「木材の良さ」の研究をおこなっている森林総合研究所 杉山先生にお話をお聞きしました。(前編)
目次
森林総合研究所紹介・自己紹介
山上:本日はよろしくお願い致します。
杉山:よろしくお願い致します。
私が勤める森林総合研究所について、簡単に説明させていただきます。
もともと森林総合研究所は林野庁が設置した単独の研究機関でしたが、数度にわたる組織統合の結果、現在森林研究・整備機構となっています。
森林研究・整備機構には私のいる森林や木材の研究を行っている森林総合研究所,日立市にある苗木の研究・開発をしている林木育種センター、水源林の整備をしている森林整備センターがあります。
これらはそれぞれ独立した独立行政法人でしたが現在森林研究・整備機構という一つの組織の下で研究や事業を行っています。
また、森林で火災などの災害があったときに加入者に対して保険金をお支払いする森林保険という制度があり、以前は国直営の事業だったのですが、現在森林研究・整備機構に移管され、機構の下にある森林保険センターの事業として運営しています。
このうち研究機関である森林総合研究所では、森林の防災や生物多様性などの多面的機能の高度発揮といった森林に関する研究、造林・育林技術や森林の管理など林業に関する研究,木材や木質資源の利用といった木材に関する研究、樹木などの遺伝資源や新品種の開発など育種に関する研究の4本柱で研究を行っております。
森林、林業、木材産業を総合的に研究している研究機関は国内では森林総合研究所だけです。
このうち、私が所属しているところは木材の研究を行っている部門になります。
次は研究者としての私の紹介ですが、1993年に大学を卒業して以降いろいろな研究に取り組んできました。
大学の卒業研究ではバイオリンの弓の研究に取り組みました。
バイオリンの弓はペルナンブコというブラジル産のマメ科の広葉樹材を使うのですが、当時資源の枯渇が問題となっていました。
ブラジルから丸太で輸入できなくなり、さらに製材品の輸入も減少する中、資源を有効に使わなければならないし、代わりの樹種も見つけなければならないことから、ペルナンブコのどのような性質が弓に適しているのかという研究を行いました。
大学院に進んでからは化学処理木材に関する研究に取り組みました。
木材の3大欠点,すなわち燃える、狂う、腐るという欠点を、木材を薬剤により化学的に改質して克服しようという研究です。
1997年に森林総合研究所の研究員になってからも、10年くらいは化学処理木材の研究に従事しました。
2008年に農学の博士号を取得したのですが、その前後から研究範囲は大きく変化していきます。まず、取り組んだのは、福祉用具に木材を使えないかという研究です。
木材は人にとって親和性が高いということは世の中でなんとなく認知されていたのですが、高齢者施設や障害児教育などの現場に使えないかということで、施設の調査や福祉用具の開発などに取り組みました。
具体的には、発達障害のある方のための木製パーティションなどの開発に関わらせていただきました。発達障害があるお子さんは、視覚や聴覚から入ってくる情報量が多いと混乱してしまうことがあり、勉強や作業、食事のときに視覚を一部遮ってあげると落ち着くということがあります。
特別支援学級の先生たちは経験的にこのことをご存じで、生徒さんが過ごす場所をダンボールで囲ってあげたりしていたのですが、段ボールよりは木材の方が良いだろうということで、木製パーティションを開発し、実際に使ってもらったりしました。
見た目に違和感がないことや、軽量で移動しやすいということも高評価でした。
2010年から3年間研究の現場を離れ、林野庁に行政官として出向したのですが、その間に公共建築物等木材利用促進法の施行や東日本大震災など激動期にあって、通常経験できない貴重な体験をさせていただきました。
2013年に森林総合研究所に戻ってきてからは、今回のインタビューの本題になりますが、木材空間や木材利用が人間生活にとってどのような効果があるかを科学的に明らかにする研究や、家具・内装用途に国産材の利用を拡大しようという研究に取り組んでいます。
一般的に家具材には広葉樹が使われており、その大半が北米やヨーロッパ、ロシアなどからの輸入材です。
林野庁事業により全国調査を行った2013年には国内で生産された家具における国産材の使用割合は1割を超えるくらいでしたが、現在はもっと増えていると思います。
さらに国産材の普及を進めるべく、近年注目されているセンダンやユリノキなどの早生広葉樹の利用に向けた研究にも取り組んでいます。
今日の本題の「木材の良さ」に関して、多くの方が経験的に知っているのですが、近年は食品の健康効果などについてもそうですが、消費者の間に科学的根拠を求める傾向が強くなっています。
また,2011年に公共建築物等木材利用促進法が施行され、公共建築物のうち木造で建てられるものは原則として木造で建てるという国の方針が示されたのですが、現状ではRC造と比べて木造はどうしても費用がかさむ傾向にある中、人の心理面や生理面に対する木材の優位性を科学的に解明して欲しいという期待が産業界や行政から強く寄せられています。
これら社会からのニーズに応えるべく研究を進めています。
山上:いい情報ですね。木についてのエビデンスを消費者が知る機会が増え、木材の消費につながると良いですね。
学校での学びと身の回りの木材をリンクさせ理解しよう。
木育に取り組まれている先生方がよくおっしゃっていますが、義務教育で木材について学ぶ機会は技術科教育を除いてほとんどありません。
小学校の理科で被子植物や裸子植物の違いについて勉強します。
このとき被子植物の代表としてアサガオやアブラナが出てくるのですが、大人になってこれらが生活に関係あるかというと、ほとんどの人がそうではないと思います。
これらに比べると、木材は生活に密接に関係しますが、樹木も被子植物や裸子植物だということを教わっていないので、小学校の理科で学んだことと木材が繋がって来ないのです。
スギ、ヒノキ、カラマツなど建物の柱などに使われている木材は針葉樹で植物の分類では裸子植物になります。ここまで分かれば、雄花、雌花があることもすぐにイメージできるはずです。
一方、家具に使われるケヤキ、ブナ、ミズナラなどの広葉樹は被子植物なのですが、こういうことは学校では習いません。
学校教育における学びと身の回りにある木材が繋がっていないので、木材は関係ないところから突然やってきた何だかよく分からないものになってしまっているように思います。こうしたことから、私が木材についてお話しするとき、植物の進化の歴史からお話しするようにしています。
進化の過程でみると、先に裸子植物である針葉樹の方が現れ、その後被子植物である広葉樹が分化しました。
針葉樹は世界で540種類くらいしかありませんが、広葉樹は20万種あるとされています。
広葉樹は後から発達してきたので密度、材色、硬さなど多種多彩です。
一方、針葉樹は広葉樹よりも先に分化した分、顕微鏡レベルでの組織構造がシンプルなので使いやすいといえます。
木材の組織構造を理解する上で、木材は人間に使われるためにできたわけではなく、樹木が生物として成長して子孫を残すための営みの結果木材ができたことを認識しておく必要があります。
樹木が生きるためにはその大きな樹体を支えること、枝葉の先まで水や養分を行き渡らせること、この両方が必要です。
針葉樹は樹体支持と水分通導の両方の機能を仮道管というパイプ状の組織で担っています。
一方、広葉樹では役割分担が進み、水分通導は道管という太いパイプ状の組織、樹体支持は細い細胞からなる木繊維が別々に受け持っています。
このことによって、針葉樹の組織構造は広葉樹に比べてシンプルなのです。
このようにシンプルであることによって、加工しやすく使いやすい、また樹種に関わらず密度や性質も比較的似通っています。
パイプが束になって並んでいる構造は専門用語でハニカム構造といいます。ハニカムというのはミツバチの巣のことで、軽くて強いので、古くから柱などの建築構造材料として使われてきました。
これに対して、広葉樹は組織構造が複雑な分、樹種によってバラエティが豊富です。
針葉樹材は黄色っぽいとか白っぽいものが多いのですが,広葉樹は黒いものから赤・黄色・緑などいろいろな材色のものがあります。
材の密度も広葉樹は幅広く、密度の高い樹種は材が堅い特徴があり、家具やフローリングに向いています。
一方、針葉樹をテーブルに使う場合、材が柔らかく爪の跡がつく、水がしみ込むといった欠点を克服する必要があります。
工芸的な利用、すなわち機能や見た目を重視して使う際には、広葉樹の方が適していることが多いといえます。
木の研究の歴史、最近は人を測ることにより解明
木材の良さの研究は最近になって始まったわけではなく、結構古くから研究されています。私はこれまでの「木材の良さ」に関する研究は3つの段階に分類できると考えています。
まず、1番目のステージは1960年代ごろから木材の良さをその物理的性質から明らかにする研究です。
例えば、熱伝導率という材料の熱の伝えやすさを表す値がありますが、木材は金属や大理石に比べてこの値が低い、すなわち触れた時に人体から熱が奪われにくいので、触った時温かみを感じるといえます。
冬場にヒートショックが問題になりますが、お年寄りのヒートショック対策にもなるかもしれません。
衝撃吸収性について、床面に大理石、プラスチック、木材、畳を置き、ここにガラス玉を落としたときに、どの高さで割れるかを実験した結果、大理石だと17㎝くらいで割れてしまうのに対して木材だと大体30㎝~40㎝くらいまで割れないということで、木材は大理石に比べて衝撃吸収性が高く、転んでも怪我しにくいのではないかと期待されます。
また、光に関しては、木材は紫外線や青色光を選択的に吸収するので、目に優しいと考えられます。
このように木材の物理的性質から木材の良さを説明していこうというのがこの時期の研究であり、現在でも成果の多くが木材の良さを説明するパンフレット等で紹介されています。
ただ、これらの研究は、人間に対する効果については検証しておらず、木材利用の人間に対する影響を知ることが求められるようになりました。
1990年時点で、脳波や血液検査など人の生理面を測る方法はありましたが、測定装置は極めて高価であり、被験者に対して身体的な負荷が大きかったことから、医学研究以外でこれらの手法を使うのは極めて困難でした。
こうした中、木材関係の研究者が取り組んだのは、木材利用が人間に与える影響について、現場調査やアンケート調査などを通じて間接的に知る方法でした。
中でも有名なのは、1990年代に大学の教員養成学部の技術科教育の先生方が、全国の小中学校に対してアンケート調査を行い、木造校舎とRC造校舎との間に教職員や生徒にどのような影響の違いがあるか調べた研究です。
教職員の累積的な疲労に関して、 木造校舎のほうがRC造校舎よりも低いという結果が示されています。
また、授業中の生徒の疲労症状に関する教職員の回答では、注意集中の困難、眠気やだるさについても、全学年において木造校舎のほうがRC造校舎よりも低い結果が得られています。
一連の調査の中で最も有名なデータは、インフルエンザによる小学校での学級閉鎖の発生割合を比較した結果です。調査は1990年、1993年の2回実施され、いずれの調査でも学級閉鎖の発生割合は木造校舎の方がRC造校舎に比べて低い結果が示されています。この結果はよく木材利用の効果を説明するパンフレットなどで紹介されているので,目にされたことがあるかもしれません。
特別養護老人ホームについて調査を行った例もあります。
これは全国社会福祉協議会が施設に対して行ったアンケート調査ですが、木材使用が多い施設と少ない施設を比較した時、インフルエンザに罹患した、ダニ等でかゆみを訴えた、転倒で骨折した、不眠を訴えた入居者が木材使用の多い施設のほうが少ないという調査結果が得られています。
これらの調査結果を見ると、木造のほうが良いという話になるのですが、科学的にはそう言い切れない部分が残されています。
調査が行われた少し前には例えば竹下内閣のふるさと創生事業が有名ですが、地域振興のために地域材をふんだんに使った校舎や運動施設などが地方で多く建てられた時期でもあります。
一方、当時のRC造の校舎は白くて角張った画一的な建物が多く、さらに学校によって立地、生徒数、築年数も違うわけで、これらを考慮せず単純に比較していいのかという議論はいまだにあります。
しかし、この調査結果は科学的に意味が無いかというとそうではなく、そのわかりやすさから、一般の人たちに木材の良さに注目してもらうきっかけとなった点で、とても意味があったと思います。
アンケート調査はその取り方によるのですが、恣意的な設問をすれば恣意的な結果が導き出せてしまうという点が欠点です。
そこで、調査をする側の主観が入り込まない客観的なデータを取る方法が求められるようになり、2000年前後から次のステージとして人の生理特性から木材の良さを評価する方法で研究が行われるようになってきました。
血圧や脈拍、血中のホルモン濃度といった生理特性は、人間の意思や考えで変えることが困難なことから、アンケートによる主観評価に比べて、より客観的なデータが得られることが期待できます。
ということで、森林総合研究所では人の生理特性を「測る」手法を中心に木材の良さを明らかにする研究を進めています。
人の生理特性には大きく分けて、脳や脊髄で情報処理を行う中枢神経系、神経細胞を通じて全身に指令を出す自律神経系、ホルモン分泌による内分泌系や免疫作用による免疫系の3種類があります。
中枢神経系活動は、脳波や脳血流を測ることによりわかります。
自律神経系には交感神経系と副交感神経系の2つに分けられます。
頭がよく働いていて意気軒昂みたいな感じのときは交感神経系が有意に働いていて、逆にリラックスしていたり眠いときには副交感神経系が優位に働いています。
自律神経系の働きによって血圧や脈拍が変化するのですが,逆に血圧や脈拍を測定し解析することによって自律神経系の状況、例えばそのとき緊張しているのかリラックスしているのかが分かります。
内分泌系についてはストレスがかかると多く分泌されるコルチゾールというホルモンが有名です。
このようなホルモン濃度の変化は、以前は血液を取って分析する必要があり医療従事者でなければ測定できませんでしたが、近年では唾液から測定できるようになったことから、木材分野の研究でも使われています。
実際の研究例をいくつか紹介します。
木材に触れた時に人に与える影響を調べるため、複数の被験者に金属、プラスチック、木材の手すりを目を閉じて握ってもらい、生理特性がどう変化するか測定しました。
室温が25℃くらいなのに対して人の皮膚表面の温度は34~35℃くらいなので、手すりを握ると手のひらから熱が奪われ,冷たく感じ血圧も上昇します。
そのときの血圧の上昇が金属、プラスチックの手すりに比べて木材の手すりは小さいという結果が得られました。
寒い室内で手すりに触れた時に木材の方がストレスが緩和しているということは、ヒートショック対策になるなど、人にとってやさしい材料だといえるのではないでしょうか。
次は、森林総合研究所の敷地内にある実験用の木造住宅で実験を行った結果です。実験住宅の2階に隣り合う同じ面積で内装の異なる2つの部屋があります。
片方はスギの腰壁が貼ってあり床も板張り、もう一方は壁は白いクロス貼りで床はビニールフローリングで仕上げてあります。
被験者が両方の部屋に入ったときの生理特性の変化を比較しました。脈拍数はスギ板張り内装の部屋に入ったときあまり上がらないのに対して、クロス貼り内装の部屋の場合だと急激に上昇しました。
このことから、木材内装は人にリラックスをもたらしていることがわかりました。
木のにおいを嗅いだ時の乳児の生理特性
次は興味深い研究例を紹介します。
東京大学の恒次祐子先生が行った研究なのですが赤ちゃんに木材に含まれる
におい成分を嗅がせたとき、生理特性がどう変化するか測定したところ、針葉樹によく含まれるα-ピネンのにおいを嗅がせると心拍数が下がり、嗅がせるのをやめるとまた上がるという結果が得られました。
これは、α-ピネンのにおいを嗅ぐことによって、身体がリラックスした結果だと考えられます。
人間は成長する過程でいろいろなことを知識として学び、また好みなども形成されるのですが、それが未発達の赤ちゃんでもこのような結果が得られるのは、人間が生まれながらにして持っている性質だと考えることができます。
そういう意味で価値のある研究成果だと思います。
人を測ることによって木材の良さを明らかにしようという研究は、森林総合研究所や東京大学だけで無く、全国的に複数の研究者が取り組んでいます。
今後も、皆様にも木材の良さをより身近に実感していただけるよう、木材の良さに関する研究を進めていきたいと考えています。 2へ続く…
ペルナンブコ・センダン・ユリノキとはどんな木か?
◆ペルナンブコ、ブラジルボク(伯剌西爾木、学名: Paubrasilia echinata)はマメ科ジャケツイバラ亜科の常緑高木。別名をフェルナンブコ、ペルナンブコ、ペルナンブーコ(Pernambuco)、パウ・ブラジル。以前は染料に用いられた。材が硬いため、現在もヴァイオリン属の楽器の弓材として用いられる。原産地は南アメリカブラジル東部。 ◆センダン(栴檀、学名: Melia azedarach)は、センダン科センダン属に分類される落葉高木の1種。別名としてアフチ、オオチ、オウチ、アミノキなどがある。薬用植物の一つとしても知られ、果実はしもやけ、樹皮は虫下し、葉は虫除けにするなど、薬用に重宝された。 落葉高木で、樹高は5 – 20メートル (m) ほどで、成長が早い。 ◆ユリノキ(百合の木、学名: Liriodendron tulipifera)は、モクレン科ユリノキ属の落葉高木である。 生長が速く、街路樹・庭木・公園樹として利用される。 材としては、器具・建築・合板・楽器・ソーダパルプに利用される。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公共建築物等木材利用促進法とは?
木材利用促進のための法律 2050年カーボンニュートラルの実現に貢献するためには、「伐って、使って、植える」という森林資源の循環利用を進めることが必要不可欠です。 こうしたことを背景として、第204回通常国会において、「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律の一部を改正する法律」(令和3年法律第77号)が成立し、令和3年6月18日に公布されました。 今般の改正により、法律の題名が「脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律」に変わります。 また、木材の利用の促進に取り組む対象が、公共建築物等から民間建築物を含む建築物一般に拡大されます。 改正法の施行日は、今年の木材利用促進月間の始まりに合わせ、令和3年10月1日です。 出典:林野庁HPより
◆木(古木)の良さは科学的にどんなことがわかっているのか?という事で森林総合研究所の杉山先生をお訪ねしました。
木についての様々な実験データのお話をお聞きし、木の良さを生かすことで問題解決や生活環境の改善に結び付くことを知りました。
2030年がSDGsの目標達成の年ですが、今回のように「木」について考える事でSDGsの取り組みを身近にとらえることができる気がします。
ノノシタヨウコ