「柿しぶってすごい」冨山敬代さんインタビュー前編

「柿しぶってすごい」冨山敬代さんインタビュー前編

古くから日本人の生活を支えてきた柿しぶ。化学の進歩とともに衰退していく一方で、その重要性が注目されてきてもいます。そもそも柿しぶって何? 柿しぶの世界は生き残れるの? そんな「柿しぶの今」にクローズアップしました。


「柿しぶってすごい」前編

冨山 敬代(とみやま ひろよ)
明治期より続く老舗の柿渋製造販売会社「トミヤマ」代表取締役。
京都府加茂町(現・木津川市)生まれ。
大学卒業後OLを経験したのち、2011年、5代目社長として家業の柿しぶ屋を引き継ぐ。化学製品が氾濫する現代に、天然素材柿しぶの継承と発展に力を注いでいる。

柿しぶって何?


柿しぶと言われても、何となくは聞くけど、実際それが何なのかを知っている人は少ないのではないかと思います。
僕は、そうでした。
冨山さんの話を聞き、いろいろ知ったのですが、一言でいうと、渋柿の実を搾汁し発酵濾過させたもの。それが柿しぶです。
その柿しぶには高濃度の柿タンニン成分が入っています。これがすごい能力をもっているのです。
塗料として塗れば防腐剤となり、補強、防水、また染料としても力を発揮します。昔の建築物の建材にはたいてい柿しぶが塗られていたようです。
ほかにも脱臭作用、高血圧の予防、二日酔い防止、火傷や切り傷の治療薬、化粧品に入れれば肌の引き締め効果なんかもあるそうです。
10世紀、平安時代にはすでに柿しぶが使われていた記録があります。
この柿しぶ、長いこと日本人の生活の必需品でした。それが徐々に、失われていっています。一方で、そのオールラウンドな効用、天然素材としてのポテンシャルが今、再び注目を集めています。
柿しぶは遠い過去の素材であると同時に、未来の素材なのかもしれません。
数多ある今の化学製品も、百年後にはほとんどが姿を消しているでしょう。でも、柿しぶは残っているのでしょう。そんなことを僕は思います。
そんな柿しぶ世界の第一線に立つ冨山さんに、お話を聞いてきました。

製造販売は今や3軒のみ


冨山 敬代(以下、冨山)
「京都の山城で特産ってなんですか?」って聞かれたら、みんな必ず宇治茶って言うんですよ。二つ目に竹(筍も含む)でね。ほんとにね、昔はね、柿渋も代表する特産物だったんですよ。

岩田 和憲(以下、岩田)
はい。

冨山
それくらい昔は特産で、生活になくてはならないものだったんです。
全国でいっても、北海道と沖縄を除いて、青森から九州まで柿しぶの産地がいくつもあって、でも、今はもう原料の渋柿が手に入らないし、石油製品の氾濫で、需要もないからみんなやめられちゃうんですよ。
山城、岐阜、あと広島の備後渋っていうのが日本三大柿しぶなんですけど、広島の業者さんは4年くらい前にやめられて、今は製造の機械をNPO法人が引き継がれてますが、製造方法を受け継がれてないから試行錯誤されてるみたいです。

岩田
となると今、柿しぶをやってる会社ってどれくらいあるんですか?

冨山
製造から販売、開発まで手掛けているのは、京都山城にある3軒のみです。あとは、茶業などの兼業で製造の下請けをされてるところが岐阜県を含めて数件残ってます。

岩田
へえ。そんなに途絶えちゃってるんだ。
大きな時代の流れのなかで柿しぶがだんだん使われなくなっていくっていうのは、惜しいですよね。

冨山
はい。
同業者同士で未来のあるあり方を模索していかないと、本当に淘汰されてしまうと思います。何とか次世代に繋げていきたいです。
2年前に「柿渋・柿タンニン研究会」が発足されて、わたしどものような柿渋屋のほかに大学や研究生、柿タンニンの商品開発されている企業などが会員となって、年に数回ほど、研究成果の報告会、先生方の講演会などを拝聴して、意識を高めあってます。
学生の参加が多いときは、うれしくなるんですよ。

宇治茶の産地が柿しぶの産地と重なる理由


冨山
わたしね、小さいときは柿しぶ屋っていうのが嫌だったんですよ。大学生の時も、大学卒業して銀行に就職した時も。
うちの家業が柿しぶ屋であることが嫌で嫌で仕方なかったんですよ。
においも臭いし、「なんでこんな地味で忙しい仕事がうちの家業なんだろう」って。珍しい仕事だし、「柿渋」って誰に話しても知らないし。もっと美しい仕事に憧れてました。
でも、自分がこの仕事に入って、たくさんの方々と仕事で出会い、ほんとにわたし自身の価値観が変わったんですよ。

自分自身が研究開発に携わったりとか、文化財の修復などに少し携わったりとか、また、いろんな方からお問い合わせをちょうだいするなかで、ほんとにすごい仕事だったんだなって思うようになって。
この仕事をさせていただけることに神様に感謝しなきゃって思ってます。そして、ご先祖さまにも感謝しています。

岩田
そのすごいっていうのは、昔の人が知り抜いてやってきた知恵とか、そういうことですか。

冨山
そう。先人の知恵。
柿しぶじゃなくてもほかのものに関しても先人の知恵ってすごいじゃないですか。
よくぞこれだけのことわかるなあ、って思うくらい。
例えば昔の家の庭、わたしたちのご先祖さんの家の庭には、トイレの近くには金木犀がありますよね。あと庭には甘い柿と渋い柿があったんですよ。渋い柿は特にあったんですよ。それぞれ役目があったんですよ。
お茶畑に渋柿があったのと同じなんですよ。
宇治茶の産地がなんで柿しぶの産地と重なるのかっていうのも同じなんですけど。
今、宇治茶の畑を見ると霜除けのファンが回ってるじゃないですか。
あれの役割が昔は渋柿なんですよ。

岩田
霜除けだったんですか?

冨山
霜除けなんですよ。柿の木もタンニンが豊富で強いから。
昔はほんまにたくさん点在してたんですよ、茶畑のなかに渋柿の木が。

岩田
あと、茶畑の虫除けにもなるんですよね。

冨山
そう。虫除けと動物除け。
渋柿の実は渋くて鳥も動物も餌にならないと本能的に理解しているから、近寄らないよね。柿の葉も落ち葉になり、タンニンの力で草除けになったり、草が生えにくいんですよ。

幼少の記憶


岩田
「家業が柿しぶ屋であることが嫌で嫌で仕方なかった」ってさっきおっしゃいましたけど、結局、どうして継ごうと思われたんですか?

冨山
大学を出て銀行を辞めたあと、一度家業に入ったんですけど、そのときは合わなくて出たんですよ。そのあと弁護士事務所に勤めて。それから祖母の介護が必要になったので、介護をして。
そして祖母を見送ってから、製薬会社の研究所にご縁があって、研究所に入ったことによって、「やっぱり柿しぶ」っていう感覚になっていったんです。

岩田
家業を継ごうって、自分で入ってったんですか?

冨山
そうですね。
あのね、わたし、そのころ大病したんですよ。製薬会社で楽しく働いてたんですけど、ちょっと手術しなくちゃいけなくなったんで、1ヶ月休業もらったんですけど、「迷惑をかけるから」って思って退職して。
その、辞めたのがよかったんですよ。
病気をして、仕事を辞めてから家業を継ぐまでの1年間、今まで、自分の生きてきたことを見直す期間になって。反省することばかりで。
幼少の頃のことも思い出して。
昔、家の裏に柿しぶの瓶詰め工場があって、わたし、ずっと小ちゃいときからその工場へ行って、働いてるおばさんたち(従業員の方たち)の邪魔をしてたんですよ。邪魔っていうか…見に行ったりして、段ボールの箱で遊んでたんですよ。
そのころは毎日、毎日、たくさんの量の柿しぶが出てたんですよ。人も多かったし、ずっと家も忙しかったし。みなさん、よく働かれてました。わたしは、工場の中でみなさんに育ててもらったんですよね。
病気をしたことで、自分はどれだけたくさんの方々にお世話になり、生きてこれたんだろうって。わがまま、不足ばかりで申し訳なかったなって。
この仕事を「人に任せるんじゃなくて、自分で一生懸命頑張ってみたいな」と思ったんですよ。女でも出来ることがあるんじゃないかって。



後編へ続きます。

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新聞記者からカメラマンになって、フリーのデザイナーに。
なぜかこのサイトの編集長も。

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