岸家 Modern Ryokan kishi-ke が考えるこれからの宿:前編
岸家 Modern Ryokan kishi-ke が考えるこれからの宿:前編
一日一組限定の体験型旅館、岸家(Modern Ryokan kishi-ke)。禅の言葉「知足」をコンセプトに2019年の5月にオープンして以来、フランスの「VOGUE PARIS」、イギリスの「Telegraph」等々、海外でのメディアにも盛んに取り上げられ、“今の宿のあり方”として世界的な注目を集めています。
KOBOKU通信では以前、オープンに向けて動き始めていたオーナーの岸さん夫妻を取材したことがあります。
あれから4年。コロナもあり、人の考えや動き方も大きく変わろうとしているなか、岸家はどう動き、何を見ているのだろうか?
前編では、「知足」のコンセプトが生まれた岸さんの家族的な背景から、そのコンセプトをどこまで展開できるかのイメージまでが語られます。
目次
お祖父ちゃんと飲んだ玉露の記憶
岸 信之(以下、岸):前取材していただいたときにもお話したと思うんですけど(参照: テーマは「日本を住まう」。鎌倉に古木で旅館を作る岸さん夫妻にインタビュー。)、僕はお祖父ちゃんの影響が強くて。
あのとき「日本を住まう」とか、「知足」っていう話をしたと思うんですけど、特に知足っていう概念を僕は大事にしてまして。
岩田 和憲(以下、岩田):「足るを知る」っていう話ですよね。印象深かったのでよく憶えてます。
岸:あれは(*まだ岸さんが岸家を始めていない会社員時代)、海外出張に行った時にふわっと浮き上がった概念だったんですけど、そのとき、お祖父ちゃんとお茶の玉露を飲んでたことを思い出したんです。
玉露って、淹れるのに5分ぐらい時間かかって、飲むと10分くらいかかる。僕、お祖父ちゃんと自由が丘に住んでたころがあって、僕が忙しい時によく、お祖父ちゃんが「お茶飲もうよ」って言ってきたんです。祖父はけっこうわがままだったので、まあ、ノーとも言えず。いつも飲まされていたというか、付き合っていた。
岩田:それはいつぐらいのころの話ですか?
岸:祖父が94で、僕が32、3歳だったころかな。
そうやって祖父とお茶を飲んでたことを、タイへ出張行ってた時に思い出して。
お茶を淹れて飲むのって20分くらいかかるわけですけど、最初、それがすごい嫌だなあって思ってたんです。でも、だんだん飲んでるうちに頭がリフレッシュしていく。そういうことを思い出して。
だいたいそうやって祖父とお茶を飲む時って、自分が忙しくて仕事に追われてたときだったんですけど、「ああ、あの体験はすごい良かったな」っていうのがあって。
そのころ、すごい仕事が忙しくて。海外の、アメリカの企業の社員さんたちとかの相手をしてたんですけど。
彼らは僕らより給料を2倍、3倍ともらってらっしゃる方たちだったんです。でも一方で、簡単に解雇される世界。だから病んでる方もいたりして。そういう姿を見ながら、どうなのかなあって思ってたんです。
その時にパッと祖父と飲んだ玉露のことを思い出して、「ああ、こういう玉露の時間みたいなもの、日本文化をシェアしたいな」と。そう思って妻と一緒にこの岸家をやり始めたんです。
岩田:そうだったんでんですね。
岸:そのころには、祖父はもう亡くなって半年ぐらい経ってたんです。祖父の家も売らないといけないっていう状況だったので、これも新しいことを始めるタイミングなんだなと思って。
で、妻の仁美は、もともと多摩美術大学のプロダクトデザインを専攻していて、当時はパナソニックに入社して建材とか家関連の部署で働いてたんです。
タイから帰国して、「日本文化をシェアできるような宿をやりたい」って僕が伝えたら、彼女も「やってみようかな」みたいな感じになって。であればということで、やりだしたわけです。
自分でも気づかなかったのは、てっきり知足っていうのは、僕が自分で思いついた概念だと思ってたんです。でもよくよく母に聞いたら、「よくお祖父ちゃん、足るを知るってあんたが子どものころ言ってたよ」って。
ああ、そうなんだと思って。
岩田:無意識的記憶というやつですね。
岸:そうなんです。
さらによく聞いたら、祖父は伊豆で割烹旅館をやってたことがあったらしく。祖父も宿をやってたんです。ああ、そういう流れだったんだなって思って。
前回取材してもらったときには、そういう祖父のことを僕は知らなかったんです。
だからけっこう祖父の影響があって宿を始めた、っていうのがあります。
岩田:面白いですね。
岸:なので、コンセプトは知足。足るを知る、になったんです。
「足るを知る」は、「足らないことを知る」ことでもある。
岸:ただ、「足るを知る」っていうのを全面に押し出しながら、自分ではちょっと引っかかってたことがあって。
どういうことかというと、岸家は富裕層向けの宿なので、「足るを知る」っていうのとはちょっと矛盾するんじゃないか、そうお客さんに感じられてしまうことがあるんじゃないか、と。
岩田:例えばどういう点でですか?
岸:例えば、水にしても、水道の水で足りてるわけじゃないですか。
岩田:はい。
岸:でも僕らがこの宿で出してるのは、富士山のミネラルウォーターなんです。つまり高品質なものを提供してる。
それって知足と真反対じゃないか? そういうふうに思われるかなと思って。
もちろんそれは、いいもの、高品質なものでも華美なものっていうわけではなくて。どちらかというと、職人や料理人、デザイナー、建築家が、手をかけ時間をかけ丁寧につくったものを僕らは良いものとして提供しているだけなんですけど。
それであるとき、北鎌倉のお寺の和尚さんだった方に、岸家のコンセプトとか、「こういうことやるんです」とか話してたら、その方に、「知足って、足りてるっていうことを知るのもそうだけど、おそらく、足らないことを知ることだとも思う」って言われて。
岩田:へえ。
岸:逆説的なんですけど。
「自分が何を持っていて、自分がどんな位置にいるか。それを知らないと、何が足りていて、何が足りていないかっていうことがわからない。自分は本当は何を欲しいんだろうか、何が足りていないんだろうかっていうのを、足りていることを見つけることによって知っていくことなんじゃないの?」って言われて。
「こういうことって普段から忙しい現代人にはゆっくりと考えられないし、こういうちょっとリフレッシュした場所じゃないとできないから、面白いね、それ」って言われて。「ああ、そうだわ」って思って。
岩田:いい話ですね。
お客さんが部屋の掃除もする!?
岩田:ちなみに岸家のオープンって何年の何月でしたっけ?
岸:2019年の5月。だから、オープンして1年ちょっと。
岩田:その1年ちょっと、知足というコンセプトを立てて実際にやられてきて、新たな気づきってありましたか?
岸:前回取材していただいたときの記事をあらためて読んでみたんですけど、今も考え方はほとんど変わってなくて。むしろオープンして1年ちょっと実際にやってきて、「知足」とか、「日本を住まう」といった概念が日本人の特徴的な心のマインドセットになってるなっていうのは、より感じるようになったというか。
変わった点があるとしたら、オープン当初はまだふわっとした感じで知足と言ってたことが、今では爪の先から頭の先まで全部、そのテーマに沿って宿を提供し出したっていう。
何が言いたいかっていうと、
岩田:いろいろ繋がってきた?
岸:繋がってきたっていうことです。
例えば、「旅する石鹸」っていうのがあるんです。神戸の石鹸なんですけど、キャラメル箱みたいになってて、中の包装もキャラメルみたいに個包装になってるんです。
なので、一回のシャワー、一回のお風呂に対して、一個が使い切れる。
そうすると何がいいかっていうと、普通、ホテルの石鹸、ソープバーって、結構いいものが置いてあるけど、大きいから使い切れないし持ち帰れもしない。絶対捨ててるし。もったいなんです。
岩田:他のお客さんに使いかけの石鹸を使い回す訳にもいかないので、その都度捨てられてしまうっていうことですね。
岸:そうなんです。
なので、岸家ではそういう無駄を省いたりとか。
しかも「旅する石鹸」って手作りの石鹸なので、これを使うのは楽しいだろうなとか、そこに人の温もりを感じたりすることで、知足に触れつつ、ちょっと嬉しい、楽しいっていう感覚にも繋がるんです。
あとは体験でいうと、僕ら、茶道をお客さんに提供してて。
岩田さん、茶道はされたことあります?
岩田:そうですね、ちゃんとした経験はないかなあ。
岸:茶道の体験って、「にじり口から入って」とか、「器は二回まわします」とか、「点てるとしたらお抹茶を入れて点てます」みたいなことをやるんですけど、それってお客さん側の体験なんです。
僕らの宿ではどっちかっていうと、ホスト側の体験をしてもらっていて。
例えば、部屋を全部掃除、雑巾とか箒でお客さんにきれいにしてもらうんですよ。
岩田:へえ、それは面白いですね。
岸:先生に来てもらって、お客さんは稽古としてそれを先生と一緒にやるんですけど。ほかにも炭を焚くために灰を漉したりとか、どの掛け軸を今日掛けるかとか、花を活けたりとか。場合によってはお菓子を作ったり。
ホームパーティーをするとわかるんですけど、けっこう準備に手間がかかるんですよね。
抹茶っていうのは茶碗の中に50cc入ってるだけで、それで喉の渇きを潤せるわけでもないし、高麗人参のように高い栄養価があるわけでもない。つまり飲み物を飲むというよりその世界観を飲むものなので、じゃあその世界観を飲むっていうことは何かっていうと、ホストの、亭主の心づくしだと思うんですよ。その心づくしを知っていただくと、今度はこの一杯のお茶に溢れている愛情がわかると思うんです。その上でその一杯を飲めば、自分が満ち足りているっていうことまでわかると思うんです。
ファーストフードでも、ちゃんと精神集中して食べてますか?
岸:この考えをもうちょっと進めて、今こんなことを考えているんですよ。うちは朝食に精進料理を出してるんですけど、何回か泊まりに来ていただいたお客さんには、マクドナルドのようなファーストフードをちょっと出してみたいなと思ってて。
岩田:そのままですか?
岸:はい、そのまま出してみたいなと思ってまして。
バーガーとフレンチフライとコーラ。
普段、そういうファーストフードを食べてる時って、岩田さん、どんな時ですか? 仕事中?
岩田:たいてい家族がご飯を作りたくない時だったりするかなあ。
岸:ああ、なるほど。
岩田:休日とかが多いです。
岸:それだったらいいかも。
けっこうサラリーマンの方って、例えば営業マンとか、時間が10分、20分空いた時に、パッと入ってパパッと食べて店を出る。もしくは、パソコンで仕事の処理をしながら食べる。
要は何を食べてるかがわからない状況で、パラレルで他の作業をしながら口の中に入れてる方、多いと思うんですよ。それを食べていることに集中できている方って、そんなにいない。
でもそこで、ちょっとパソコン作業を止めて、五分ぐらい集中して食べてみる。「ああ今、バーガー食べてるわ」とか「コーラ飲んでるわ、やっぱり甘いな」とか、「フレンチフライ、いつもより塩っ気が強いな」とか。そうやって集中してると見えてくるものがあると思うんですね。
目の前のものが見えてくると、今度はバックグラウンドが見えてくる。例えば、このバーガーも誰かが牛を育てたから出来たんだとか、このパンも誰かが作ってて、それを誰かがドライバーとして運んでて、ウェブシステムを誰かが構築してバイトさんがいて、っていう。500円の食事でも、けっこうそういう手間がかかってる。それを知った上で食べると、まあこのファーストフードも悪くないかなって思えると思うんですね。
そういうことを今考えてて、いろいろ人にも聞いてみながら、朝食にちょっと出してみたいなと。普通だったら怒られると思うので。
結局何が言いたいかっていうと、そういう茶道の体験とかをしてると、茶道の亭主の動きもマクドナルドのバーガー提供する人も一緒で、そういうふうに目の前のものが見えてくると、バックグラウンドが見えてくる。そうすると、自分が何を持っていて何を持ってないかっていうのがわかると思うんです。
それでも「やっぱりロブションへ行きたい」とか「懐石料理に行きたい」っていう思いが変わらないとしても、今そのファーストフードを食べてることも同じようにポジティブに思えるんじゃないかと。
岩田:つまり、解像度が上がるっていうことですね。
岸:そういうことです。
岩田:それにしても、かなり突っ込んだ実験ですね。
岸:そういうのを、いろんな方にお話しながら可能性を探ってるところです。
知足を感じてもらうためのソリューションとか訓練とか、そういう体験も提供したいなと思ってて。