「築150年の土蔵を手放す」古民家解体の裏にある、持ち主海川さんの想い。

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「築150年の土蔵を手放す」古民家解体の裏にある、持ち主海川さんの想い。

長野県大町市平の国道148線沿いに建つ、海川盛利さん所有の築150年という大きな土蔵。今回、JR信濃木崎駅に向かう歩道拡幅工事のために解体せざるを得ない状況になりました。この海川家に代々受け継がれてきた土蔵に使われていた古木を、山翠舎で買取させて頂くことになりました。そのままの状態で取り出すのは難しいと思われた長さ8mにも及ぶ巨大な棟木も、切ることなく運び出すことに成功。今、大町の倉庫で次なるステージの出番を静かに待っています。(取材・文:横澤冨美子)

海川 盛利 さん
1961年、長野県大町市生まれ。幼い頃より父の大工道具や木材に慣れ親しむ。
1982年より大町市在住の工芸美術作家・高橋貞夫氏に師事。木彫はじめ、木を用いたオブジェ制作を始める。1987年に独立。1990年に日本現代工芸美術展に初入選し、1996年には日展初入選を果たし、以降13回の入選を数える。現在、大町市職員として大町市文化会館に勤務しながら、今秋11月開催の日展出品に向けて新作を準備中。

土蔵の解体

横澤 冨美子(以下、横澤) 
最初にまず、今回、解体された建物は、いつぐらいに建てられたものですか?

海川 盛利(以下、海川)
明治6年って、棟木に書いてありましたから、今から150年ほど前になりますか。父、祖父、曾祖父の前の時かなぁ。僕で5代目ぐらいですね。当時としては、3間×5間もある相当大きな土蔵でしたね。元々は土蔵だったんですが、随分古くから改装して住居として使っていました。僕も生まれた時から、そこで育ちましたから、土蔵という意識はなく家でした。

横澤
いつ頃から、使われていなかったのですか?

海川
もう20年くらい、ずっと使ってなくて。別に住むところを建てたので、そこは物置みたいになっていました。

今回解体された、海川さんの築150年の土蔵。

横澤
そのまま残しておいたのは、どうしてですか?

海川
小さい頃の思い出がいっぱい詰まった家でしたから、壊すとかいう考えがなかったですね。今回、国道の歩道拡幅があって、それはもう、やむを得なかったので。ただ、今後残すと言っても大変ですし。丁度、国道がすぐそばを走っている場所だったので、もう少し場所が違えば改装だったり、どこかに曳家するとか。

横澤
拡幅工事の話がなければ、今のタイミングでは解体されなかったのでしょうか?

海川
ええ、気持ち的にも経済的にも解体しなかったでしょうね。今後いずれ、解体するとか改築するとか、何かしないといけないと思っていましたが、なかなかきっかけがなかったので。たまたま今回の拡幅工事があるということでふんぎりがつきました。

山翠舎との出会い

横澤
ところで、山翠舎は以前からご存知でしたか?

海川
山翠舎さんが古木を再利用して建築されている、そういうところがあるんだって、ネットで検索して知りました。壊すにしても、凄く良い木材を使っているのは分かっていたから、ただ産業廃棄物にして捨ててしまうのは惜しいと思っていました。でも立地条件とか増築をしていたりとか、簡単に解体できない難しい工事になるらしくて。長く大きな棟木も、1本そのまま取り出しできないとか。古材としてそのまま使うのは無理なのかなぁと諦めていました。

横澤
実際、山翠舎で古木を買取させていただくことになったきっかけは?

海川
姉が山翠舎さんに電話して。良いところがあったら、持って行ってくださいって。

横澤
ご縁が繋がって、良かったですね、思い出ある古木が捨てられずに。

海川
もう一度、古木を活かしてもらえるのが、良いことだと思います。また次に何かに活かしてもらえるっていうのが、こちらとしても気持ちがすっきりします。僕の元を離れたけど、次に活かしてもらえると思えば、気持ちよく見切りが付けられて、凄く良いことだと思います。

土蔵の解体現場

思い出多き家の解体に向き合って

横澤
実際に解体が始まった時には、やはり喪失感とかありましたか?

海川
何とも言えないですよ。壊れていく、歴史がひとつ閉じるような感じで。ここで生まれ育った80歳過ぎた叔母が拝んでいましたよ、家に。今までお世話になったって。自分のストーリーが、この家に全部詰まっているから。

横澤
思い出多き家が取り壊されて、更地になってしまった時の心境って?

海川
なくなっちゃったって、ぽっかりと心に穴が空いた気分。でも、残像は見えますよ。ここにこうあったという残像が。不思議なもんですね。

横澤
少しずつ時間が経ってきて、心境って変わってきましたか?

海川
今まで、ついつい古いものをもったいないからって置いておきがちでした。家自体も古く、何代も続いて長く暮らした家ではあったけれど、昔のものにしがみつかないで、思い切って割り切る気持ちも必要かなぁなんて、ふと思ったりもします。これからが大事だから。大事なものだけで、これから先、生きていけば良いし。そうやって、子供たちに渡していけば良いじゃないかと。捨てるものは捨てながら、良いものは良いもので残して、つなげていくって、今回両方できるっていうのは良い機会でした。

木の魅力とは

横澤
海川さんが感じる木の魅力を少しお聞かせいただけますか?

海川
木って、外に置いておけば腐って土に還っていくんですよ。だけど、それはそれで良いのかなぁと思うし。そうではなくて、木から何かひとつ作って大事につなげていけば、何百年も続いていく素材でもあるし。一方で儚いものだけど、ちゃんと手を加えていけば未来永劫に続いていく素材ですよね。

横澤
そうですよね。

海川
木って触っていても温もりが伝わるので、とても肌に近い素材だなぁと思います。彫ったり削ったりという作業をしている時、何とも言えないですね感触が。ハマっていくことがあります。一人黙って削っている時に、木に対して刃物を当てているんだけど、木と一緒になって感触を楽しんでいるというか。何とも言えない肌に近い感触ですね。

横澤
木も呼吸しているんですよね。

海川
そうですね。今(梅雨)の時期には木が湿気を吸収して、今度乾燥してくると水分を吐き出す。

横澤
そういう意味で言うと、木造建築は日本の風土に合っているのでしょうか。

海川
日本人にとって木で作られた家に暮らすってことは、合っているでしょうね。肌に近いんだろうなぁ、落ち着くところだろうと思います。もう一度、木という素材を見直していっても良いんじゃないでしょうかね。

屋根の解体

古木をモチーフにした造形作家でもある海川さん

北アルプスに抱かれた安曇野に生まれ育ちました。
日々、ここに暮らす者にとって、険しくそして優しさに満ちた山々と、水と緑にあふれる安曇野の情景はふるさとそのものです。
心の原風景というのでしょうか。いつも私を支えてくれる風景です。私なりに、この地に生きている証しを形にしてみたいと思っています。
海川 盛利

「樹々と風と光とー森の協奏曲」(2018年 日展出品作)

横澤
木を用いた作品といっても、木彫とかと違いますね。

海川
これは木彫と、ちょっと違いますね。この部分(中央の朱色部分)は栗の木ですけど、今回ではなく前に壊した家の土台の栗の木です。腐ったような、ヒビ入っているおかしなところをわざと使っています。実は亡くなった父親が建てた家で、そこで使われた材料を使って作品にしたいと思って制作しました。

横澤
古木をモチーフにされているんですね。1本、1本にそれぞれの想いが刻まれていて、そんな古木をモチーフにしたアート作品を世界に発信していけると良いですね。

海川
山翠舎さんの古木を材として使わせて頂いて、それで新作に取り組めれば面白い作品が生まれそう。

横澤
ご縁から繋がった古木の和が広がって、日本の古木の魅力が世界へと広がってと良いですね。本当に、本日はありがとうございました。

これで海川さんとのお話はおしまいです。
お読みいただきありがとうございました。

解体された土蔵

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