弓職人から古材の世界へ。古木のセレクター、田村永さんにインタビュー。

インタビュー
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弓職人から古材の世界へ。古木のセレクター、田村永さんにインタビュー。

長野県大町市にある、日本一の規模を誇る古材の倉庫。この倉庫の管理人にして、古木のセレクトを担っている田村さんにインタビュー。異色の経歴に通る一本の筋のようなもの。テープレコーダーを回し、そのまま書き起こされただけの言葉に、職人気質の芯が浮かび上がってきます。

山翠舎、大町の倉庫で古木のセレクトをしている田村さん。驚いたのは、長野の初春、みぞれの降る寒い日に、薄いニット1枚に薄い作業ジャンパーを着てるだけ(写真下)。「寒さには慣れました」という。そのありように驚きながら、お話を伺ううちに、どこかその強さは田村さんのものづくりへの思い、職人気質の芯のようなものと結びついている気がしてきたものです。
そんな田村さんへのインタビュー、異色の経歴と仕事への思いを伺いました。

田村 永(たむら えい)
山翠舎、古材倉庫の管理人。古木のセレクトから古民家解体の取り仕切りなどをしている。1989年、長野県松本市出身。諏訪東京理科大を卒業後、大手ハウスメーカーの営業、弓職人の修行などの時代を経て2015年、山翠舎に入社。

弓職人になる

いわた:田村さん、もともとは何をされてた方なんですか?

田村:大学を出てから、ハウスメーカーの営業をして。そのあとに弓職人の仕事をして。

いわた:弓職人?

田村:ええ。

いわた:異色ですね。

田村:よく言われます。

いわた:長野ですか?

田村:長野ではないですね。兵庫県のほうへ行ってまして。

いわた:どれぐらいやられてたんですか?

田村:3年ぐらいやってましたね。

いわた:なんでまた、弓職人を?

田村:自分で何か作りたいってのがありましたけど、そのなかで、どうせだったら作るのと、もちろん使うこともできないとな、っと思ったんですよ。
弓は高校時代に弓道やってたので、勝手とかもわかるし、それじゃあ弓を作るかと。

弓職人を辞めたわけ

いわた:3年で辞められたのは?

田村:そのときの親方がもう病気で「もう長くねえ」って話になって。で、「もう俺は弟子をとらないから、お前ら好きにしろ」ってなって。
それで、どうするかなと思って。ほかに弓を作ってるとなると、京都だったり、あと竹弓っていうのは、生産でいうと9割がた宮崎なんですよ。竹がそっちのほうがいいのがあるっていうのもあるし、昔からの歴史の流れっていうのもありますけど。
で、「宮崎かあ…」っていうのもあったんですね。

いわた:遠いってことですか?

田村:遠いっていうのもありましたし。…まあいろいろあるじゃないですか、日本ですと弓道連盟だったりとか、そういった団体。商売にかんしてもそういう団体に属さないと、いろいろやっちゃいけないとか、あるじゃないですか。
最初の親方が「そういう団体に属さない、そういうやり方が気に食わない」っていう方で。「値段を揃えなさい」とか、あるんでね。
そういう親方のもとでやってたから、ほかの師匠であった親方は、そういうのに属しちゃっているんで。

いわた:ああ。

田村:そうなると、最初の親方のやり方に反するなあっていうのがあったので、つけないなと。じゃあしょうがねえか、って。
それで仕事どうするかってなって、出身は長野県の松本市っていうところなんで、じゃあ長野へ戻るかなあと思って探してたんですよ。で、いろいろものづくりとか探して。

古木のセレクターに

いわた:年齢的にはいつごろの話ですか?

田村:戻ってきたのが、ここ(山翠舎)に入社する時ですよ。今年28になるから、年齢的には26のとき。
インターネットでIターンとかUターンとか専門で扱っているサイトがあったんですよ。それ見て、ここを見つけて、古材とかやってるし面白そうだな。いわゆるベルト作業じゃないなと。
で、見に来て、面白そうだから入ったんですよね。

いわた:実際、入ってみてどうでした?

田村:やっぱり面白いは面白いですよ。同じ店舗作るんじゃないので、一個いっこ作るものが違うので。
寸法とイメージが、デザイナーさんなり現場監督なりからこっちに上がってきて、柱のものがいいとか、曲がったやつがいいとか。そのイメージのなかで自分は基本的には使う古材を選ぶんですけど、だったらこここういうふうに入れて、こっちはこういうのいれればまとまりついて、こっちはもう別の空間だからこういうのでまとめよう。
そういうのを自分が考えながらできるっていうのが一番面白いです。

いわた:作る仕事もされるんですか?

田村:基本的には作る作業は大工さんですけど、できなくもないです。

いわた:弓職人から古木。共通してるのはものづくり、職人の世界ですよね。

田村:新卒の仕事選びではないのと、自分もフリーだったので、やりたいことをやろうかなと思ってたんですね。古材のセレクトのほかには、古材買ってくれとか、古民家解体したいんだけどとか、そういう話も自分の方で受けてますね。解体もやりますね。

棟梁に憧れて

いわた:古木を扱うなかで、何か物語のようなエピソードが生まれたときってありました?

田村:古民家解体したそのお宅の材料を買わせていただいて、例えば店舗に使いました、で、その店舗の完成写真を撮るじゃないですか。自分は、そういうのって、わかる範囲で、もともとの古民家の持ち主の方に写真をお渡ししているんですよ。
そうするとやっぱり、喜んでくれるし、例えばそれが長野県に古民家を持ってらした方。で、長野県に店舗ができて、だとやっぱり行きますよね。

いわた:ああ。行くでしょうね。

田村:で、行かれて、実際のそのお二方の関係性が始まったってのもあります。

いわた:田村さん、ビジョン持たれてます?

田村:将来のビジョンですか。

いわた:そんなような。

田村:今のところは山翠舎にいる限りは、自分で古材を選んで自分で加工して自分で建てる。今は正直大工さんがいなくてはできない仕事が多いので。それが自分1人でできるには、どうしても現場っていうのは伝達ゲームになってしまうんですね。

いわた:そんなふうにぜんぶ自分1人でできる方っているんですか?

田村:いわゆる大工の棟梁って呼ばれる方は、基本的には大工仕事しかしないんですけど、もちろん古材を選べる目だって持ってます。で、棟梁だから現場を指揮しますし。

いわた:ああ、なるほど。

田村:だったら大工やれよっていう話になってしまいますけど(笑)。ようは自分1人で古材絡みを回せるようになればいいんですけど。

お金の話

いわた:話戻りますけど、ハウスメーカーの営業はなんで辞めたんですか?

田村:つまらなかったですね。

いわた:けっこうとったんじゃないですか?

田村:とったはとったんですけど。最終的に売っても何も嬉しくなかったですね。あ、違ったなと。
よく、やりたい仕事を取るか、お金を取るかみたいな話あるじゃないですか。両方とれればいちばんですけど。
自分、最初、新卒の時、お金をとったんです。某大手ハウスメーカーの営業というお金をとったんです。まあつまんなかったですね。

いわた:それが一転、弓職人のときはお金、入らないですよね?

田村:入らないですね。そのときは修行時代だから親方からは一切もらってなかったので。生活費はバイトで稼ぎました。

いわた:ああ。

田村:親方が出してくれるのは、ちょっとした道具をくれるとか。それと、あとは朝と昼の飯だけ。あとはぜんぶ自分でやる。

いわた:月どれくらいで生活されてたんですか?

田村:月15万は稼いでました。でも家賃とか食費とかぜんぶ含めて月7万で生活してました。

いわた:えっ?

田村:はい。家賃3万500円のところに住んでて。

いわた:月8万円貯金してるじゃないですか(笑)。

田村:はい。

いわた:お酒は飲まずに?

田村:お酒の1人飲みはしないですね。店も基本的には行かないし。そのときのバイトも、いわゆるコーティング屋さんでバイトしてたんです、車の。研磨から、いろんなことをやる。
なんだかんだそこも職人肌なところで、一瞬、そっちへ行こうかなと迷ったこともありましたね。

いわた:ずっと職人畑なんだなあ。

これで田村さんとの話は終わりです。
お読みいただきありがとうございました。

この記事のライター WRITER

岩田和憲

グラフィックデザイナー。言葉と写真もデザインも同じものとして扱っています。元新聞記者。元カメラマン。岐阜県出身。 https://www.iwata-design.com/