「東京田舎空間」南部百姓家 八巻さんと話す 前編「民具の話」

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「東京田舎空間」南部百姓家 八巻さんと話す 前編「民具の話」

東京・湯島の裏通りに佇む古木な居酒屋「南部百姓家」。ここはオシャレに敏感な若者たちが集う…んなわけない、コテコテの田舎空間。まるで民具博物館ともいうべきこの異空間で、店主の八巻司剛さんと交わす田舎と郷土料理、魚の話。前編は、八巻さんの案内で奇妙な民具の数々を紹介します。

前編「民具の話」

八巻 司剛(やまき もりたけ)「南部百姓家」店主。1976年生まれ。秋田県出身、岩手県育ち。
大阪の辻調理師専門学校卒業後、19歳で京都・祇園の料亭に入る。料亭で3年、パン屋で3年の修行を経て、25歳、東京・御徒町にて居酒屋「南部百姓家」をオープン。湯島に移転し現在に至る。
飲食店経営でならした父・尚さんが盛岡につくった店の名とコンセプトを引き継ぎながら「東京でつくる郷土料理・漁師料理」を追求している。

ようこそ、民具の世界へ。


岩田 和憲(以下、岩田)
育ったのは岩手の盛岡ですか?

八巻 司剛(以下、八巻)
盛岡の隣の滝沢村(現・滝沢市)っていう。
一時期は日本でいちばん人口の多い、でっかい村で。
盛岡から車で15分くらいで行けるところなんですけど。

岩田
小林さん(この店の内装をデザインした偉い人)から聞いて「えっ!?」と思ったんですが、こういう民芸品が並んでいる古民家っていうのは、八巻さんにとっては別に何というわけでもない、幼少期の原風景だと。

八巻
いや…。僕、1976年生まれなんですけど、さすがに子どものころこんな家が周りにいっぱいあったなんてことはなく(笑)

岩田
あれ…

八巻
それは僕が物心ついたときから父がこういうコンセプトでお店をやってた(*)っていうだけで、

*父がこういうコンセプトでお店をやってた … 八巻さんの父・尚さんが盛岡でやっていたお店「南部百姓家」のこと。お店の名前とコンセプトは、八巻さんがこの東京・湯島の店で引き継いでいる。

岩田
その原風景?

八巻
そうですね。こういうのが染み付いてるというか。

岩田
そういうことだったのね…。

八巻
なんで父がもともとこういう店にしたかったのかはわからないんですけど、ここより雰囲気があって…

岩田
ウェブで見たんですけど、コテコテですよね。

八巻
はい。

出典: http://iwate-inshoku.jp

これです。

岩田
こういう民芸品はどこから買ってくるんですか?

八巻
これはだから、父が亡くなって向こうの店(盛岡の店)を閉めたので、そこから持ってきたものですね。

岩田
骨董屋とかリサイクルショップ?

八巻
こういうのが好きでいろんなところで買ってたみたいですね。
あと作ってもらったり。

岩田
へえ。
作ってもらってたんですか?

八巻
はい。その当時はまだ作っている方がいて。
そこのちんちん人形って、藁のでっかいやつがあるんですけど、

岩田
ちんちん人形…(笑)

八巻
本当の名前はわからないんですけど。
うち、昔からこれをお店に飾ってて。
岩手県の南の方、湯田っていうところのお祭りで使う厄除けの人形で。

なんと、以前は店頭に飾られていたという、ちんちん人形。由緒ある伝統神事の神様ですが、通行人から「卑猥だ」として警察に通報された、そんな悲しい過去があるそうです。
今はやむなく店頭から店内に移され、レジの頭上に鎮座しています。

岩田
へえ。

八巻
これを担いで練り歩いて厄払いをするらしいんですね。

岩田
担ぐ?

八巻
僕はお祭りを実際見たことはないんですけど、湯田へ行くと十何メートルぐらいの巨大なこれが立ってるんですよ(笑)。

出典: http://news.merumo.ne.jp

これですね。ちんちんの真下に賽銭箱。いい…。

岩田
すごいで世界ですね。

八巻
ちゃんと下までついてるんですよ。

岩田
おお…!
これも盛岡のお店から持ってきたんですか?

八巻
そうですね。
インパクトあるんで、うちの父が飾り始めたんでしょうけど。
これも作る人がだんだん減ってきていなくなってるっていう話で。

岩田
うーん、そうなんですね…。
他に面白いやつ、あります?

八巻
面白いやつ、なんだろう。
うーん…これはサイカチ豆っていう、昔の石鹸代わりになる豆ですね。

岩田
へえ。

八巻
水で揉むと泡立つので、昔はシャンプーとか石鹸代わりに使ったりとか。
たぶん、それこそ戦前とか、それぐらいの時代だと思います。
あとこういう背負子(しょいっこ)とか、冬の防寒具みたいなやつとか。

岩田
藁が中心ですよね?

八巻
たぶん店を南部百姓家っていう名前にしたから、やっぱり百姓っていうので農家のこういうのを集めてたんだと思うんです。
あとこれは花巻人形っていって。

岩田
土人形ですか。

八巻
こういうのがいっぱい店に飾ってあったんですが、閉めることになったのでもらってきて。

岩田
これはなんですか?

八巻
これ、かき氷の。昔、作ってたらしくて。
うちの母が子どものころ使ってたって言ってましたよ。

岩田
回せるんですか…?

八巻
いや、氷の塊をカンナみたいに削るんです。

死ぬまで働こうとした父


岩田
これ、上にのってるのがまたすごいですね。

八巻
これはこのあいだ北茨城にアンコウを食べに行ってきて。
そしたら市場で、小さいアンコウはたぶん値段がつかないから、こうやって干して観賞用に売ってて、

岩田
観賞用(笑)

八巻
面白いから買ってきたんです。

岩田
これが観賞用ですか(笑)

八巻
うちの店に合いそうだなと思うのがあったら買ってきちゃうんですよ。

岩田
(笑)とりあえず足し算ですよね。

八巻
もうごちゃごちゃ。

岩田
いいなあ。

八巻
かっこよくするとダメなんですよね。
料理とかも「これやろうかな」と思ったときに、出すか出さないかの基準は、南部百姓家っぽいかぽくないかのところがやっぱり。
「味は美味しいけど、南部百姓家っぽくないよね」みたいなのはダメで出さなかったりしますね。

岩田
味が美味しくてもダメなんだ。

八巻
そうですね。

岩田
過去にどんなのをダメだししたんですか?

八巻
洋食系になると、ちょっと違うかなあ…。

岩田
まず自分で作ってみるんですよね?

八巻
そうですね。

岩田
で、できた。旨い。
しかも、ちょっとおしゃれ。

八巻
…違うよね、って。

岩田
(笑)

八巻
父がやってた昔のお店のイメージが、根底としてありますね。

岩田
お父さんに反発していながら、

八巻
なんでしょうね、父とは本当によく喧嘩しましたね。
でもお店自体は小さいころから「ああ、いいなあ」とか思ってましたね。

岩田
盛岡の店は閉めたのは?

八巻
父が亡くなったんですよ。
亡くなる寸前まで「店をやる、やる」って言って。
死ぬ間際までまだやるつもりでしたから。

岩田
何年に亡くなられたんですか?

八巻
もう2年前かな。
入院して、最期の方は歩けないし食べれないしで見た目もあれなんですけど、それでも「店をやりたい」って。

岩田
すごい。

八巻
仕事が命の人で。子どものころとかも遊んでもらった記憶はないですね。
今も憶えてるのは、温泉とかどこかへ出かけると、南部百姓家っていうシールをそのへんに貼ろうとしたり。

岩田
(笑)

八巻
ほかにもいろいろ配ろうとしたり。

岩田
ああ…(笑)

八巻
「やめてよ!」って家族で言ってましたね(笑)
ほんと仕事命の人で、お店が人生だったんですね。

岩田
いい話だなあ。
SNSがない時代ですからね。シール貼っておかないとね。

八巻
そのぐらい南部百姓家っていうのが中心にあったんでしょうね。

後編につづきます。

この記事のライター WRITER

岩田和憲

グラフィックデザイナー。言葉と写真もデザインも同じものとして扱っています。元新聞記者。元カメラマン。岐阜県出身。 https://www.iwata-design.com/