古木の施工現場を統括。山口直樹さんインタビュー前篇「現場監督荒修行」

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古木の施工現場を統括。山口直樹さんインタビュー前篇「現場監督荒修行」

20代前半で現場監督となり、以降、数々のハードな施工現場を取り仕切ってきた山口さん。2010年代以降は古木を使った内装施工現場も見てきました。現場監督の仕事とは何か? 建物が美しく立ち上がるには、ともすると、デザイナー以上に現場監督の仕事が大きな影響力を持っているのかもしれません。そんな山口さんにお話を伺いました。

前篇「現場監督荒修行」

山口 直樹(やまぐち なおき)1972年、長野市生まれ。株式会社山翠舎東京支社長。 93年、同社の前身である株式会社山上木工所に事務職として入社。90年代、東京お台場の商業施設建設ラッシュから現場監督としての人生がスタート、2010年代以降は古木を使った内装施工現場も多数経験。今は同社の東京支社長として、古木を使った施工現場を統括している。

殺されはしないから、大丈夫。


山口 直樹(以下、山口)
僕が就職したころって、けっこう就職難で。専門学校を卒業してその分野で就職しようと思ったんですけど、ダメで。わたしの父と会長(株式会社山翠舎・山上建夫会長)が同級生だったもので、それで、あの、「来てみるか?」っていうのでこの会社に入ったのがきっかけだったんですね。

いわた
はい。

山口
最初は事務方で入ったんですけど。
で、そこで、年月が経っていくうちに、そのころうちの会社も若いスタッフがいなかったので、おまえ若いから行って来い、みたいな感じで県外の仕事にも行かされてたっていうのがあったんです。

いわた
ええ。


山口
今思うと、そこで哲学というか、考え方というか、会長の背中を見て仕事をしてきたので、そういったのがバックボーンにはあって。
まあ、例えば「失敗しても、山口さん、殺されはしないよ」っていうか、「お客さんが怒ってても、命まで取らないよ」とか(笑)
トラブルがあったときの対処法、考え方、そういうのは肌で感じたっていうか。どんな場面でもどーんと構えてる。そういう大きい考え方を持ってる方だったので。

いわた
あの世代の方たちはそのへんが強いですよね。

山口
打たれ強いというか、なんとかなるっていう感じがあって。

いわた
そういう言葉、しかも深いところから発してきますよね。

山口
それは実際に経験してるからだと思ってて。

90年代、東京ハードワーク。


いわた
最初、事務として入ったときに、お使いと騙されてお台場の現場に行かされて、その場で現場監督にさせられて。しかも一億円の物件を任されたという話を聞いてます。

山口
任されてはいないかもしれないですけど、山翠舎、というか当時は山上木工所の、いちおう社員ですので、やっぱり窓口にはなりましたね。

いわた
それは何歳のときですか。20歳のころですか?

山口
いや、入社して2、3年ぐらい後からですね。

いわた
大変でしたか?

山口
大変でしたね。お台場のビーナスフォートで。新築で建てるいちばん最初の時で。現場経験がまったくなく、知識もないから。
「搬入届けとか、今日はどんな工事をやって、何人が入って、明日はこんなことやって、明日は何時から搬入するとか、書類上の手続きをやってくれればいいから」と言われて最初は行ったんですけど…

いわた
はい。

山口
蓋を開けてみたら、それだけでは収まらず(笑)。


いわた
現場監督まで

山口
現場監督の真似事みたいな。職人さんの交通整理とか。

いわた
若干22、3歳で現場を統括するんですからね。
そのとき山口さんを統括する人はいなかったんですか?

山口
長野本社で会長が、影の統括をやっていて。

いわた
(笑)

山口
だから分身みたいなかたちでやってたんですけど。

いわた
現場監督って、現場へ行って、陣頭指揮をとって、工程管理したりして。
で、現場から戻ってきてまたパソコンを前に書類やら何やらの作業があるわけですよね。
血便血尿まで出ながらも何とか生還したという噂を聞きましたけど。


山口
あのころ、ビーナスフォートがあって、そのあと同じお台場でアクアシティっていうのがあって、そのあと赤坂の駅ビルでもやって。
赤坂のが超突貫工事で、そのときがいちばんしんどかったですね。
ほかにも、例えばそうですね、タワーレコードの地下で飲食店を作ったりもしたんですけど、まず入ってたものを解体しなくちゃいけなくて、コンクリートをとらなきゃいけない。それが1週間から10日間くらいかかるコンクリートの量で。わたしが作業員としてやったところで戦力にはならないぐらいの量。連日連夜、がんがん壊す作業を進めるんですけど、まいっちゃって、ものすごい騒音の中でもそこで寝てたりとか。

いわた
へえ。

山口
あのころは物件も大きくて、予算も大きかったですね。

いわた
チェーン展開される店舗さんをよく設計施工されてたころですよね。最近は、

山口
やってないですね。

いわた
個店ですよね。

山口
当時は大きな物件をやらせていただいたので、そういったところで肝っ玉が据わってきましたっていうか、もうこれ以上のことはないだろうっていうのはありますけど。

見積もりができること。


いわた
実際23歳ぐらいで、しかも未経験の現場監督って、周りの人たちはうまく連携とって動いてくれたりするもんなんですか?

山口
そうですね。そのあたりはこちらが目配り、気配りしなければいけない部分があるんでしょうけど、二、三、現場やっていくと、だいたい感のいい人は立ち回りがうまくなりますね。
現場監督の真似事が少しレベルアップして、自分で図面で見積もりを作るようになったりとか。

いわた
ええ。

山口
自分で図面をもとに墨出しをする。墨出しができるようになったら、図面が読めるようになるので、見積もりができるようになる。で、発注をするということは、面積を拾ったりするので、これもまた見積もりができるようになる。

いわた
ああ。


山口
見積もりができるようになると、お金の関係に入ってくるので、自分でも儲けというものを考える。そうすると、お金を稼ぐことの喜びというか、「ここは儲かった」という喜びが生まれ、だんだんステップが進んで行くんですね。

いわた
ええ。

山口
だから、見積もりが出来るようになってくると見積もりが楽しかったり、墨出しが楽しかったり、それで一晩中、墨出ししてたりとか。
そういうステップはありましたね。
だけど考えてみたら、墨出しはうちの会長に手ほどきしてもらったってことがまったくなく、職人の大工さんとか、あと同僚とか、

いわた
現場で?

山口
現場で教えてもらいましたね。
ほかにも営業的なことも憶えていく。どうしてもやっぱり、お金のお支払いをいただくお客さんとか、人と会うことが頻繁になってくるんで、会話力というか、そういったものを憶えましたね。

いわた
それも現場で憶えてったんですか?

山口
現場というか、これはデザイン事務所の人たちの会話を聞きながら。すごい勉強になりましたね。

いわた
何が違うんですか?

山口
まるっきり違うのは、うちの会長のべらんめえ口調があったとしたら、

いわた
(笑)

山口
そっちは都会的なこう、「お客様」っていう言葉一つ取っても、「先様」って言ったり。こんな言葉があるんだあと思って(笑)
僕は今もそうですけど、話すのがあんまり得意じゃない。でもまあ、否応なしに立場的にお客さんと話す機会が多くなってくるので。
最初はいやいやながらっていうのがあったかもしれないですけど、やはり慣れというか、そういったものがありましたね。

後篇につづきます。

この記事のライター WRITER

岩田和憲

グラフィックデザイナー。言葉と写真もデザインも同じものとして扱っています。元新聞記者。元カメラマン。岐阜県出身。 https://www.iwata-design.com/