【Taste the Time~ 古木、古民家がつなぐストーリー ~】第六話 「再生した温泉旅館が提案するサステナブルな生き方」のお話
山翠舎のある長野と言えば、温泉旅館から変身した宿「松本十帖」が気になっていた。
というのも、「松本十帖」と同じ株式会社自遊人が経営するホテル「講 大津百町」に1年ほど前に泊まったことがあり、とても印象的な古民家の宿だったのだ。
ハイセンスで清潔、坪庭や床材などの細かな内装も美しく、旅先なのに家にいるように温かく居心地の良い空間。
近隣の店舗を紹介するオリジナルの冊子にはガイドブックでは得られないような貴重なローカル情報が載っていて、ドリンクコーナーの飲み物やお菓子などにも随所に地域への愛が詰まっていた。
それも簡単な散策マップや地元の銘菓を置いておくレベルではなく、作り込みが尋常じゃないのだ。
そして最近、新たに「松本十帖」がオープンしたと聞き、興味津々。
早速、株式会社自遊人の岩佐代表にお話をうかがってみた。
「実は1995~1997年頃に3年ほど、田舎への移住をテーマにした、リタイアした人向けの雑誌の編集長をしていました。当時、田舎に移住するならば古民家に住みたいという人は多く、古民家物件の見学や移住した人への取材を日本全国で行っていまして。
それと、友人が、古民家を移築・再生する建築事務所にいたのです。もう25年ぐらい前の話ですが、その頃から長野は移築や古民家再生が盛んでしたね。
古民家も旅館も、記憶をどうつないでいくかということ。思いがあってつくられた建物をどうやって継いでいくかということに興味があります。」(岩佐さん)
古民家好きは建築物としての建物の構造や技術に目がいきがちだが、岩佐さんはハード(建物)の活用以前に、ソフト(記憶)をつなぐことに重きを置いている。
それにしてもコロナ禍での開業にはとても苦労も多いに違いない。
廃業する宿のニュースも増えてきているなか、旅館の再生は今後盛んになるのだろうか?
「日本の旅館は損益分岐点が高く、利益率が低すぎる。旅館があるからといって活かして収益を出すことはなかなかうまくいかない。外国人はサービスを求めないゲストハウス型だが、日本人は過剰にサービスを求める旅館型。世界中を見渡してここまで品質にこだわるのは日本ぐらい。
日本は戦後の経済成長で、お客様は神様という雰囲気になってしまった。その結果、過剰サービスが生まれ、旅館だけではなく日本中のサービス業全般が苦しむことになった。
日本の旅館は①床面積が広く、投資額が大きいこと、②労働集約型産業であることが二重苦になっている。海外の宿泊施設は①のみ。500室のホテルがざらにある。古民家だから儲かる訳でも、人が来る訳でもない。根本的に大きな違いがある。」(岩佐さん)
確かに、筆者が気に入るコスパが良くてサービスが良いお店は次々閉店していく傾向がある。お客さんにとってお得なものは、お店側からすると利益率が低く、採算がとれないのだろう。無意識のうちに過剰サービスに慣れてしまっているのかもしれない。
「古民家を大切にする地域ですら、マンションに住む人が大半。お金持ちでなくても小さな町家ならば再生可能だと思うが、住みたい人はごくわずか。
古民家を活用して宿にするとしても、コロナ禍では1年も経営が続かないケースが多い。その理由は、超短期で投資回収しようとする発想。移築するならば2回家を建てることと同じでそれだけお金もかかる。補強を入れたり、柱を継いだり、土台を直したり、きちんと改修すればお金はかかるが価値あるものができる。
古民家には時間が経った木の表情がある。新しいものではこの表情はつくれない。古材風、古民家風は塗装でもできるが、本物とは違う。古民家はわざわざ丁寧に1本1本外して骨組みにして番号を振りながら解体する。全部組み直して新築にしても古民家の持つ空気感は全く違うもの。」(岩佐さん)
筆者が見聞きしてきたなかでは、日本の古民家で現存するものは古くて築400年程度だろうか。人間の寿命の方が追いつかない。自分の生きているうちに投資に対して利益回収をと思ってしまうと短期的な発想に陥ってしまうのだろうか。
しかし、明治時代創業の老舗などは幾度もの戦禍や危機を乗り越えて続いているようなところもある。事業基盤や建物を築いた人の熱意と努力がその後も長く続いていく、適切な後継者探しと地域で支える仕組みと目先の大利に囚われないことがビジネスの長生きにつながるのかもしれない。
「長野県松本市浅間温泉の老舗旅館を事業継承して3年が経ちました。松本十帖は2棟の建物から構成されていますが、これを「松本本箱」「HOTEL小柳」という2つのホテルに再生し、昨年プレオープンしました。」(岩佐さん)
「宿の周辺の特徴も考え、施設を配置しています。宿のレセプション兼カフェから徒歩で宿泊棟に行き、近くの日帰り湯に歩いて向かう途中で本屋に寄ってもらうような行動イメージ。
日帰り湯が近くにあるため、松本十帖では宿泊者のみが使える、浅間温泉の共同浴場スタイル(シャワーもカランもドライヤーもない)の小さな温泉しか用意していません。浅間温泉には共同浴場が沢山あり、生活に根付いているのです。その1つに枇杷の湯というかつては松本藩主しか入れなかった殿様の湯がありますが、これに対して松本十帖の前身である旅館小柳は「小」と名前のつく通り、柳の湯の隣にあった下級藩士用の湯でした。
枇杷の湯:殿様湯(※現在は一般の入浴可能)
柳の湯:上級藩士の小さな湯(※一般の人は入れない)
小柳の湯:下級藩士の小さな簡素な湯
この3つの湯が南北一直線に並んでいるので、恐らくここにあったのだろうという場所に小柳の湯を今回再生しました。
あえてもともと旅館小柳にあった大浴場は潰して本箱にしました。」(岩佐さん)
だ、大浴場を潰して本箱に!????
湯に浸かるように本に浸かれる空間!
「松本は文化都市であり、勉強熱心。開智学校が松本にあり、教育熱心で文化成熟度が高いので本と相性が良いのです。
そもそも大浴場というものは日本の温泉文化ではなく、昭和40年代の観光ブームでできたもの。温泉として必要なものでもない。
20台のカランが並ぶ大浴場は広々していて気持ちは良いかもしれないが、使っていないカランにも常に熱いお湯が出るように流れ続けている。つまり、大型ボイラーがそこに動いているということ。掛け流しならば燃料がいらないが、ボイラーはお金がかかっている。また、大浴場は上が熱くて下がぬるくなる傾向があるので循環しないといけない。大浴場は昭和の発想。大浴場+タオル使い放題がだいたいセットだが、タオルにはクリーニングに大量の洗剤が使われている。環境破壊。
食事も豪華な食材は昭和的。温泉旅館でご馳走という発想は古い。牛のステーキや鮑などは環境に負荷のかかる食材なので値段が高い。蟹やマグロなどは絶滅危惧種なので競りで高値が付く。
昭和時代はこれらが豊富に採れていたので良かったが、今では森が荒れて、海が荒れて、磯焼けになり、環境破壊されて高値になっていく。」(岩佐さん)
そうだったのか!おいしい、心地良いと思うものの裏側には悲しい現実があったなんてショックだ。
「サステナブルな取り組みを評価するグリーンスターの発想が大事ですね。」(山上社長)
「今は他にも本当においしいものがある。希少価値があるものや、金額の高いものに対して人が動くといったライフスタイルがナンセンス。高いもの、大きいものに興味を持つ、生活の全ての物事の価値基準が昭和的。
昭和(モノの時代)→平成(コトの時代:体験価値)→令和(トキの時代:時間価値)。何もしない前提で過ごす。そこで過ごすことの時間価値が価値基準になる。1年365日、人間に平等に与えられた時間をどう過ごすか。旅館での滞在(20時間)でどういう価値を提供できるかという発想がこれからの中心となる。東京や名古屋から2時間半かけて松本に来て、往復時間や準備時間など含め36時間の時間価値は「信州牛」でもなければ、それこそ「キャビア」や「フォアグラ」ではないはず。食から地域へ思いを巡らすような、ローカルガストロノミーこそがこれからの時代には重要。生きている限られた時間に何万円支払うか。時間とは人間らしさの学びの時間。新しいことを発見する、得る、新しい価値観を自分で学ぶといった価値観の創造が大事。
36時間かけて現地に行った人に対し、どれだけプライスレスな時間価値を与えられるだろうか。」(岩佐さん)
確かにわざわざ時間とお金をかけて行く場所ならば満足度も比例していてほしい。IT化が進み、オンラインで会いたい人に会えて、在宅勤務が増えて移動時間の短縮が進む今、インターネット上でほしいものが買えるどころか、オンラインで祭にまで参加できるようになった。つながりたい人、もの、地域にダイレクトに接続する以外は無駄が省かれているような気がする。
お客さんだったり、目の前の相手だったり、その人の時間を最大限豊かにできるもの。そういう人や企業のサービス、地域がより厳選され、いっそう人気を集めていく時代が来ている。
このタイミングで岩佐さんにお話をうかがえて本当に良かった。