茅葺師に聞く~屋根だけにとどまらない茅葺の魅力とその可能性とは
茅葺師に聞く~ 屋根だけにとどまらない 茅葺の魅力とその可能性とは
長野県の小谷村で「小谷屋根」を営む松澤朋典さんは、全国の茅葺屋根の葺き替えを行う“茅葺師”だ。2020年にユネスコ無形文化遺産に登録された伝統技術である茅葺という匠の技を継承し、次世代に伝えているだけではなく、さらには茅をアートにするという取り組みも行っている。そんな松澤さんに、茅葺の魅力やその可能性について話を聞いた。
目次
茅葺屋根は究極のエコロジー
そもそも茅という植物はないんですよ。茅とは、ススキや葦(ヨシ=アシ)、チガヤ、カリヤスなどのイネ科の植物を総称したものです。茅葺と言うと、一般的にはススキを用いていますね。ただその辺の道や田んぼに生えているようなススキは、家畜の飼料にはいいんですが、屋根を葺くための茅には使えません。“茅場”という人の手が加えられた草原で、毎年春には火を入れて野焼きをし、秋には刈り取りをする、そうした場所で育った真っ直ぐで葉が少なく均一性のある良質な茅を、茅葺屋根に用いています。昔はその茅場があちこちにあったんです。例えば東京の“茅場町”とか“吉原”、神奈川の“茅ヶ崎”という土地は、かつてたくさんのススキや葦などが採れたのでそういう地名になったと言われていますね。また、古事記や日本書紀に「豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)」とあるくらい、日本には葦などの茅が豊富に生えていたんです。なので何百年も昔から、日本の家屋の屋根にはそうした茅が用いられてきました。
茅葺屋根の良いところは、まず夏はクーラーが効いているのかと思うくらい涼しいこと。それから吸音性が高くて、とても静かなんです。だから茅葺屋根の下では気持ちが落ち着くんですよね。そして自然素材だから体に良い。骨組みとなる木材やそれらを縛る稲もみんな自然のものですから、化学薬品をふんだんに使った材料で建てられた現代の家より健康でいられると思います。また、葺替えのときに取り払った茅は、良い部分を取っておいてまた使うんです。屋根の表面には使いませんが、中のあんこ材として結構な量の茅を用います。そうすると、100年とか150年も前に刈り取った茅がまた使われることになる。葉の部分や、細かったり短くなった茅は畑の有機肥料になります。茅ゴミと言われますけど、その呼び方はよくないですね(笑)。肥料として使うと、例えばトウモロコシなどはすごく甘くなるんです。茅が適度に水分を含んでくれるので日照りにも強くなるし、雑草も生えにくくなる。土の環境が良くなるから、そういうところで採れたものはとても美味しいんです。これって再利用の最たるものですし、究極のエコですよね。だから茅葺屋根は、今よく言われているSDG’sにも繋がるものだと思うんです。
茅葺屋根の葺替えはおよそ60年に一度行います。一代に一度という考えです。葺替えには親戚や地域の仲間たちに協力してもらうんですが、一代に一度やっておかないと「あの人は誰だ?」ということにもなりかねない。だから60年くらいで屋根が痛むので、ということではないんです。まだ屋根は大丈夫だとしても一代に一度葺替えをして地域とのコミュニケーションを図るということなんですが、そういう流れもだんだん崩れつつありますね。
新規に屋根を葺いたら、20年後に一度手を入れてメンテナンスをします。その20年後にまた手を入れ、そして60年目に葺替える。僕の住んでいる長野県の小谷村には、父が10代のときに葺いた屋根があって、もう60年以上経っていますが一度も修理していない面があるんです。茅葺屋根というのは、雪下ろしさえちゃんとしていればそのくらい保つんですよね。
父の背中を見て覚えた茅葺という仕事
“茅葺師”というのは自称で、特にそういう資格があるわけでも誰に認めてもらうわけでもないんですが、誰でも簡単にできるというものではない。僕の場合は、曽祖父がもともと桶屋だったんですが、祖父が職人として婿入りし、松澤屋根店というものを始めました。それで父が長男だったもので、15歳から一緒に屋根店をやっていました。当時、小谷村には茅葺職人の親方が11人ほどいたんですが、みんなやめてしまって唯一残ったのがウチだったんです。僕自身は茅葺をやるつもりは全然なくて、東京で就職して働いていたんですが、25歳のときに会社が倒産してしまいました。でもそれを父には言えなかったんですよ。「仕事はどうだ?」と聞かれて「なんとかやってるよ」って(笑)。ちょうどそのときに父から「茅葺を一緒にやらないか」と言われたんです。当時父は60歳だったんですが「あと一緒に仕事ができたとしても10年だ。オレも70歳まではなんとかがんばるから、お前はその10年間で茅葺を全部覚えろ。教えるから」ってね。でも教えるってどういうことだろうと思いました。というのも僕は小さい頃から祖父に「手に職をつけるということは大変なことだ。言われたことだけをやっているのは職人じゃない。職人というのはもっと厳しいものだし、全部自分でやっていかなくてはいけない。教わるものではないし、盗んで覚えて、自分のものにしていくんだ」と、ずっとそういうふうに聞かされていたんです。だから父から「教えるから」と言われたときに、「病気で先が短かったりするのかな?」なんて思ったりしましたよ(笑)。
でもそういう運命だったのか、僕も父と一緒に仕事をするようになりました。結局、教えてはくれなかったんですが(笑)。最初は何をやったらいいのか全然わからなかったから、とにかく最高の雑用係になろうと思ったんです。はじめの頃は「あれ持ってこい、これ持ってこい」とよく言われたんですが、そう言わせること自体がとても悔しくて、言われる前にそれらがあるようにということを徹底してやりましたね。例えば茅が少ないなと思ったらとにかく大量にもってきておく。一回で人の倍ぐらい動かそう、それができないなら人の倍の早さで動こうとか。それから特に音を意識して聞いていました。踏む音、叩く音、そのリズム。上手い人はリズムが良いんですよ。姿勢や足の置き方などもよく観察していましたよ。とにかくそんなことばかり考えてやっていたら、現場でいろいろなことが見えてくるようになりました。そうやって仕事を覚えていくと「じゃあやってみろ」と言われる。やったことないけれどやれって言われたらやらなきゃいけない、できないなんて言っちゃいけないから、もうガムシャラです。茅を葺いている中に手を突っ込んでいろいろ通して引っ張ってくるとすぐに手から血が出たりするんですが、それで手が痛いなんて言ってる場合じゃない。そんなことはお構いなしに仕事をやっているうちに、「次はこっちをやってみろ」と、やったことのない作業をどんどんやらせてもらいました。でも教えてはくれないんです。後から「悪いところは直しておいたから」と言われて、「その場で教えてくれよ」と思うんですが、そこを見直してみると「ああそうか、そういうことか」と理解できる。そうやって仕事を覚えていきました。
「お伊勢様の屋根に登れたら大したもんだ」
茅葺を始めて4~5年目くらいのときに、父が伊勢神宮の式年遷宮の際の茅葺職人として、伊勢に行くことになりました。職人としての仕事は、何年もかかるんです。材料の選別から始まって、材料の加工を何年もやり、いざ屋根を葺くとなると5年ほど前からその作業は始まります。父がいないその間は本当に大変でしたね。でも行くなとも言えませんでした。僕が小さい頃から祖父が「お伊勢様の屋根に登れたら大したもんだ。行ってみたいな」なんて言っていたのを覚えていましたし、伊勢神宮というのは茅葺職人にとってそういう地位にあるんだと思っていましたから。それに式年遷宮は20年ごとに行われるので、そのときに行けなければ次は90歳くらいになっていてそれでは無理。だからぜひ行ってもらわなければと思いましたが、でも僕は当時、見積もりもしたことがないし、ろくに打ち合わせさえしたことがありませんでしたから、もう夜中の2時、3時まで書類の仕事をして、早朝には現場へ行くという毎日。とてもつらかったんですが、今になってみると僕もすごく成長できたので、良かったのかなと思っています。そして実は、2033年に予定されている次の式年遷宮のための茅葺職人として、僕も声をかけていただいているんです。ありがたい話ですね。
茅葺の魅力を伝える新たな試み「茅アート」
2020年6月に長野県の小谷村にある「道の駅 小谷」がリニューアル・オープンしたのですが、それに伴い茅を使ってアート作品を作ってほしいと山翠舎の山上社長から依頼がありました。この道の駅のデザインと施工を山翠舎さんが担っているんです。最初はデザイナーが考えたモチーフがあったんですが、急遽道の駅の社長から「小谷村の地形を立体的に表現してみたらどうか」というアイディアをいただきました。すごい発想だなと思いましたね。今までやったことがないけど、できる自信はあったし、そういうことにも応えていかないとプロじゃないなという気持ちでした。それでやってみたら、いいものができた。売店のレジの後ろにど~んと飾られていますが、ちょうどその頃中学生やその保護者と一緒に刈った茅があったので、それを使っています。「これ、オレが中学生のときに刈った茅が使われているんだよ」って、その子たちの思い出になったらいいなと思っています。濡れたりしなければ、100年でも200年でも風化しませんしね。実際評判も良くて、地元の人にも喜んでもらっていますし、全国の屋根屋さんも見に来てくれています。
茅のことを知らない人の発想がうまく結びついてアートになりましたが、茅っていろいろな可能性があるんですよね。例えば衝立や塀にも使えるし、山翠舎さんが施工するお店の中で茅葺を用いてみるとか、文字を掘ってそこに茅を使った飾りを作ってみるとか。茅葺屋根だけではなくて、そういうところで茅をもっと身近に感じてもらえたり、茅場というものを知ってもらうきっかけになればいいなと思うんです。
神奈川県のとある葺替えの現場にお邪魔して、この取材は行われた。茅を取り払い終えて、これから骨組みを取り始めるところ。
関東大震災後に建てられたもので、今回総葺替えが行われている。
取り払ったススキで良質なものは、まとめてとって置き、この後あんこ材として再利用する。
茅ゴミと呼ばれるこうした短いものや細かいものは、大きさを分別して有機肥料として用いる。
新しい茅を運び込む松澤さん。この茅は一昨年の秋に刈り取られ、翌年春まで乾燥させたもの。
「こうした木材や、それを結ぶ藁を使うことによって、茅葺屋根の建物は地震にも強いんです」と松澤さんは話す。
まるでグローブのように大きな手。触らせてもらうと皮膚はとても硬く、ゴツゴツとしているが「でもすごく感覚は敏感です。茅の中に手を突っ込んで、その中に茅じゃないものがあったらすぐにわかります。それに、この手を見て仕事を依頼してくれたこともあるんですよ。どうやって茅を葺くのか説明してほしいとお客さんが言うのでいろいろ話していたら、途中で“もういいです”って。終わったなと思ったんですが(笑)、実は話の内容じゃなくて手を見ていたらしいです。それまで打ち合わせに来た人は手がすごくキレイだったらしいんですが、僕はこんな手で、しかもそのときは洗っても落ちないくらい汚れていた。でもそんな手を見て、“これは職人の手だ、この人なら大丈夫”と思ったそうです」と松澤さん。
【プロフィール・データ】
松澤朋典(まつざわとものり)
茅葺師・二級建築施工管理技師
株式会社小谷屋根代表取締役
本社:長野県北安曇野郡小谷村大字中土3492-イ
0261-82-2701
白馬営業所:長野県北安曇野郡白馬村北城1528-1
0261-85-4120