もいたり。
それぐらいガラッと変えましたね。

岩田
へえ。

清水
どんどんこういう世界に自分が没頭していくと、かたちが見えてきて、逃げ場がなくなるっていう感じなんですよ。
自然釉がかかって緑色が垂れてる須恵器とかもあるんですけど、僕はあえてそういう須恵器ではなく、こういう素朴な感じを狙って焼いてたので。
そうなってきたときに見えてくるかたちっていうのがある。

岩田
そのかたちっていうのは何か理由がある?

清水
たぶんこの須恵器っていうのは、支配階級が「こういうふうに作れ」って言って作らせていたものなんだと思います。民のものではなかったんですよ。
そして何に使っていたかというと、祀りごとに使ってた。神様に捧げるものっていうのは、妥協を許さないようなものですよ。
そういうことをやってる時代だから、やっぱり研ぎ澄まされてるところがあるんですよ。

岩田
なるほど。

清水
この須恵器の時代が終わっていくと、日本は六古窯 といわれる時代に変わっていって、それぞれの焼き物の産地っていうのでタカが外れるんです。「自分たちの特色で焼いていいんだ」と。信楽だったり備前だったり、それぞれの産地の特徴が出てくるんですね。
それ以前は全国、これ(須恵器)をやってた。
そういう時代背景の中で須恵器っていう焼き物が生まれてたんですね。


次回へ続きます。

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