「養豚場が生き残る道」平野養豚場を訪ねて。その1

インタビュー
公開
12723 Views

「養豚場が生き残る道」平野養豚場を訪ねて。その1

大規模化しないと生き残れないとされる養豚の世界。そんななか小規模家族経営で危機を乗り越え、着実に認知を広げるこだわりの養豚場が千葉県木更津市にあります。平野賢治さん、恵さん夫婦が切り盛りする平野養豚場です。平野さんのような小規模農家が立たされている現状、その危機を乗り越えるための視点とは? そんなお話を聞いてきました。


その1「地元に買い戻す」

平野養豚場(ひらのようとんじょう)千葉県木更津市にある同市唯一の養豚場。庭先養豚に始まり、1973年にSPF豚の養豚場として開設。現在は三代目の平野賢治さん、恵さん夫婦が中心となり、抗生物質やワクチンを抑えた林SPF豚を1400頭育て、「木更津の恵みポーク」としてブランド展開している。

廃業の危機


岩田 和憲(以下、岩田)
もともと廃業しようと思われてたんですよね。

平野 賢治(以下、賢治)
2009年からその話が出て、

平野 恵(以下、恵)
それに向けて2010年ぐらいから頭数を減らしてたから。

岩田
結局、収益が出ないからですか?

賢治
ここをぜんぶきれいに作って一生懸命やったのは親父で、それなりに儲けて借金を全部返したのも親父なんだけど、2009年ごろからは「儲からない、儲からない」って常日頃呟く感じになって。
それで廃業するかってなって、「じゃあちょっと何年かぶんの帳簿見せてよ」って言って。
見たら、まあ、うちは薬品代が高いなってことがわかって。
そこから獣医さんと相談しながら、無駄だなと思った薬はどんどんやめてって。
あとは手順。家族だけのナアナアでやらないで、分娩前、分娩後、病気用とかで豚を分けたりとか。長靴もぜんぶ(各豚舎で)専用にして。その都度、消毒もして。
昔は一足でそのままぐるぐる回ってたので。

岩田
同じ長靴で回るといろいろ弊害があるんですか?

賢治
少ない頭数のころはいいんですけど、こうやってだんだん大きくなってくると、病気が蔓延したとき、毎日毎日、豚が死ぬみたいなことになるので。
病気が20%まで上がっちゃったときもあって。
そうなると「どうしよう」っていうことで、また薬づけになっていくんですよ。

岩田
ああ、なるほど。

賢治
豚が死に出すと、親父が「賢治、おまえの給料出ねえかもしれねえ…」とか言って(笑)
午前のお茶、お昼ご飯、夜ご飯、ぜんぶこの話題。
で、壊す見積もりを出したら、「3,000万かあ…」と。

岩田
廃業した時の解体費ですか?


産廃がいっぱい出るから。

賢治
「これはやめるにやめれんなあ」って。「もうちょっとやるかあ」ってなって。
とにかく明るい話題がなかったなあ。
親父も楽しそうには仕事してはいなかったな。

相場に揺られる


岩田
今は、楽しいですか?

賢治
今は相場がいいからね。

岩田
結局、薬代とかを見直して、財務をたて直して。
今は経営がうまく回ってる状態なんですか?

賢治
ちょうどその、廃業しようと言ってた翌年からPEDが出て、

岩田
下痢の病気ですよね。


そうです。

賢治
それで相場が一気にあがって。
一頭あたり1万以上あがったかな。
昔は今より相場がずっと安くて。
肉豚安定基金っていう保険金(*)が出てたんですけど、

岩田
保険金?


国が守ってくれるんですよ。

*保険金 … 養豚経営安定対策事業のこと。通称・豚マルキン。養豚経営の安定を図るため、収益性が悪化した場合に粗収益と生産コストの差額の8割を国庫積立金から補填する。

賢治
生産者も積み立てて。
で、ずっとその安い相場のまま5、6年続いてたのかな。
でもそのころ生産者は、みんな「やめるか、やめないか」みたいな状態に立たされてて。
「豚舎を作り直したくてもこの相場じゃ無理だな」みたいな。
それが、その翌年から相場が上がって、今日までずっときてる。

地元に買い戻す


岩田
継続できたのはそれのおかげなんですか。
外因的な理由ですよね。


その恩恵を何年も受けられるわけじゃないと思ったので、その間に販路拡大をしましたよね。

賢治
差別化だよね。


そう。
どうやったらこの小さな養豚場が生き残れるのかなって考えたとき、「グローバルな視点でやらないといけないけど、立ち位置はローカルでいかないといけないのかな」って。
輸出したり、県外や都内で一番をとったりしたいわけじゃなくて、もっと地元に根付いた養豚。
認知度を上げていって、「もっとみんながこの世界のことを知れば応援してくれるんじゃないかな」って感じでね。イベント出たりとか、飲食店さんに掛け合ったりとかして。
そういうのもあって、今のところ下がってない。
ただ、ほかの養豚場さんと比べてうちが群を抜いて価格がいいかっていうと、そうでもないと思うんです。

賢治
地元の人に食べてもらうために、月10頭、ないし20頭ぐらい、東京市場から千葉の和喜多さんっていう肉屋さんに、買い戻してもらってて、

岩田
どういうことですか?


わたしたちは生産者ですよね。必ず市場、屠場っていうところに出さないといけなくて、

賢治
芝浦の屠場に生体で持っていって、一晩係留されてから屠畜解体されるんですけど。
そこから買参権のある石橋ミートさんが買ってくれて、それを和喜多さんが一頭買いして、飲食店さんに一頭売りをする。

生産者から飲食店へ至るお肉の流通相関図(和喜多さんのチラシより)

岩田
つまりその平野さんの販路拡大っていうのは、平野さんが飲食店と掛け合って、和喜多さんからその飲食店へ卸してもらうっていうことですね。


そうです。
なんで東京の屠場に出した豚をそうやって地元の木更津に戻したいかっていうと、やっぱり廃業するかどうかってなって、テンションもモチベーションも落ちてたとき、自分たちがつくったものに対して「美味しい」とか「ありがとう」とか言ってもらえることがなかったんですよ。
そのころは、木更津で扱ってもらってるお店は1店舗しかなかったので。

岩田
それはどこだったんですか?

賢治
清見台サンロクっていう、自分の行きつけだったお店で。
そこのマスターが「ケンちゃんの豚、使いたいんだ」って言って。
今はもうお店を閉めちゃって燻製のオリーブオイル屋さんを始めてるけど。
路地裏のわかりにくいお店だったよね。


小さなお店なんですけど。ほんとに、そこからスタート。

平野賢治さんと恵さん。

次回へつづきます。

この記事のライター WRITER

岩田和憲

グラフィックデザイナー。言葉と写真もデザインも同じものとして扱っています。元新聞記者。元カメラマン。岐阜県出身。 https://www.iwata-design.com/