デザイナー小林敬介さんインタビュー vol.2「アートとデザイン」
デザイナー小林敬介さんインタビュー vol.2「アートとデザイン」
内装・建築のデザイナーとして30年以上のキャリアを持ち、古木を使った内装デザインでも数々の名店を手がけてきた小林敬介さん。インタビュー連載2回目は、アートとデザインについて…何がアートで、何がデザインなのか、そのあたりについてのお話です。
目次
第2回「アートとデザイン」
小林さんがデザインした、静岡県焼津市にある小林さんの実家。
小林 敬介(こばやし けいすけ)内装・建築デザイナー。 1963年、静岡県焼津市生まれ。 東京のデザイン専門学校に進み、人生を知るためにと葬儀屋や汚物処理など人が嫌がるバイトを数々体験。卒業後は店舗に住宅、内装・建築と、デザイナーとして今日まで30年以上のキャリアを持つ。古木を使った内装デザインも多数手がけている。 |
この道でやっていく、と学生時代に決意する。
小林
さっきの話で、なんでそんなに上から見てるのっていう話ですけど、アートが好きだったので、アート的な発想でいくと、デザインってまあ、考え方ね、
いわた
そうですね、ベースが。
小林
特にそのころ周りにいた芸大の人たちの話だと、芸大を出てデザインをやってる人っていうのはランクが下なんですよ。
いわた
ああ。
小林
おまえ、ドロップアウトしたのかと。そういうふうな風潮があって。僕もそっちのほうの考え方だったんですね。
なので、まあ、商売として図面を書いたらお金がもらえる、それでそっちになったっていうだけで。
本当は僕、いちばんやりたかったのはファッションデザイナーで。
いわた
ああ、そうなんですね。
小林
もともとはね。
あと食べることがものすごい好きなので、料理人になるか。
で、内装とかも好きだったので、まあ3つ目にデザインだと。
いわた
3番目だったんだ。
小林
なんだかんだでそれをずっとやってるっていうのは、われながら偉いなとは思いますけど。
いわた
うん、偉い。
小林
30年ぐらいやってるんですから。
内容がいい悪いは別として、やり通したっていうのは偉いなって、そこの部分は、
いわた
自分でも意外ですか。
小林
いや、よくやってるなと思って。
実は学生のとき、僕はこの内容で10年、20年、30年やっていけるかどうかを問うたんですよ。「おまえ、ほんとにやれるか?」と。で、「やれる」と。その決意をしたんですよ。
いわた
早い時期に決意しましたね。
小林
決意したんですよ。
だったらもう、ほかのことをしない、この道を続けるっていうのを10 代のときにしたので。
いわた
へえ。
病気も先端を行く…
小林
専門学校、みんなそんなところへ入ったって、結局はいろんなところへ行くわけですけど。
何百人と学生がいても、僕みたいな考えの人は誰もいなくて。
だからみんなクソだなと僕は思ってたんですよ(笑)
いわた
(笑)
小林
ほんとにそのころは人を人と思わないで、ダメなやつはダメだと徹底的に言って。相手が鬱に沈むくらいまで攻撃的で。あんまりいい人ではなかったな(笑)
いわた
それがどういうわけか、イタコになった。
小林
そう。
いっとき、あまりに一生懸命仕事やりすぎて病気になったんですよ。20代後半くらい。パニック障害になっちゃって。当時はどういう病気かわからないっていう状況だったんですけどね。ぜんぜん治らなくて。
当時、自然食品関係の仕事もいっぱいやって。そういうところにくるお客さんで、「あなたのような症状の人がいっぱいいるんだ」っていう話を聞いて。そういうのが今、世の中で増えてるんだなっていうのを知って。先端の病気なんだなと思って。
いわた
先端ですか。
小林
過呼吸で救急車で運ばれたりもしましたし、いろいろなことがあって。ああ、人ってあんまり強くないんだなっていうことが初めてわかって。
で、目線を下げるようになって。
いわた
その病気を乗り越えたときに変わってたということですか?
小林
変わった。
いわた
デザインも?
小林
デザインの作風が変わったってことはないですけど、精神的な部分で。
いわた
なるほど。
アートってなんだろう
いわた
小林さん、結局、今もアーティストをやってるという意識はあります?
小林
ない。精神的な部分でいえばアートが好きだけど、線引きしてる部分はありますね。
やっぱりいろいろやってきたなかで、僕は職人なんだなと思ったんですよ。有名になるとかではなくて、ただ作るものにおいて、それがある。たとえ日用品でも、それが職人のプライドみたいなもので。「用の美」っていう民芸の考え方があるんですけど、そういうようなことなのかなって思うようになってきて。
いわた
はい。
小林
だから実用的でありながら、きれいなものであったり、いいなって思えるもの。そういうものがいいなと。またそういう技術を極めていくと、職人の工芸品のような、アート的なものにもなっていくのかな、という気もあるんですけどね。基本は職人なんだなっていう気持ちはありますね。
いわた
ペザントアートっていう言葉があって、農民家具とか訳されるんですけど、農民、というか庶民ですよね、庶民が口笛吹きながら自分の家の家具は自分で作る、みたいな。昔の人たちの生活から生まれるもの、民具ですよね。あれ、英語でいうとペザントアートなんですよ。
小林
アート、なるほどね。
いわた
僕もアートって本当はそういうことなんだろうなと思ってて。
民具、すごじゃないですか。
小林
そうね。かたちとかも考えられないようなものでありながら機能を果たしてるっていうね。
いわた
しかも自分の半径数十メートル以内の素材で作ってしまう。僕は天才としか思えないですよ。ああいう技術は今、急速に失われてる。
小林
そうだね。便利なものになってくるからね。
いわた
本当はあれがアートであって、個人が自分の意志で自分を立たせようとするのは、アートではないと僕は思ってて。
だから、アートをやりたいと言ってて、要は、本質的なことをやりたいわけですよね。
小林
本来はそうですね。だからアートっていう意味において、もうひとつ前段階にあったのは、宗教みたいなものにすごい興味があったので。
いわた
そういうことになりますよね。
小林
宗教的なものとか哲学的なものを当時読みながら、何なのだろうと。形ではなく、
いわた
概念ですよね。
カタチか、プロセスか?
小林
当時、ヨーゼフ・ボイスっていう人が「コヨーテと一週間暮らす」とか。そういうかたちのないようなものをアートって言ってて、何なんだろう、と。そういうものに傾倒してたことがありましたね。
だから形っていうものはどうだっていいんだけど、経過。デザインも実際問題は経過なんだけど。プロセスの結果、形になったかもしれないけど、その形をデザインっていったりするかもしれないけど、本質は経過だったり考え方だったりで。そこの部分が本来はアートというところなのかな、と思うんですけどね。
いわた
ほんとうは小林さんは何も変わってないのかな、と思うんですけどね。
小林
まあ、だから(笑)
いわた
イタコという表現も宗教だし(笑)
小林
要は、自分なりの解釈と社会を辻褄合わせて、こういうふうにしてるのかもしれないですね。
だからスタイルというものが特にあるわけではないんですよ。
これはデザイン事務所の人のかわいそうなところでもあるんですけど、デザイナーになりたい、だから現代的なものをやる、カタチでやる、それでちやほやされる。まあ、かっこいいじゃないですか。
いわた
はい。
小林
実際、そういう方向に行くのをイメージしてデザインをやる人が多いのかもしれないけど、
いわた
ですね。
小林
まあ、そうじゃないよっていう本質みたいなところを、いろんな人たちとのコミュニケーションのなかで築き上げたところはありますけどね。
次回につづきます。