小谷村創生。幾田美彦さんインタビュー前篇「震災古木で創る観光拠点」

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小谷村創生。幾田美彦さんインタビュー前篇「震災古木で創る観光拠点」

長野県北部、人口2,900人の小谷(おたり)村。過疎高齢化が進むこの村で地方創生の仕事を展開する幾田さん。公共箱物施設を実業の視点で運営改革し、村に雇用と産業を生み出す。その再建にはときに古木の魅力も使いながら。インタビュー前篇は、小谷に移住した若い頃のお話と、震災古木でリニューアルしたビジターセンターのお話です。

前篇「震災古木で創る観光拠点」

幾田 美彦(いくた はるひこ)株式会社道の駅おたり、株式会社おたり振興公社代表。
1960年、大阪市生まれ。同志社大学工学部中退。
スキー好きが高じ、81年、21歳で大学を中退して長野県小谷(おたり)村に移住。冬はスキー学校のアシスタント、夏は山のガイドとして38歳まで過ごす。
98年、有限会社道の駅おたりに入社。2009年には同社代表となり株式会社化。全国でも有数の道の駅へと成長させる。
14年、道の駅での仕事が評価され、栂池自然園、同園ビジターセンター、温泉宿泊施設などを運営管理するおたり振興公社の代表に就任。
過疎化が進む同村で、観光施設の改変などを通して地方創生を進めている。

震災で倒壊した家の古木が、蘇る。


幾田
ビジターセンター(※)って、山の中の博物館みたいなものなんですね。

岩田
はい。

※ビジターセンター … 2017年7月にリニューアルオープンした、栂池ビジターセンターのこと。北アルプス標高1,900mの高原、長野県小谷村は栂池自然園の入り口に建つ。幾田さんが代表を務めるおたり振興公社が管理運営している。

こちらが栂池ビジターセンター

2017年7月にリニューアルオープンし、中はこんな感じです。

幾田
学術的なこと、北アルプスとはこんなところだよとか、いろんなお勉強をしてもらう場所なんですよね。
そうなんだけど、もとは白い壁に写真が貼ってあって、寒々しい場所だったんですね。

岩田
公民館にパネル展示しているような…?

幾田
これがビジターセンターの

岩田
前の写真?

幾田
前の写真で。
映写するので真っ暗にしてたんですよ。みなさん休憩されに来るところなんですが、真っ暗なんで誰も入ってこなくて。「飲食禁止」っていう紙がいっぱいここに貼ってあって。

岩田
ああ。なぜか、禁止のほうを強調すると…。

幾田
そう。誰も座らず。
展示室も座るところもなく、写真が貼ってあるだけ。

幾田
僕がビジターセンターの仕事を始めていちばんびっくりしたのは、「栂池自然園は行ったことあるけど、ビジターセンター? そんなところあったっけ?」。建物がそこにあったことすらお客さんは憶えていない。実際、お客さん、5分も中にいないんですよね。

岩田
うーん。

幾田
寒いし、見るものもないし、見ても面白くもない。
栂池自然園は100%露天。で、なおかつ標高2,000m近い。7月中旬からお盆くらいはOKだけど、それ以外はもうストーブ焚いてないと寒いんですよ。

岩田
そんなに寒いんですか。

幾田
特に朝晩は。
雨でも降ろうものなら日中でも寒い。そういうところに寒々しい白い壁で、暖房もなく、椅子もなく。
で、中に入っても見たいものもなく。

岩田
ああ。

幾田
こりゃいかんだろ、と。これから村として国際的に山岳観光を進めていくっていうなかで、こんなんじゃお客さまはどんどん減っていくだろう。
ということで、まずは本当に質のいい、居心地のいい、飲食店とか温泉旅館のような佇まいにしたい、と。

岩田
ちゃんと人が集まって過ごす空間を、ってことですよね。

リニューアル後は、ストーブを囲んで人が時間を過ごせるような設計に。

幾田
20分でも30分でも1時間でも、もしそこで座ってのんびりできるなら、それだけでもいい。
そういう空間っていうところで、できれば古木を使えればいいなっていう発想だったんですよ。
そういうことでいろんな打ち合わせをしている中で、不幸にも震災(※)があったと。

※震災 … 長野県神城断層地震のこと。2014年11月22日に長野県北部で発生。46人が負傷し、81棟の家屋が全壊した。小谷村では最大震度6弱を観測。

岩田
それはあの、打ち合わせの最中にあったんですか?

幾田
最終的な設計が決まる前に、起きたんですね。

岩田
2014年の11月ですよね。

幾田
そうです。で、僕がビジターセンターを改修したいっていうことを、そのなかで知ってる方がおられて。しかも今回は災害なので、村が負担して家を解体してくれると。
「じゃあ、うち、もう壊れて修理するつもりもない」と。「もしできたら、私たちのずっと住んでた思い出のあるこの家を、使ってもらえないか」って。

岩田
被災者の方から言われた?

幾田
そう。
ああ、そうかと。被災者たちへの支援として倒壊家屋を更地にするっていうのをせっかく役場の費用でするとなれば、古材を提供してもらって、それをビジターセンターに使うことで、その住んでた方たちは思い出の家の一部がそこにあると思ってくれるという。
なので、震災の古材を使うっていうのはまったくイレギュラーなことで。

岩田
使った震災古材は、すべて小谷村の方の家になるんですか?

幾田
そうです。ぜんぶ小谷村のです。お家でいうと3棟ぶんの。
古材は質感がぜんぜん違うし、明らかに佇まいがちがってくるじゃないですか。
そういうところが古材を使いたかった一つの想いではありますね。

フロントスペースには、震災の古木を使ったことを説明するパネルが。

震災古木で作ったフロント壁面。

こちらも震災古木。センター内に使われている古木はすべて震災古木だそうです。

小谷に住みついて。


岩田
幾田さんがやられている道の駅もビジターセンターも自然園も、まあ、公共的なスペースじゃないですか? そういうのに関わってやられているわけですけど、何か公共的な施設に対してもともと想いや考えみたいなものを持たれていたんですか?

幾田
実は僕は山が好きで。あんまり深い考えもなく大学を中退して小谷に来ちゃったんですね。
同志社大学、まあエスカレーターで、高校も同志社で、受験もせず大学に入って。
親は「将来、金には困らないように」と、私学なんてところに高いお金を払って入れてくれたんだと思うけど、そういう思いをまあ、裏切って、

岩田
(笑)

幾田
あんまり深く生活のことも考えずに、自分が遊びたい、スキーをしたいっていうだけで小谷に来ちゃったんだけど。
でも小谷ってけっこうあたたかい村で、僕みたいなよそ者をしっかり受けてもらって。仕事も与えてもらって。

岩田
ええ。

幾田
昔、スキーバブルっていうのがあって。スキー場は賑やかで、お客さまなんてお正月とか冬になると黙ってても村に来てくれる、そんな感覚があったんですね。そのバブルも弾けて、急激にスキーが斜陽化してきたと。
僕は小谷の人たちにずっと大事にしてもらって、村で生活できるようになったんだけど、僕より下の人たちの仕事がない。スキー場はもう元気がないので、スキー産業では働けない。小谷村ってほかに目立った産業がないので、働くところがなかなかないんですよ。
僕が村に対して貢献できるとすれば、若い人たちが家族を養いながら働ける場所を作らないといけないのかなって。

岩田
はい。

幾田
お給料をもらえる、生活の糧がもらえるところを確保していかないといけない。
そう思うと、第3セクターとか財団法人みたいな、税金を投入してまで存続させてるようなところ、どちらかっていったら赤字なんだけど、しょうがないから村が税金を投入して従業員たちを雇ってるところ。それをね、なんとかもっと胸を張って、「ここは山の中の田舎なんだけど、ほんとに経済は活性化してるし、雇用の活性もしてる」っていうのを実践したい。そういう想いですね。

岩田
道の駅(※)の運営も、まずは株式会社化したという話ですよね。

幾田
道の駅の運営については、まだ第3セクターだったころ、いちばん最初のころに、成功報酬制の評価制度に変えたんですよ。それが今、道の駅の利益のもとになってると思うんですよね。

※道の駅 … 道の駅小谷のこと。関東の道の駅ランキングでトップ30、全国でもトップ50に名を連ねる常連で、「成功している道の駅」として知られる。

こちらがその道の駅小谷

岩田
それがきっかけで、おたり振興公社も任されたと。

幾田
そうですね。おそらく道の駅の仕事を評価してもらったんだと思うんですけど、栂池自然園とか栂池ビジターセンターを管理運営してるおたり振興公社っていう会社、その立て直しをしてもらえないかと。
ていうことで2つの会社をやり、今、その悪戦苦闘してる最中で(笑)

岩田
ちなみに大学を中退してから、ずっとこっちに住まわれてるんですか?

幾田
ずっとこっちです。

岩田
こっちのほうが長い?

幾田
こっちのほうが長いですね。21の歳にこちらに住所を移したので。

岩田
その前からちょこちょこ来られてたということですか?

幾田
ずっと来てましたね。高校2年生ぐらいから。
同志社の付属高校がスキーの実習とかでよくくるんですよ。冬休み、春休み、学校が休みの時はずっとこっちにきてスキーをやってましたね。
で、住所を小谷に移して、冬場はスキー学校のアシスタントみたいな感じでお給料を稼げて、夏は山のガイドで飯が食えて。

道の駅内のレストラン「鬼の厨」。こちらも古木をあしらった内装。

岩田
そんな幾田さんが道の駅の仕事に関わることになったきっかけっていうのは?

幾田
たまたま当時、道の駅を立ち上げるっていうときに、役場の職員さんに、村の人が紹介してくれたんですね、「あいつ、ぶらぶらしてる」と。

岩田
ああ(笑)

幾田
「あいつ、いい歳してぶらぶらしてて、仕事も就いてないんで、道の駅で人を募集してるんなら声かけてはどうだ」っていう感じでしたね。

岩田
最初はどんな役で呼ばれたんですか?

幾田
売店の主任、みたいな感じですね。
ほんとに人が集まらなかったみたいで。
それじゃあ売店担当でっていう感じで。

後篇につづきます。

この記事のライター WRITER

岩田和憲

グラフィックデザイナー。言葉と写真もデザインも同じものとして扱っています。元新聞記者。元カメラマン。岐阜県出身。 https://www.iwata-design.com/