「体験がもつ付加価値」里山十帖・岩佐十良さんに訊く。その1「旅館をメディアとして考える」

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「体験がもつ付加価値」里山十帖・岩佐十良さんに訊く。その1「旅館をメディアとして考える」

築150年の古民家を再生し“食の絶滅危惧種”といわれる伝統野菜を料理でプレゼンする。2014年のオープン以来、異例の提案型旅館として話題をさらい続ける「里山十帖」。同館の仕掛け人・岩佐十良さんを訪ね、これからの宿やメディアのあり方についてお話を伺いました。

その1「旅館をメディアとして考える」

岩佐 十良(いわさ とおる)1967年、東京都生まれ。株式会社自遊人代表取締役。
2000年、オーガニック・ライフスタイルなどをテーマにした雑誌「自遊人」を創刊。02年、同誌と連動して食品販売事業「オーガニック・エクスプレス」をスタート。04年、新潟は南魚沼に移住し米作りを始める。14年、旅館を体感メディアと捉えた「里山十帖」をオープン、グッドデザイン賞を受賞する。体験が生む価値に着目し、新しいメディアのあり方を追求している。
新潟県南魚沼市、大沢山温泉にある旅館「里山十帖」。古民家を再生してつくられた空間に、世界のデザイナーズ家具が並ぶ。料理には南魚沼産のコシヒカリをはじめ、有機無農薬で作られた伝統野菜、発酵食など、日本の本来の食文化が展開する。
岩佐さんいわく、ここは体験型メディアであると。お客さんからは宿泊料という名目で体験料を頂戴するのだと。
戦後、合理化志向で生活が便利になるにつれ、日本人は本当の食文化という体験、本当の住空間で過ごすという体験、本当の自然環境で暮らすという体験を失っていった。今、人は欠けたものを取り戻すかのように体験を求めている。
東京で雑誌編集と食品販売事業を手掛けていた岩佐さんが14年前、ここ南魚沼に拠点を移したのも、みずから日本の食文化のルーツである米作りを体験するためだった。
そして面白いことに、体験を求めアナログなルーツへと向かうほど、過去ではなく、デジタル社会も突き破って未来の話となっていく。
第1回は「旅館をメディアとして考える」。米作りから里山十帖の立ち上げまでのお話です。

なんでもわかるような気がする時代に


岩佐 十良(以下、岩佐)
僕がここ(新潟・南魚沼)に引っ越してきてから、今度の1月でまる14年を迎えるわけなんですけど、そもそもこっちに移住した理由が、米作りくらい自分で体験しないとダメだなと。
Facebookもなく、映像のリアルタイム配信もあまりやられてなかったころですけど、そんな時代でもウェブは相当に発展していましたので、米作りを勉強しようと思えばいろいろ調べることもできましたし、書籍もたくさん出ていましたし、つまりなんでもわかる時代、わかるような気がする時代だったんですね。

岩田 和憲(以下、岩田)
はい。

岩佐
そう思ったんですが、実は一方で何もわかってないんじゃないかという気もしまして。
わかる気がする、わかった気がする怖さ、みたいなものを感じてたんですね。

岩田
うん。

岩佐
で、僕らは食品の販売をしてましたので、食品を販売している立場として少なくとも米ぐらい知らないとまずいでしょ、と。
ここがスタート地点ですね。
それで実際こっちに来て米作りをして思ったのは、やっぱりその通りだった。
その通りというより、甘く見てた。やってみたら、まったく米のことがわかってなかった。
2年ぐらいで勉強できると思ってたんですけど、2年ではとても勉強できないということに気づいた。なぜなら米作りって一年に一度しかできないんです。
そこから3年、4年、5年、6年と。僕はずっぽりはまっていくんですけど。

岩田
今もやられてるんですか?

岩佐
わずかですけどね。
当初の8年ぐらいは研究のための農業をしてたんですけど、今は体験農業。みなさんにご体験いただくための農業なので面積も小さいです。
ただ、こっちに来てから8年ぐらいっていうのは、いろんな農法を試しましたし、いろんな方とお話しをしましたね。
結局、ウェブで吸収できると思っていたんですけど来たらぜんぜん違ってた。今まで雑誌を作っていろいろなことを書いてきたけど、何を僕らが訴えたいのか、何を僕らは感じているのかっていうことの5%も伝わってなかったでしょ、っていうことですね。
ていうことで、何がしかのことをリアルなもので提案したくなった、それがこの里山十帖に繋がるんですよね。

こちらがその里山十帖。前庭にはざがけされた稲が見えます。

里山十帖を始める


岩佐
そもそも、リアルなものを提案しようっていうことで、僕らは2002年に食品販売を始めたんです。雑誌だけで伝えようとするんじゃなくて、美味しいものは食べてもらわないと始まらない。そこからさらに、自分で米ぐらい知らなければいけない。実際やらないと何事も始まらないっていうことから、食品にどんどん深く入っていったわけです。
僕はこっちに引っ越してから特に4年目から7年目、その4年間は夏の間、ずっと米を作ってましたので。たぶん仕事のうちの半分以上は田んぼですね。

岩田
へえ。

岩佐
もちろん仕事はしてましたけど、日中はほぼ田んぼにいましたので、

岩田
草引きですか?

岩佐
はい。もうなんでもやってましたね。やることがいっぱいありましたので。
そのころ僕は、どちらかというとレストランをやりたかったんですね。
食品の販売はしてますけど、召し上がり方までは完全には関与できないわけですよ。
「こんな料理を作ってください」ってレシピをつけても、家庭で作ってもらえるかわからないし、「調味料はこんなの使ってください」って、本当にいい調味料を販売しても、実際、使ってもらえるかわからないですし。
家庭に対しては、僕らの提案はなかなか及ばないんですよね。まぁ、もちろんそれでも雑誌よりは深く関与できるんですけれどね(笑)。
で、まぁ、飲食店であれば食べ方から空間から過ごし方からぜんぶ提案できるので。
レストランをやろうと計画をしていました。そしたらここの旅館の話が舞い込んできた。
まあ、旅館だけはやるまいと思っていましたが、

岩田
(笑)

岩佐
そんな話が来たので、やってみようという話になっていった。
というのが、まあ、里山十帖を始めるまでの概略でしょうかね。

旅館をメディアとして考える


岩田
旅館だけはやるまいと思われてたのは?

岩佐
旅館って儲からないからですよ。とにかく儲からない。
僕、たぶん普通の人より旅館、特に旅館経営に詳しかったので。
経営者がどれだけ苦労しているかもよく見ていましたし、従業員もハードだし。
それだけハードなのに儲からないどころか借金抱えて大変なことになってるっていうのを、たくさん見てきましたので。

岩田
それでも旅館をやろうと思われたんですよね。

岩佐
そうですね。ただ「旅館」としてではなく、新しい「メディアとしての宿」をやろうと考えたんですけどね。

岩田
レストランと旅館の差というと、どこでしょう?

岩佐
一番の理由は、メディアとして考えた時、そこでの滞在時間が圧倒的に増えますので。
レストランだと、夜でもだいたい2時間。よっぽどのコース料理を出す店で3時間。
しかも僕らは地方で店を考えてましたから、単価がどうしても安くなるでしょうから、滞在時間3時間っていうのはちょっとないですね。昼1時間、夜2時間、これが限界ですね。
そうしますと、旅館は20時間ですから、夕食と比較しても10倍時間があるんですよ。その間にいろんなことを体感してもらえますので、メディアとしての特性から考えますとはるかに旅館のほうがいい、と。
そこだけですね。

岩田
そう考えると、旅館にはすごく可能性があるわけですよね。

岩佐
これはメディアとしての可能性があるわけで、商売としての可能性は厳しいかもしれないですね。
通常可能性というのは、まず商売として成り立って初めて次が来るわけじゃないですか。

岩田
そうですね。

岩佐
ただ旅館はどう電卓を叩いても採算が成り立たない業種だと言われてましたので。
メディアとしての可能性は感じますが、バクチもいいところですね。

なんでも作りたい欲求


岩田
実際、古民家っていうところに惹かれたのも理由の一つなんだろうと思うんですけど。現代の住まいっていうのは便利なんですけど、古民家っていうのはある程度付き合いをしなくてはいけない建物、人とものがちゃんと付き合っていくという感覚がないといけないものですよね。
要は体験を生む空間っていうのは、そういう便利とは違うところから起きてくるという気もするんですけど。

岩佐
実際ここをやった理由っていうのは、古民家の素晴らしい建物だったっていうのがやっぱりいちばん大きな理由で。
ここでの体験を感じていただくことによって、何がしかの新しいビジョンっていうのも見えてくるでしょうし、ビジネスとしての新しい何かが見える可能性もあるし。
ただ実際には僕らはやってはいないですけど、住宅、嫌いじゃないんですよ。

岩田
現代住宅のことですか?

岩佐
住宅建築とか不動産。嫌いじゃないんですよ。
どちらかというと好き。不動産って非常に夢のある商売ですから。
夢のある商売とカネになる商売とでは難しいところがありますけど、僕は夢のある商売としての不動産がすごく好き。つまりランドスケープを考えたりとか、街のデザインやコミュニティデザインみたいな部分を含めて考えたりするっていうのが好きなんですね。

岩田
はい。

岩佐
だから不動産のそういう夢のある部分に魅力を感じていたし、ここで住宅というものを何がしかの形で提案できたらいいなと。
最悪ダメだったら、住宅会社でも作るかなあくらいの。
「そんなふうに住宅会社ができたら世話ねえよ」って怒られそうですけど(笑)。

岩田
コミュニティとか街も空間じゃないですか。単体のものというよりは、空間自体をイメージしたり作りたいという志向性が岩佐さんの中にあるんですか?

岩佐
僕はね、なんでも作りたいんですよ。住宅もそうだしコミュニティもそうだし。観光としての地域再生、これも作るものだし。
もう作るものには糸目がないって言ったらなんですけど、なんでも作りたいタイプなんですよ。
特に構造とか枠組みとかそういうものを作りたいタイプなんですね。
同じ作るでも、手を動かして造形を作っていくよりも、社会的構造とか仕組みとかそういうものを作っていくことに非常に興味があるタイプで、それこそジャンル関係なく次から次へと作っていきたい。
で、この里山十帖っていうのも、その作りたい欲求、古民家という素晴らしい建物、僕がその当時で10年間この地に住んでいたこと、食に対する提案、いろんなお世話になっている人たちのこと、コミュニティとか観光のこと、そういうものを全部混ぜてこの場所で何か作れないかなという、その欲求ですね。

直観に裏付けはない


岩佐
…で、勝算はどこにあったの? とよく言われるんですけど、正直、勝算なかったんですよ。

岩田
銀行からも融資が…

岩佐
融資、最後は引き上げられて大変なことに。銀行には相当イジメられましたからね。

岩田
みたいですね。

岩佐
事業計画は書いてましたけど、「それ、本当になるつもりがあったのか?」と言われれば、なるつもりはありましたし、そこそこ根拠はあったんですけど、100%できるかと言われたら、100%はないですよね。100%できるという見込みがあったらみんなやりますし、っていう話ですから。
僕が提案することに対して共感してくれる人っていうのはこの時代いるはずだから、ある程度書いた事業計画通りいくんじゃないかと見てましたけど、そこには数字的な根拠があったわけではなくて、所詮、今まで編集者としてやってきたことの直観。「これは当たるだろう」とか、「こういう時代に流れていくよね」っていう編集者としての直観だけで。
銀行さんからいろいろ突っ込まれたのは、「それはあなたの直観ですよね」と。「直観の裏付けがほしい」と必ず言われるわけですけど、「その裏付けはないです」っていう話ですよね。

岩田
そういう次元の話で、裏付けはないですよね。

岩佐
裏付けがあったらみんなやりますから。
今はみなさん、必ず裏付けをしてからやる世の中なので。
そうすると結局、コピー&ペーストでやることになるので、劣化コピーが始まってくるんですね。

岩田
ええ。

岩佐
人間がやることはデジタルコピーではなくアナログなので、コピーすると必ず劣化していきますね。
一巡くらいすると猛烈な劣化コピーが生まれるんですけど、銀行とか投資家さんからすれば、「2匹目のドジョウを狙えばいいじゃないか」っていう理論ですね。どっかが成功して、そしたらそこに実績があるので。
4番目の劣化コピーだともう商売として成り立たないかもしれないけど、「2番目、3番目だったら行けるぞ」っていうふうにみなさん見るんですが、やっぱり僕からするとそれはイヤなんですよ。

岩田
わかります。

岩佐
いちばん最初の枠組みを作っていきたいし、劣化コピーはさせたくないし。
今回の里山十帖っていうのは、それをやることでお客さんがついてくるだろうっていう。なんとなくの感覚かな。
最悪それで足りなければ工務店と組んで古民家再生でもするか、ぐらいな話ですよね(笑)。

この記事のライター WRITER

岩田和憲

グラフィックデザイナー。言葉と写真もデザインも同じものとして扱っています。元新聞記者。元カメラマン。岐阜県出身。 https://www.iwata-design.com/