小谷村創生。幾田美彦さんインタビュー後篇「脱・箱物施設」

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小谷村創生。幾田美彦さんインタビュー後篇「脱・箱物施設」

高齢過疎化が進む長野県小谷(おたり)村で、地方創生的な仕事を展開する幾田さん。インタビュー後篇は、箱物化をいかに防ぎ、地方に新しい力を呼び込むか。その実業的な眼差しにフォーカスします。

後篇「脱・箱物施設」

幾田 美彦(いくた はるひこ)株式会社道の駅おたり、株式会社おたり振興公社代表。
1960年、大阪市生まれ。同志社大学工学部中退。
スキー好きが高じ、81年、21歳で大学を中退して長野県小谷(おたり)村に移住。冬はスキー学校のアシスタント、夏は山のガイドとして38歳まで過ごす。
98年、有限会社道の駅おたりに入社。2009年には同社代表となり株式会社化。全国でも有数の道の駅へと成長させる。
14年、道の駅での仕事が評価され、栂池自然園、同園ビジターセンター、温泉宿泊施設などを運営管理するおたり振興公社の代表に就任。
過疎化が進む同村で、観光施設の改変などを通して地方創生を進めている。

公共施設が箱物化する理由


岩田
公共施設や、道の駅のような半官半民的な施設は、だいたい箱物化するパターンが多いと思うんですけど、何がいちばん違いますかね?
箱物化してしまうものと、そうでないものとは。

幾田
それはもう、何もしなくてお金もらえるって、最高だと思いませんか?

岩田
最高ですね(笑)

幾田
あと、もう一つは、仕事をしてて怒られない。

岩田
いいですね(笑)

幾田
とにかく職場の中で従業員同士でも怒られない。お客さまからも怒られない。で、楽をしてお金をもらえる。
こういうのが、はっきり言って、3セクとか財団法人とか、「儲けなくてもなんとかなるさ」っていう行政絡みの組織のスタンダードですからね。

岩田
そうなってしまうんですかね。

幾田
なりますよ、絶対。
38までプー太郎をしてた僕が、いきなり道の駅でお勤めになった。その瞬間、「えっ、毎月これでお金もらえるの?」って、びっくりですよ。

岩田
フリーランスだと自分で仕事をもらわないといけないですからね。

幾田
そうなんですよ。チャンスとかに対して必死になるじゃないですか。人の出会いとかに対しても。

岩田
そうですね。

幾田
何もしなきゃ、本当に何もなくなる。
さっきの山のガイドもそうだけど、人よりいい仕事をしないと次がない。
でも組織に入ってお給料もらう立場になると、よっぽどヘマをしないかぎりはある程度はお給料もらえる。
さらに半官半民みたいな組織になると、もっとひどい。

「脱・箱物」を目指しリニューアルした栂池ビジターセンター。
案内標識にレストルームなど、サインシステムもリデザインした。

岩田
意識改革ですか?

幾田
まずは意識改革をしないといけない。
次は組織改革をしないといけない。
道の駅の仕事をしてるときもそうだったんですよ。
2年目に、「給与賃金の体系を変えたい」と。僕自身、「会社勤めってこんな楽なのかな?」と思うじゃないですか。なおかつ3セクなので、みんなそれなりに甘えをもって仕事をするわけですよね。
「どう考えても、この会社潰れますよ」と。
給料もらえるから、みんな努力しないわけですよね。売り上げも上がらないし、かといって役場の給与体系を模倣してつくった流れなので、毎年、お給料は上がると。ちゃんとボーナスも出ると。それも成績とかあんまり関係なく。
とんでもないでしょ?

岩田
(笑)

幾田
10年後のお給料、どれだけ膨らむんだと。10年後に、それに見合うだけ売り上げがついてくるわけではないと。「もし会社を健全にしたいなら、お給料の仕組みをちゃんと考え直したほうがいいと思う」って村に提案したんですね。
そのときの副村長さんが、「おまえ、面白い。やってみろ」と言ってくれて。

小谷村のオリジナル商品を作る。


岩田
今日、道の駅へ行ってきたんですけど、小谷村って人口3,000人未満ですよね。3,000人未満なのに小谷村の商品が本当にいっぱい置いてあって。これは確かに魅力的だなあと。

小谷で育った野ブタで作ったカレーとか、

レストランのテーブルに置かれた調味料まで、小谷産だったり。

幾田
そういうふうに見せるのを、道の駅では一生懸命頑張ったんですよ。

岩田
へえ。

幾田
実は小谷村って、農作物も果樹も目立ったものがなく。
でも、お客さまは旅をしたときに、その地域の食べ物とか文化とか、自分たちが毎日住んでいるところとは違う非日常感のある体験をしたい。

岩田
そうですね。
素材は小谷のものとして、加工はおもに別のところでやってるっていうことですか?

幾田
そうですね。
例えば地元でお漬物を作りましょうってなったときに、地元だけで本当に美味しいものができればいいんだけど、なかなかそんなわけにはいかない。
そうすると、いい仕事をする老舗のお漬物屋さん、こだわりのあるお漬物屋さんへ、レシピとこっちの思いを持ち込んで商品化したほうがいいものもできるし、お客さまもここでしか買えない、小ロット的な流れも作れる。

岩田
幾田さん、けっこう企画もされるんですよね?

幾田
あそこの道の駅の商品のほとんどは、僕が企画したものですね。

岩田
ああ、そうなんだあ。
サイダーとか。

これです。栂池高原の湧き水で作ったという「つがいけ雪どけサイダー」。

幾田
サイダーもそうだし。お酒も。

岩田
雨飾山。あれもそうなんですね。

幾田
そうですね。

岩田
あの見せ方はいいですね。ずらっと格子状に並んでる、

これです。ディスプレイされた雨飾山。

幾田
面白いでしょ。

岩田
かっこいいなと思って。

幾田
小谷村っていうのは、お酒の…

岩田
杜氏さんの歴史ですね。

幾田
杜氏さんがたくさんいたんですね(※)。

※杜氏さんがたくさんいた … 酒造りの職人、杜氏。小谷村には昭和20、30年代の最盛期には400人もの杜氏がいたと言われます。全国の品評会でも高い評価を得、小谷杜氏として知られていました。

幾田
小谷には酒蔵はないんだけども、小谷杜氏のいた酒蔵がよそにたくさんあって、いろいろオリジナルのお酒を作るのに話がしやすいんです。
今回はその、「雨飾山の棚田で作ったあきたこまちでお酒を作ってみたいんだ」って持ち込んで。
そのときにはもうこの瓶でって決めてたんですよ。アンティーク瓶といって、一本ずつ手づくりの瓶なんですよね。300円するんです、瓶だけで。

岩田
へえ。

幾田
これで作ったら絶対売れると思って。

岩田
うん。かっこいい。

雇用をうみだす。


岩田
どこかまちづくり的な仕事になってきてる感じもしますね。

幾田
そうですね。なぜかしらそっちのほうへシフトしてきている。
まあ、雇用活性っていうのがいちばんですね。
夏場になると70人ぐらい雇用しているんですよ。それだけの方たちが働ける場所でもあるんです。ひょっとするとそのなかの1人は、じいちゃんとばあちゃんと嫁さんと子ども、5人ぐらいを背負って働いてるかもしれないし。
それは僕がいつも責任を感じてるところで。
あと来年に向けて今手がけていることに、村と道の駅で出資する食品加工施設の立ち上げがあるんです。そこは漬物を作ったり、お惣菜を作ったり。宿泊施設や飲食施設のセントラルキッチンにしたいんですね。

岩田
小谷っていう村で産業と雇用を作り、お金が回っていく社会を作ろうということですか。

幾田
いちおうこれは僕のコンセプトで通るかはまだわからないですが、お母さんたちが働く施設にしたいんですよ。子育てをしてるお母さんたちが働ける。

岩田
ああ。

幾田
観光業って、朝食、宿の朝食だとだいたい7時から始まります。
だから6時から働かないといけないんですよ。

岩田
お子さんがいる人は、

幾田
そう。
で、夕食があると、食事が終わるのが9時とかになる。
観光業の現場では子育てをしているお母さんたちは働けないんだけど、ひとつ後方支援するところを作れば、食品加工なら、何時から何時までっていうやり方ができる。
お子さんを保育園に見送って9時から勤務していただいて、午後3時で会社としてオペレーションの括りをつくっちゃえば、お母さんたちは働きやすい。
お母さんたちが働いて世帯の所得があがると、ひょっとすると定住率があがるかもしれない。
そこらへんを僕はやりたいと思っていて、村にも提案させてもらってるんだけど。
来年、それをぜひ着工したいなあと。

岩田
うん、確かに。
お母さんが働ける村じゃないと、子どももほとんどいない村になりますもんね。

幾田
そうなんですよ。

これで幾田さんとのお話はおしまいです。
お読みいただきありがとうございました。

取材・構成・写真:岩田 和憲

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