「古民家再生、維持ってホント大変!?」平澤建二さんに訊く 前篇「古民家を再生する」

「古民家再生、維持ってホント大変!?」平澤建二さんに訊く 前篇「古民家を再生する」

1972年、古民家再生という概念がなく、その価値も知られていなかったころ、長野県白馬村の古民家に魅了され民宿として再生させた平澤建二さん。半世紀に及ぶ古民家との付き合いを経て今、手放そうとしています。古民家再生と維持にはどんな物語があるのか? 前篇は、購入から再生着手までのお話です


前篇「古民家を再生する」

平澤 建二(ひらさわ けんじ)
1935年、東京都生まれ。
足立区関原にある呉服屋「きものひらさわ」三代目店主にして、長野県白馬村にある「御宿かやぶき茶屋」のオーナー。1935年、東京都生まれ。
家業である呉服屋の若旦那として働きながら、1972年、別荘として幕末〜明治初期に建てられた古民家を購入し、スキークラブの会員制宿として再生オープンさせる。半世紀以上にわたりオーナーとして、茅葺屋根など古民家の佇まいを守ってきた。

古民家を見に行く


岩田
白馬で古民家を買ったのはもともとはどんな理由だったんですか?

平澤 建二(以下、平澤)
いちばん最初、車を買おうと思ってね。
そしたら苗場の別荘地売り出しの、今でいうダイレクトメールが来たんですよ。

岩田
はい。

平澤
それがね、二百何十万円、百何十万円であったんですよ。
買おうと思ってた車がスカイラインだったんだけど、それは300万円弱だったかな。

岩田
昭和…30年代ですか?

平澤
昭和40年ごろ。
当時はメイトというスキークラブをやっててね。毎年50人ぐらい集めてはスキーへ行ってたものだから、こんなところにベースがあると面白いっていう話で。
やるとなるとすぐ出かけちゃう方だから、苗場に見に行ったんですよ。そしたら眺望がきれいなんです。140坪で狭いんだけど、川が流れててね、ロケーションもいいし。で、買うことに決めたんです。
だけど、そこに別荘を建てようということで殖産住宅の会社に設計図を送ってもらったら、三角屋根の小さいのばっかりなんですよ。地所が140坪程度のところですから、いくら設計図を取り替えてもらっても、ダメなんですよ。

岩田
はい。

平澤
そうこうしているうちに、友だちの家へ遊びに行ったら、そこのヤギさんっていうご主人がね、「平澤さん、今度別荘建てるんですって?」
「大きい別荘を建てたいんだけど、三角屋根の小さいものばかりで面白くないから、やめたんです」ってわたしが言ったらね、ヤギさんが「大きいうちを知ってますよ。その持ち主、売ると思う」って言うんですね。「どんなうち?」って聞いたらですね、「間口が14間はある」って言ったのかな。24メートル。「中に入るとね、文字通りすごいですよ」っていう話なんですよ。
「じゃあヤギさん、見に行きたいから今から行こうよ」って。
連休の時だったんですよ。冬の。
そのまますっとんでったんです。私が運転して。

岩田
ここ、足立からですか?

平澤
足立じゃない。調布から。調布の友達のうちにいてその話が出たので、そのまますっとんでったんですよ。わたし、そういうふうだから。
ところが当然、雪道。途中でチェーンを買ったり何したりで、白馬に着いたのが夜だったんです。

岩田
何時間かかったんですか?

平澤
15時間くらいかかったのかな。

岩田
へえ。

平澤
でも、着いて見たらかっこいいんですよ。どかっとして。雪をかぶってね。
入ったら、中に60人か70人お客さんが入ってるんですよ。

平澤さんが白馬で出会ったその古民家、2017年現在の姿。

お金を持って主人と交渉


岩田
宿だったんですか?

平澤
白馬では当時、みんな民宿をやってたんです。許可を受けてる受けてないとかじゃなくて、大きい家っていうと、ほとんど片手間に民宿をやってた。
初めて行く家だからお土産は何がいいだろうって。そしたらヤギさんが、「平澤さんね、白馬は牛肉がない土地だから、牛肉を買ってくとすごく喜んでくれる」って言うんですよ。
それで、松本で牛肉を買って、大勢だからっていうんで1kg買ったのかな。
驚いたのはね、台所にいるおばちゃんに「初めまして」って挨拶して渡したらね、窓開けてポンって放り出すんですよ。

岩田
牛肉を?

平澤
うん。窓の外へ。だからわたし「このおばちゃん、何やってくれるんだ!?」って思って。
そしたら一緒に行ったヤギさんがね、「平澤さん、窓の外が冷凍庫なんだ」と。「冷蔵庫は保温庫になってる」って言うんですよ。

岩田
へえ。冷蔵庫が保温庫ですか。

平澤
うん。野菜はスイッチを切った冷蔵庫に入れておく。そうしないと野菜がダメになっちゃう。

岩田
凍っちゃうってことですね。

平澤
はい。それで、魚と肉類は窓の外へほっぽり出す。
窓の外が網棚になってるんです。タヌキとかがこないように。「そこに置いたんだ」って言うんです。あとでわかった話ね。
その夜はそこへ寝かせてもらって。翌朝、帰るんですがね。朝見ても、そのおうちが素晴らしいんですよ。朝日にうつる姿っていうのが。
それで「決めた」ってなって。
今度は交渉に行くことになったんですが、いちばん最初、持っていった金額が330万だったんですね。そしたら持ち主の方が、「そんな値段じゃとても売れねえわ。360万だわい」って。
今度360万持って行くとね、「地所の値段、よくよく調べたらね、やっぱり400は…」って。

岩田
(笑)

平澤
で、400持ってくと、また上がるんですよ。

岩田
(笑)

平澤
1ヶ月に2度ぐらいずつ通ったかな。
それでぐだぐだと上がって、最後はね、690万っていう数字が出てきたんです。
690万っていうと、昭和47年だったかな、当時ね、東京の赤坂にマンションができると。1DKで280万から330万。それを2戸買った方がよほど資産価値があるんですが。
でも、なんせそこはわたしが気に入ったので。

岩田
はい。

襖が開かない


平澤
その家ができたのがだいたい、慶応から明治の始まりっていうんですね。
2階がね、ものすごく寒い。当然昔のことで暖房なんかないわけです。にもかかわらず開口部分が多いんです。
日大建築学部の教授が一ヶ月近く、夏休みですね、いろいろ見たんですが、家のなかで、ひとつは養蚕をやってただろう。もうひとつは木こり、そういうことをやってただろう。ただし両方ともそんなに生産性の高いものじゃないし、自給自足に近い状態だったろうと。

岩田
うんうん。

平澤
話が戻るんですが、契約が終わったのが4月ごろで、5月末だか6月の初めにね、わたしらがアルバイトの子を2人連れてその家へ出かけたんですよ。
そしたら家のなかにね、こんな大きい野沢菜の漬物樽がそこらじゅうに置いてあるんですよ。

岩田
はい。

平澤
「これ、ちょっと片してくれ」って言って、片して。
それで掃除が終わった途端に雨が降ってきてね。
雨漏り。いえ、雨漏りなんてもんじゃなくてね。
ホースでやるような、じゃーじゃー降りなの。

岩田
(笑)

平澤
それで慌ててまたその漬物樽を置いたっていう状態なんですよ。
それから家の中を歩いてみるとね、ギシギシ、ビシビシどころじゃないね。家中もうめちゃくちゃなんですよ。畳は腐ってるわで。
それで、とりあえずその年の夏、うちの出入りの大工、親方に「直してくれ」って頼んで、7人連れて行って。そしたら結論で言うとね、その7人だかは隣の民宿に泊まりながら仕事をしてたんですが、8月の20日ごろになるとね、「半分やったけどギブアップだから帰る」って言って、帰ってきちゃったんですよ。

岩田
あらら。

平澤
話を聞くとね、いわゆる大黒柱、土地の言葉では「でぇこく」っていうんですね、その下がね、ゴロ太石(ごろたいし)っていって、漬物石ぐらいのが積み上げてあるだけだったと。「そのゴロ太石がぐらぐらするんで家中めちゃくちゃになってるんだ」ということで、ゴロ太石をのぞいて、基礎をね、何カ所か打ってきたと。
「これで大丈夫だよ」ってことだったんですよ。
それで11月に、わたしらがまたアルバイトを連れて出かけたんですよ。
そうしましたらね、戸が開かないんです。襖のあいだに手が入って隣の部屋と握手ができるくらい、曲がっちゃってるんです。
積雪の重みで戸が開かなくなった、そう思いましてね、ジャッキをかけたんだけどピリッピリッていう音がするだけで上にあがらないんですよ。
それで金物屋へ行ってね、ジャッキを借りてきて両サイドをあげるんですけど、上がらないんですよ。
で、またまたもう1つジャッキを借りに金物屋へ行ったら、金物屋の親父がね「兄さん、どうした?」って言うんですよ。「雪の重みで戸が開かなくなっちゃってる」って言ったらね、「そりゃダメだわ。しみあがったずら」って親父が言うんですよ。つまり、凍上した。

岩田
とうじょう?

平澤
地面が凍って上にあがることを凍上っていうんです。
信州であればどこでもあるんですよ。

岩田
家まで持ち上げちゃうんですね。

平澤
一回雪が降る、溶ける。そうすると床下に水が入っちゃうわけです。それが凍るわけです。凍ると当然、地面が膨れ上がるわけですね。それはもう基礎的な話なんですけどね、そんなことも無知なもんだから、凍上しちゃって、春にならないとダメだと。
結局、基礎を打ったことがマイナスだったんです。

岩田
うん。

平澤
ゴロ太石は緩衝材なんです。下から凍上してあがってくるでしょ。そうすると積んであるゴロ太石がじゃっかん崩れるんですよ。
こういう家は床下が非常に高いんです。その下へ家のあるじがもぐって、ゴンゴン叩いてまた直すわけ。非常にアバウトなんですが、凍上とか積雪に対処するということでは、それが生活の知恵でベストだったんですね。
ところが基礎を立派にしたから。

岩田
固定しちゃったってことですよね。

平澤
そう。基礎は東京だったら当たり前、建築の基準として固定しなきゃなんないじゃないですか。
でもそれをやることが逆にマイナスなわけですよ。
わたしらがそんなことになった次の年ですけど、その近くのペンションで、ぜんぶドアが開かなくなった。大阪の人が買って作ったのかな。しょうがないから客室のドアを全部のこぎりで切ってカーテンにして、8,000円の宿泊費を6,000円にしたっていう笑い話があるんだけど。
そういうことなんですね。だから雪国の暮らしを私たちがいろいろ考えてもそれはちょっと無理がある。

岩田
はい。

床が落ちる


平澤
その家は個人的に買ったんだけど、スキークラブの連中に使わせようとやってたんです。
11月になってからですね、前の持ち主がその家を引き払うっていうとき、十畳間が6部屋あるんですけど、そのうちの1部屋の床が落っこちちゃったっていうんですね。それでまたうちの大工に頼んだら、「そんな寒いところ俺たち行きたくない」って弟子たちが言うもんだから、親方1人で道具箱担いで行ったんですよ。

岩田
へえ。

平澤
そしたら親方から電話がかかってきてね。「床下が泥田みたいになってる」と。
凍上するようなベタベタなぬかるみになってるっていうんですね。
「このぬかるみを取らないと仕事をしても同じことだから」っていうんで、わたしのほうからも応援の学生を向けたりして。
その搔き出しをするのに20日間くらいかかったんですよ。
仕事が終わって親方が、「ご苦労さんっていうことで、隣の部屋で一杯飲ませてくれ」って。それで隣の部屋でみんなで集まって飲んでたら、笑い話みたいだけど、そこの部屋の床が抜けちゃったんです。

岩田
(笑)

平澤
また電話がかかってきてね、「ここはもう手をつけなくていいんじゃねえか、若旦那?」って言うからね、「そんなこと言わないでやってくれよ。途中でおっぽりだすなんて江戸っ子じゃねえよ」って。
「じゃあしょうがねえ」みたいな話でまた始まったんですよ。
ただ泥を出す方法には慣れてきてますから、今度は10日間くらいで終わったんですよ。
そしたら本当の落語ですよ。仕事が終わって「今晩夜行列車で帰るから」っていうときに、また次の部屋が落っこっちゃった。

岩田
(笑)

平澤
だから、ぜんぶの部屋が落っこったわけですね。
それで電話がかかってきてね。「暮れも迫ってあれだから、うちへ帰って仕事しなきゃなんねえからね、若旦那、勘弁してくれよ」って。
なのでわたし、大工のおかみさんところへ行ってね、「親方、帰るって言ってるけど、何とかしてよ」って言ったの。
「穴ぼこあいちゃったところをお客さんが見たら、不安で入れなくなっちゃうから」って言ったら、おかみさんも東京っ子だから電話かけてくれて「父ちゃんいないほうがうちの中は安泰でいいよ」っつって、「世話になってるんだから、そこで仕事して、やることやってから帰っといで」って言ってくれたんですよ。
そこもね、ぎりぎり12月30日までかかってやってくれて。
それで終わって帰るときに「じゃあ親方、一杯」っつったらね、「おめえら、もう一歩も動かないでくれ」と。「俺が汽車に乗ってからみんなで打ち上げをやってくれ」と。

岩田
(笑)

平澤
それからその年の夏、わたしが当時幼稚園ぐらいの姪っ子を連れてその家へ行ったんですよ。そしたらその子がね、廊下でビービー泣きだしてた。「ビー玉がみんな向こうへ行っちゃう」って言うんですね。

岩田
ああ。

平澤
廊下がダメなんですよ。
それもやっと直して、次の年に、ぜんぶ一回あげてね、基礎も直して。
それでようやく、会員制民宿として始めたんですよ。

岩田
うーん。大変ですね。

屋根を直す


平澤
これ、ちょっと見てください。
こんなようなことを書いて、スキークラブのみなさんに会員制で始めましょうっていうことで。

岩田
案内状みたいなものですか?

平澤
当時の案内状。

岩田
これがいつのですか?

平澤
昭和48年ですね。
それで、話が前後しますが、まだあるんです。
屋根を直さないとどうしてもだめなんです。

岩田
そうでしたね…。

平澤
それで屋根屋さんを呼んでね、いちばん最初、大町の屋根屋さん。夏に話をしたんですがね、秋になってもなかなか来ないんですよ。見積もりが200万だったんですね。「200万で請け負ったけど、それだととてもできない」っていうんでサボっちゃってたんですよ。

岩田
ああ。

平澤
しょうがないので、他の人を探したんだけど急場で間に合わなくて。
それで、次の年か、隣の小谷っていうところの屋根屋さんを頼んだんですね。その人はきっちりしてて。
わたしびっくりしたのはね、「いくらぐらいでできるか、アバウトでいいから」って訊いたらね、500万かかるっていうわけ。690万かかったおうちが、屋根を取り替えるのに500万っていうんです。今のお金でいうと何千万ですよね。
「えー!」っと思ったけど、やらなきゃしょうがないしね。後に引けないし。
屋根を直すのに、これまた大変な物語があるんですよ(笑)

白馬で見つけた古民家はその後、平澤さんの手にわたり「かやぶき茶屋」と呼ばれる宿となった。写真はその「かやぶき茶屋」、往時の姿を写したポストカード。



後篇へつづきます。

> 後篇へ

この記事のライター

新聞記者からカメラマンになって、フリーのデザイナーに。
なぜかこのサイトの編集長も。

関連する投稿


【後編】日本建築の原点は「古木」。その魅力と効果的な使い方を考える -家具デザイナー・小田原さんに聞く

【後編】日本建築の原点は「古木」。その魅力と効果的な使い方を考える -家具デザイナー・小田原さんに聞く

家具デザイナーである小田原 健さんが、長野県大町市にある山翠舎の古木倉庫を訪れた。そんな小田原さんに古木や建築、家具製作の未来についてお話を伺う対談の第二弾(後編)。


【前編】日本建築の原点は「古民家」や「古木」にあり。 家具デザイナー・小田原さんに聞く(第二弾)

【前編】日本建築の原点は「古民家」や「古木」にあり。 家具デザイナー・小田原さんに聞く(第二弾)

前回、3回にわたってお届けした家具デザイナー小田原 健さんのお話(「古木を見て、素材の持つ魅力と職人の大切さを再認識」-木と職人を愛する家具デザイナー・小田原健さんに聞く-)。 今回は、山翠舎東京支社に場を移し、日本建築の原点などについて、小田原さんにお話を伺いました。インタビュアーは山翠舎代表の山上浩明。小田原さんの木を思う心がギュッと詰まったお話になっています。まずは前編をどうぞ。


「古木でつくる新しい経済」山翠舎 山上浩明さんに聞く その3

「古木でつくる新しい経済」山翠舎 山上浩明さんに聞く その3

古木をフックに利益をつくり、人の繋がりをつくり、経済圏を生み、一つの世界観、価値観を投げかける。そんな新しい挑戦をつづける山上さんのインタビュー。最終回となる第3回は、古材ではなく「古木」と定義した理由とその戦略、そのビジョンなどのお話です。


「古木でつくる新しい経済」山翠舎 山上浩明さんに聞く その2

「古木でつくる新しい経済」山翠舎 山上浩明さんに聞く その2

古木をフックに利益をつくり、人の繋がりをつくり、さらには経済圏を生み、一つの世界観、価値観を投げかける。そんな新しい挑戦をつづける山上さんのインタビュー。第2回は、この挑戦を実現に向けていくための実際的な方法やビジョン、そして動機などのお話です。


「古木でつくる新しい経済」山翠舎 山上浩明さんに聞く その1

「古木でつくる新しい経済」山翠舎 山上浩明さんに聞く その1

「人や社会にとっていいこと」も持続可能じゃなければ、そんなに「いいこと」を生み出せずに終わってしまう。「いいこと」をやるからには「利益」の両立が必須なはず。山上さんはそう言います。棄てられゆく古木を再活用することで環境負荷低減と、歴史の知財を残すという「いいこと」。この「いいこと」のためには、古木から利益が生まれるビジネスモデルを作らなくてはいけない。さらに古木をフックに人の繋がりをつくることで、そこに経済圏を生み、一つの世界観、あるいは価値観を投げかける。そんな新しい挑戦をつづける山上さんのインタビューです。


最新の投稿


「森林認証制度」のこれまでと今 -後編- 【FSC®ジャパン事務局長・前澤英士さんに聞く】

「森林認証制度」のこれまでと今 -後編- 【FSC®ジャパン事務局長・前澤英士さんに聞く】

企業のグローバル化が進むなか、人権やコンプライアンスの遵守、環境問題への配慮などを含めた社会貢献活動(CSR)が注目されています。とくに、環境問題への取り組みでは「FSC森林認証」を受けた材料やプロジェクトを企業が積極的に採用する動きが世界的に広がっています。この「森林認証制度」を日本国内で推進しているのがFSCジャパン。どんな活動を展開し、どのような将来展望を描いているのか、FSCジャパン事務局長の前澤英士さんにうかがいました。その後編です。


「森林認証制度」のこれまでと今 -前編- 【FSC®ジャパン事務局長・前澤英士さんに聞く】

「森林認証制度」のこれまでと今 -前編- 【FSC®ジャパン事務局長・前澤英士さんに聞く】

企業のグローバル化が進むなか、人権やコンプライアンスの遵守、環境問題への配慮などを含めた社会貢献活動(CSR)が注目されています。とくに、環境問題への取り組みでは「FSC森林認証」を受けた材料やプロジェクトを企業が積極的に採用する動きが世界的に広がっています。この「森林認証制度」を日本国内で推進しているのがFSCジャパン。どんな活動を展開し、どのような将来展望を描いているのか、FSCジャパン事務局長の前澤英士さんにうかがいました。まずは、前編です。


新時代の図書館を模索した「信州・学び創造ラボ」後編 【県立長野図書館長・平賀研也氏に聞く】

新時代の図書館を模索した「信州・学び創造ラボ」後編 【県立長野図書館長・平賀研也氏に聞く】

2019年4月、令和の時代を前に県立長野図書館内にオープンした「信州・学び創造ラボ」。県立長野図書館は、もともと長野市長門町にあったが、同市若里公園内の現在の場所に1979年に開館しました。今回の大規模リノベーションが行われたのは閲覧室や会議室のあった3階フロア。情報の多様化が進展する中で、人々が知見を得る拠点として、どういった図書館の形が望ましいのか、議論を重ねながら理想を追い求めたといいます。設計を担当した長野市の「宮本忠長建築設計事務所」の設計士と、図書館館長の平賀研也さんに話を伺いました。


新時代の図書館を模索した「信州・学び創造ラボ」前編  【宮本忠長建築設計事務所3人の設計士に聞く】

新時代の図書館を模索した「信州・学び創造ラボ」前編 【宮本忠長建築設計事務所3人の設計士に聞く】

2019年4月、令和の時代を前に県立長野図書館内にオープンした「信州・学び創造ラボ」。県立長野図書館は、もともと長野市長門町にあったが、同市若里公園内の現在の場所に1979年に開館しました。今回の大規模リノベーションが行われたのは閲覧室や会議室のあった3階フロア。情報の多様化が進展する中で、人々が知見を得る拠点として、どういった図書館の形が望ましいのか、議論を重ねながら理想を追い求めたといいます。設計を担当した長野市の「宮本忠長建築設計事務所」の設計士と、図書館館長の平賀研也さんに話を伺いました。


【後編】日本建築の原点は「古木」。その魅力と効果的な使い方を考える -家具デザイナー・小田原さんに聞く

【後編】日本建築の原点は「古木」。その魅力と効果的な使い方を考える -家具デザイナー・小田原さんに聞く

家具デザイナーである小田原 健さんが、長野県大町市にある山翠舎の古木倉庫を訪れた。そんな小田原さんに古木や建築、家具製作の未来についてお話を伺う対談の第二弾(後編)。


Ranking


>>総合人気ランキング