掃除屋 名畑雄司さんに訊く「食いっぱぐれない生き方」前篇「報酬2,000円の逆ナン清掃」

掃除屋 名畑雄司さんに訊く「食いっぱぐれない生き方」前篇「報酬2,000円の逆ナン清掃」

一度お客さんになると10年越えの関係になる掃除屋さんがいる。名畑雄司さん。古木を使った数々の店舗でもクリーニングを担当してきた。独立して20数年。掃除という仕事を通し過酷な現場、人の生活の痕跡も多々見てきた。そんな名畑さんにお話を聞きました。前篇は、報酬わずか2,000円で始まった清掃の話。


前篇「報酬2,000円の逆ナン清掃」

名畑 雄司(なばた ゆうじ)
CLEAN FIGHT SERVICE 代表。1972年東京都生まれ。
20歳で清掃会社に掃除のバイトで入る。その数ヶ月後には同社専属の清掃下請けを始める。23歳で独立。ハウスクリーニングならハウスクリーニングと細分専門化しがちな清掃業の世界で、店舗から施設、住宅、マンション共有部まで、幅広い分野の清掃を手がけている。

バブルの終わり、20歳のころ。


名畑さんが清掃業に足を入れたのは20歳のときだった。
歌舞伎町界隈をぶらつき、生活は自堕落を極め、金銭も底をつきようとしていたころだった。
そのとき、生活費欲しさで応募したアルバイトが清掃の仕事だったという。
「週払いではなく、日払いで少しお願い出来ませんか」
募集元にそう頼み込んだ20歳の名畑さん。それが掃除屋としての出発点となり…

名畑
半年ぐらい働いてなかったんですよね。
歌舞伎町のパブを辞めて、レコードを売って小遣いにして。
ただ、ダラダラしてたんですよね。

岩田
うん。

名畑
それで自分のアパートにも帰らなくなって。
久しぶりに帰ったら電気とかいろいろ止まってて。
それが20歳ぐらいですね。

岩田
それで、募集元からお金はもらえたんですか?

名畑
そう。それで早速、ちょっとずつもらって。
「やった、電気繋がった」「ガスも通った」「火を起こせるぜ」みたいな。
そんな感じですね。
だんだん人間の生活に戻れて(笑)

岩田
そこからはずっとバイトで掃除の仕事をやられてたんですか?

名畑
そこなんですけど、そのころはまだ世の中がバブルの残りみたいな感じで。ジュリアナ東京ができる前後ぐらいのころなんですね。
だからけっこう、世の中にそういうお掃除の仕事がいっぱいあったんですよ。
その会社での仕事は、渋谷だとか新宿だとかにあるでっかいパチンコ屋のチェーン、そこにアルバイト10人ぐらい連れて毎晩、掃除に行くみたいな感じだったんですよ。
そんな系列なのでディスコの掃除とかもやってて。そういうのをいっぱい。
あと、何店舗もあるチェーンのファミレスとか。それを毎晩2件回ったりとか。

岩田
夜にやるんですか?

名畑
そうですね。夜の現場がほとんどの会社でした。

岩田
お店の営業が終わってからってことですよね。

名畑
そう。床だったりガラス磨いたり。

23歳、独立。


名畑
ただ、その会社、昼の仕事っていうのもちょこちょこあって。でも社員とバイトだけでうまく回すには夜だけやってたほうが回るから、会社としては、昼間のちょっとやりきれない仕事を、手間請けみたいなかたちで外注さんとして誰かに流したかったんですね。
で、そこにやる気のある2人のバイトが「やろう」って。でも彼らは車の免許を持ってなくて。で、俺は車の免許を持ってたから。
「じゃあ、やんない、一緒に?」って声かけられて。
「同じ仕事でも請けでやるんだからバイトより稼げるし」って。
「ああ、じゃあいいよ」って、乗っかったんですよね。

岩田
そこからなんですね。

名畑
その3人で、会社の材料と会社の車を使って。
で、売り上げの何パーセントかがこっちに入る。
最初はそれですね。
バイトを始めてから3ヶ月ぐらいのときに、もうそうなっちゃった。

岩田
フリーランスに片脚を。

名畑
で、そのあと、その会社の仕事が右肩下がりに減ってきちゃって。

岩田
バブルの影響ですか?

名畑
それもありますね。
パチンコ屋がごっそりなくなったりとか。
で、こっちに回ってくる仕事も減るじゃないですか。
1人やめて、2人になって。

岩田
それでもその会社に在籍しつつ?

名畑
で、そこの会社の仕事だけでは「2人で食ってくのは厳しいね」ってなって。1人抜けて。
あとは俺がどうするかだったんですけど、先細りなのは目に見えてるし。
「どうしようかな」って思ってたら、うちの親父のつながりで、近所の仲間に大工さんがいて、そこにけっこう仕事がある、と。だったらその会社の子飼いではなく、独立して、その会社の仕事もしつつ、その大工さんとの仕事も請けてやるのもありかなって思って。
で、完全に独立したんですよね。
それが23ぐらいですかね。

岩田
独立してからのキャリアが長いんですね。

名畑
そうですね。だから…

岩田
一回も勤め人には戻ってないんですか?

名畑
そうなんですよ。勤めたことがないんで、世の中のことなにもわからないんですよ。歌舞伎町のパブとファミマしか知らないんですよ(笑)

老人ホームでの仕事


岩田
まあでも、勤め人をずっとやって、会社に守られちゃって世の中わからなくなってる人は多いですからね。
ただ勤め人の経験がないと、そういうふうには思いますよね。

名畑
なんかすいません、っていつも恐縮しちゃいますもの(笑)

岩田
(笑)

名畑
名刺も切らして、はや1年以上経ってる。
ほんとにそれこそ、名前と電話番号だけでやってるんで。

岩田
人との繋がりで仕事をされてるってことですよね。

名畑
そうですね。ぜんぶ横のつながりと口コミですね。
あとはナンパです。

岩田
ナンパ?

名畑
逆ナン。
例えばマンションの共有部でもガラスなんかを掃除してると、おばあちゃんに声かけられて、「ちょっとお兄さん、うちの掃除してくれない?」って。

岩田
ああ、逆ナンだ(笑)

名畑
「ガラスね、1枚1,000円で、2枚あるから2,000円でどう?」とか言って。
「お、おお…」
「すぐそこだから」
行ってみたら老人ホームで。
で、お隣も、そのお隣もお願いするってなって。
「はい、はい」ってやってるうちに、もうそこは今ではすごいお得意さんで。
何十所帯も、しょっちゅう行くんですよ。

岩田
最初に2,000円でも請けたってところから始まるんですね。

名畑
そうですよ。

岩田
それ、すごいですね。

名畑
で、行ってみたらみんな喜んでくれて。

岩田
そういう単価の仕事は一般的には請けない、請けたがらないんでしょうね。
僕はデザインの仕事をやってると、やっぱり安く頼まれることも多々あるんですけど、基本的に自分が技術を持っててそれを裏腹なく必要としている人がいるのなら、提供してあげたい、っていう気持ちは、

名畑
そう。そうなんですよ。

岩田
時間はかかるけど、別に、マイナスになるわけじゃないので。

名畑
そう。
「じゃあ帰りに空いてる時間にちょっと寄って見てってあげようかな、おばあちゃんだし」っていう感じでぶらっと行ったんですよ。
そしたら、うちも、うちも、って。あちこちで声かかって。
そこの老人ホームは要介護とかじゃなくて、自分で動けるような人たちばかりが入所してるんですよ。だけど年寄りだからもうお掃除はしんどいっていう感じで、

岩田
うん。

名畑
そういう人たちが集まったワンルームマンションみたいになってるんですよ。
それぞれのお部屋にお風呂とかトイレがついてる。
そこの窓がね、でかいんですよ。二重サッシになってて。

岩田
それが1枚1,000円?

名畑
そう。だから1枚1,000円とかいいながら二重サッシで開くから、結局、都合4枚。
さらにその周りはホコリだらけで、掃除機かけたりとかでけっこう手間かかるから、「ヤベエな…」とか思いながら、

岩田
(笑)

名畑
「これ、手間かかっちゃうなあ…」と思いつつ。でも最初はその値段でやってたんですね。
あっちもこっちもって頼まれて、さすがに商売にならないから「もうちょっと上げるね」って言って。それぞれに交渉して。
で、ちょっとずつ上げて。
今はだから…まあ、それでもほかよりは安いと思うけど。

岩田
へえ。

名畑
行くと面白いんですよ。みんな元気な人ばっかりだから口も達者で。
90歳オーバーの人もいっぱいいるわけですよ。満州から引き揚げてきた話とか。「9月に零戦に乗るはずだったけど、8月に戦争終わったから行かずにすんで、ここにいるんです」とか。そういう人がたくさんいて。
自分の家のじいさん、ばあさんが死んでると、もうそういう話、聞くこともないじゃないですか。

岩田
そうね。うん。

名畑
そんな話をね、だからいつも、聞いて。
作業しに行っても、お茶タイムが長かったりして。

岩田
いいね。

名畑
「名畑さん、今度、仕事じゃないときも来ていいからね」とか言われてね。
行くと「パン食べる?」とか言われて、出てきたりして。
「梨むいたよ」とか。

岩田
(笑)

名畑
帰りにリンゴいっぱい持たされたり。

岩田
あの世代の人たちの人とのやりとりの仕方は、つくづく思うけど、いいですよね。

名畑
そう。だから、行くたんびにお客さんが増えて。
その老人ホームに100所帯くらい入ってるうちの30所帯くらいは、僕、顔を出してますね。
みんなに仲良くしてもらって。

岩田
そこは何年くらいやってるんですか?

名畑
そこもね、10年。

岩田
ああ、すごいね。

名畑
最初に逆ナンしてきたおばあちゃんはもういないですしね。

岩田
亡くなられて。

名畑
途中で何人かお亡くなりになったり入院されたりとか。まあ、しょうがないですね。
だから、みんな付き合い長いですよ。


後篇につづきます。

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新聞記者からカメラマンになって、フリーのデザイナーに。
なぜかこのサイトの編集長も。

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