善光寺門前にふさわしい古きよき蔵のある街並みの再生(後編)【「ぱてぃお大門」の魅力と長野市のまちづくりのこれから】

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生まれ変わった「ぱてぃお大門」

2005年にテナントミックス商業施設として生まれ変わり、2007年度には長野市市制110周年記念事業「市景観大賞」で大賞を受賞、2008年には都市景観大賞「美しいまちなみ優秀賞」(都市づくりパブリックデザインセンター)を受賞した「ぱてぃお大門 蔵楽庭」(※)。市街地活性化の成功事例として、今なお全国から注目を集めています。後編は、長野市のまちづくり会社「株式会社まちづくり長野」タウンマネージャーの越原照夫さんと、基本設計を担当した「株式会社エーシーエ設計」取締役社長の小林宣範さんに「ぱてぃお大門 蔵楽庭」の注目すべきポイントを聞きつつ、これからのまちづくりについてもお聞きします。

※このほかの受賞歴は2006年第19回長野市景観賞(長野市)、平成18年度土地活用モデル大賞 都市みらい推進機構理事長賞(財団法人都市みらい推進機構)。

蔵造りの街並みでよみがえった善光寺門前のにぎわい

2005年11月にグランドオープンした「ぱてぃお大門 蔵楽庭」。その名の通り、敷地内に立ち並ぶ蔵群の中央に中庭が配置され、建物の合間を抜けるように走る路地を歩くだけでも楽しい和モダンのエリアとなりました。テナント募集は施工と同時進行で進められましたが、蔵造りの店舗への注目度もあり、さほど苦労はなく順調に店舗が決まっていったそうです。現在は飲食店を中心に14店舗が営業しています。

ちなみに「蔵楽庭」の名称は、この敷地の東側に隣接する出版社「まちなみカントリープレス」で発行する情報誌『KURA』の初代編集長が命名したものだとか。

それでは、おふたりに建物や敷地の注目ポイントを伺いました。

「まず、この敷地は一番高い部分と低い部分の高低差が4.5mほどあるのですが、その自然地形を活用した路地空間を歩いて楽しんでいただきたいですね。既存の樹木も生かしているので、散策するだけでも土地の記憶が楽しめます」(小林さん)

実際に歩いてみると、敷地の内部へと自然と引き込むようなゆるやかな傾斜が心地よく、ステージのような広い空間があったり、昔ながらの路地や石段が生かされていたりと、懐かしい雰囲気と都会的な趣が感じられます。小径を進むと時代がわからなくなるような不思議な感覚も味わえ、季節の移ろいを感じられる豊かな植栽も魅力です。

越原さんは建物の屋根の高さが連なる景観の統一感を楽しんでほしいと話します。

「私のお気に入りは西側から見たときの中央通り沿いの3階建ての建物の統一感だろうね。ここのスカイラインは景観的にいいよね」(越原さん)

なお、かつての商家の造りが特によくわかるのが、和食「四季食彩 YAMABUKI」の建物だそう。

「蔵は全部梁が隠れてしまっているけど、この『YAMABUKI』の建物は2階に上がると梁が全部出ていて当時の様子をしっかりと見ることができます」(越原さん)

この建物は江戸時代から金物商を営んでいた一大商家・宮下家のもので、明治時代には敷地内にレールを敷いてトロッコで三連蔵から店先へと在庫を運んでいたとか。

その北側の貸衣装店「THE TREAT DRESSING」は明治政府のたばこの専売所だった建物。1989年からはおやき店「おやき村長野分村 大門店(小川の庄)」が出店していましたが、同店は現在、中央通り沿いの南端の蔵へと移転しています。

また「ぱてぃお大門 蔵楽庭」としていち早く営業をはじめた「カフェ+まち案内 えんがわ」と「ギャルリ夏至 大門店」の建物は、昭和30年代はじめ頃まで履物店でした。現在の中庭にあたる部分に三連蔵や母屋などが続き、中庭の突き当たりの「酒蔵ぱてぃお大門店」の建物が同店の一番奥に位置する蔵だったとか。中庭に立つと、当時の商家と三連蔵の規模感がわかります。

また「ぱてぃお大門 蔵楽庭」としていち早く営業をはじめた「カフェ+まち案内 えんがわ」と「ギャルリ夏至 大門店」の建物は、昭和30年代はじめ頃まで履物店でした。現在の中庭にあたる部分に三連蔵や母屋などが続き、中庭の突き当たりの「酒蔵ぱてぃお大門店」の建物が同店の一番奥に位置する蔵だったとか。中庭に立つと、当時の商家と三連蔵の規模感がわかります。

敷地内の北西端、善光寺側からまず目に入る蔵は開業当時から長野県伊那市の寒天のトップメーカーによる「かんてんぱぱショップ」が営業していますが、かつては文具・事務用品の店舗だったもの。2階のギャラリーの重厚感ある梁が往時を偲ばせ、石灯籠や松、北側の壁は当時のまま残されています。

時代とともに変わるもの、変わらないもの

中庭から見て北側に連なるふたつの三連蔵が、曳家で移動させたもの。2蔵の間の幅は、かつて人ひとりが通れるほどでしたが曳家によって広くなり、階段が設けられました。2階にもテナントが入っています。

一方、中庭の南側、喫茶店「森乃珈琲店 曇り時々晴れ」の建物は、測量機器や日用品を販売する商家の蔵などがあった場所。老朽化により建物は解体され、周囲の景観になじむように新築の建物が建てられました。かつては東側に立派な蔵があったそうですが、損傷が激しかったことから「ぱてぃお大門」の整備に際して取り壊されたそうです。

中庭を抜け、路地を進むと蔵造りの空間とは違った雰囲気が漂う一角があります。一大商家だった宮下家の建物群です。

明治中期に建てられた数寄屋造りの茶室「無心庵」は、ほぼ手が加えられておらず当時のまま。宮下家を訪れた文化人たちの憩いの場で、つくばいや水屋などを備え、手斧(ちょうな)削りの床柱などが当時のまま残っています。茶室としては珍しい2階てなのは、2階から美しい庭を眺めるためではないかと推測されます。

庭は明治時代に長野市を中心に活躍していた庭園師・馬場磯松園に依頼して造られました。周囲の環境や建物との調和をめざして作庭され、サルスベリやもみじの木、茶室の脇の甕の石や築山、路地の石段も当時からのものです。かつての面影を存分に味わえる場所です。

そして、越原さんも小林さんも「お気に入りの場所」と声を揃えるのが「無心庵」に隣接する木造三階建ての伝統的な望楼建築「養気館」です。宮下家によって「無心庵」とともに創建され、松井須磨子や島村抱月、高村光雲のほか、善光寺の住職など、多くの文人墨客が訪れ、大門町のサロンのような存在の建物でした。

「一番最初にこの建物に入ったときは、ちょっと感動しました。3階はえびす講の花火を眺める来客向けに使われた部屋ですが、多くの人はこの空間を知らないと思います。2階は青い土壁でおしゃれなんですよ。すごくいい建物ですね」(小林さん)

「3階は四方全部ガラス張りなんです。今は防火の関係で使用できないんだけど、作り込んではあるんですよ。北野建設さんはやらないっていったんだけどダメです! って(笑)。2階から3階に上がる階段も、壁で閉じちゃったけど、狭くて長くて真っ暗で急で面白いんですよ」(越原さん)

階段の欄干も趣があってよいのだとか。ただ、現在は使うことができず、小林さんもテナントとして入居する「日本料理 旬花」に予約を入れたことがあったものの、残念ながら使わせてもらえなかったそう。入れないとなると、ますます興味が膨らみます。

なお、庭から「養気館」を見上げた画角の美しさも小林さんのお気に入りです。

「養気館」の北西に位置するスタイリッシュな建物も新築です。既存植物を生かすために、建物の一部は当初の予定から形状が変更されました。

現在はインバウンド観光事業に取り組む創作和食レストラン「MONZEN TERRACE ENYA」が営業しています。外国人観光客の誘客をめざして越原さんがテナントとして声をかけたそうで、入居の際「株式会社くろちく」のアドバイスを受けて設けられた下屋の撤去が希望され、代わりにウッドデッキが新設されたといいます。

「下屋をなくしてオープンデッキにするのはかなり思い切りましたが、入り口が明るくなった感じはあるよね。下屋があった時代はそれでよかったんだけど、ぱてぃお大門の歴史とともに建物は変わっていくものですから」(越原さん)

ちなみに「ぱてぃお大門 蔵楽庭」の西側にある2層式の立体駐車場「表参道もんぜん駐車場」もまちづくり長野が運営し、エーシーエ設計が設計を担当したものです。景観に配慮した外観で、かつてカメラ屋があった記憶を一角に残しています。

これまで自家用車で善光寺を訪れる観光客は善光寺裏の駐車場を利用し、表参道を通らずに参拝していることが商店街の通行客過疎化の元凶とされてきましたが、この「表参道もんぜん駐車場」ができたことで大門町から表参道を歩いて善光寺参りができるようになりました。この駐車場もまた、まちのにぎわいに一役買っています。

「ぱてぃお大門」から広がる善光寺界隈の活性化

「ぱてぃお大門 蔵楽庭」のオープンによって周辺のにぎわいは大きく変わりました。同年には「ぱてぃお大門 蔵楽庭」から善光寺方面へ上がった場所に位置する、創業約300年の老舗旅館「御本陳藤屋」が旅館業からレストランと結婚式場へとリニューアル。大正時代に建設されたアール・デコ調の外観はそのままに、威風堂々とした風格で佇んでいます。「ぱてぃお大門 蔵楽庭」と並ぶ善光寺門前の新たなランドマークです。

また、まちなかの回遊性を高めて歩いて楽しいまちづくりをするために、中央通りは歩道が1.5mずつ拡幅。歩道と車道をフラット化して車道を石畳にし、可動式ボラードを設置して歩車道を分離しました。植栽を整理してモニュメントやベンチなどの修景施設を設置し、路上パーキングを撤去して歩行者にやさしい通りとなっています。

さらに善光寺界隈は今では若い世代が門前暮らしを楽しめるエリアとして県内外から人が訪れ、空き家や空き店舗をリノベーションした小さくもしゃれた個性豊かな店が続々とオープンしています。

「『ぱてぃお大門』は門前エリアで増えている古民家や空き店舗のリノベーションの起爆剤になったと思います。たぶん、ここがなかったら人々はここまでこのエリアに関心がなかったのではないでしょうか。やはり長野市は善光寺あってのまちなので、こうした歴史的建物をうまく活用し、新しいものも加えながら懐かしさと新しさを共存させるようなまちをつくることで、ここを訪れた人たちに『長野っていいよね』と思ってもらえたらいいですね」(小林さん)

越原さんも、歴史のある建物をうまく活用し、自然とも共存するかたちで次世代へと残せている「ぱてぃお大門」のスタイルはよかったと話します。

この場所からさらなるにぎわいを創出し、周辺のまちと一体となって長野市の活性化を図ること。それが「ぱてぃお大門 蔵楽庭」の最終目的です。

これからの長野市のまちづくりのあり方

ところで、まちづくり会社として長野市の既存建物を生かしたさまざまな活性化事業に携わっている越原さんですが、古い建物は好きなのでしょうか。

「いや、好きでも嫌いでもないです(笑)。けど、古い建物は味がありますよね。『まちづくり長野』ではまち歩きのイベントもやっていますけど、まち歩きの建物紹介で何の感情も湧かないのは近代的建物です。古い建物に対しては参加者もガンガンと感想を言い出すのを見たときに、こんなに違いがあるのかと。だから、やはり古い風景は味があるので、空気を少し変えてでも入れ込んでいけば面白い建物になっていきますよ」(越原さん)

小林さんも、長野市への移住者が蔵や商家をリノベーションしたコワーキングスペースなどを展開していることから、古い建物の活用が進めばもう少しまちの活性化につながるのではないかと話します。

「今は若い人たちもリノベーションをキーワードに集まってきます。信州大学の学生などもリノベーションが好きな人が多くて意識が高いので、リノベーション事業は若い人たちが集まってくるきっかけになると思います」(小林さん)

「たぶん、今の若い人たちは生まれたときから携帯電話やパソコンが身近にあるから、古いものに触れることはあまりなかったような気がします。私らの子どもの頃は物がなくて出せば売れた時代。今は出しても売れない時代。だから、若い人は古いものがいいと思うんじゃないかな」(越原さん)

一方で現在、長野市に8000軒ほどある空き家の問題は悩ましいところだと越原さん。

「中心市街地にも結構空き家があります。これから人口が減少していくのだから、古い建物をなんとかしないとダメっていうのが現状ですよね。リノベーション物件は使い方を工夫すれば若い人は反応します。それがおしゃれという感性は私にはわからないけど(笑)」(越原さん)

そう話す越原さんの一番の懸念は、須坂市に出店予定のテナント数240店舗の大型ショッピングセンターです。

「そのショッピングセンターができたら、確実に人の流れはそちらにいくので、長野市のまちづくりとしては、古い建物や地産地消、長野市らしさを大切にする方向にしかないと思っています。(2020年には中心市街地にあった)イトーヨーカドーも閉店して、まちがどんどん面白くなくなっているから、ショッピングセンターと同じ方向性は無理なので、歩いたり自転車で走ったりして楽しいまちにする方向に切り替えていくしかない。『ぱてぃお大門』のような歴史ある建物をうまく利用したリノベーションでいいまちをつくらないと」(越原さん)

さらに越原さんが考えているのは、暗渠(あんきょ)のない街並みです。長野市内には西から東に向けて至るところに暗渠がありますが、その暗渠のふたを開けて水路のある街並みをつくる計画です。

「暗渠を開けると川のせせらぎがいっぱい出てきます。それをうまく使うと広い道路がなくなりますが、道を狭めて小さな商店が張り付くようにして、中心市街地は車の通行不可くらいのつもりでやっていけばショッピングセンターに対抗できるかな。長野市は城下町ではないから区画も整理されていないし、まちづくりのような都市計画自体がないので、そういう意味では脇道とか細かい道がたくさんあって面白い町であることも事実だね。歴史のあるものをうまく利用し、水辺は人を集めるので、小川沿いを歩いて暮らせるような面白いまちづくりをしていけばいいんじゃないかな」(越原さん)

その点では小林さんも、長野駅から善光寺までは約2kmの距離があるので、「ぱてぃお大門 蔵楽庭」のような既存の歴史ある建物が点在していれば多くの人が歩くのではないかと話します。

「古い建物をうまく点在させながら改修し、面でまちづくりをしていく方向ですね」(小林さん)

そして、車が走らないまちになる分、駐車場も不要になると越原さん。

「まちづくりとしては、今、点在している駐車場もまとめないといけないし、公園もうまく整備していかないといけない。都市のスポンジ化現象でそこらじゅうに小さな土地がいっぱい空いているので、それを集約して公園や憩いの広場に変えていくことは大事なことだけど、行政が本当に真剣にやらなきゃいけないんじゃないかな。まちづくりはその方法だよな!」(越原さん)

すると「まちづくりの絵は当社が描きます」と小林さん。

「この『ぱてぃお大門』を設計させていただいたので、長野の設計事務所として当社もまちづくりに参画しながら、若い社員と一緒に絵を描き提案しようと考えています」(小林さん)

さらに、地域で経済を回していく仕組みづくりが重要だとも越原さんは話します。

「地域でお金を回すという地産地消だね。区画整理は面白くないので、ごちゃごちゃした道にしておいて、常にまちに誰かいるかたちがいいんだよ。やはり人が触れ合うところに人は集まる。だから長野市はやりようがある。ショッピングセンターに歴史はないけど、こちらには歴史があるから頑張らなきゃね」(越原さん)

機能性や経済性を追求するだけのまちづくりは面白くありません。他方で、地域の歴史や記憶、個性を生かしつつ、まちにはやはり新しい付加価値が必要です。歴史を継承しつつも、利便性や快適性、まちとしての機能向上も実現していく長野市らしさを感じるまちづくりへ。これからの長野市の動きに関心が高まります。

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